第2話 首輪の温もり、支配の甘美な呪い
父の書斎を出て自室に戻った私は、鏡の前に立った。首には、まだあの革の首輪が巻かれている。母の名前が刻まれた、冷たい、それでいて妙に温かい呪い。それを外そうとは思えなかった。むしろ、その存在が、私という人間を規定する新たな記号になったような気がしていた。
鏡の中の私は、見慣れた、誇り高い宝生家の女ではなかった。瞳の奥には、理解できない情熱が燃え、口元には、無意識のうちに微笑みが浮かんでいる。その姿は、私が軽蔑していた、あの秘密の部屋で父に見せていた母の表情と、恐ろしいほど似ていた。
「ああ、母は……」
私はそっと、首輪に触れた。父の指が震えながら、この首輪を私の首に巻いた時のことを思い出す。あの時の父は、私を支配する喜びと、娘を屈服させる罪悪感の間で揺れ動いていた。その葛藤が、私にはたまらなく愛おしかった。弱い父だと思っていたが、彼は私を深く愛し、そして、私を支配することに、私と同じだけの快楽を見出していたのだ。
次に父に会ったのは、夕食の時だった。食卓には、いつものようにメイドたちが作った豪華な料理が並んでいた。しかし、私と父の間には、昼間にはなかった、張り詰めた空気が漂っていた。私たちは何も話さず、ただ黙々と食事を摂った。
食後、父は私を自室に招いた。昼間の書斎とは違う、彼の私的な空間。そこには、父の温かさと、どこか繊細な香りが漂っていた。
「美咲、その首輪は……」
父は、私の首にある首輪から目を逸らそうとしなかった。彼の視線が、私に深く突き刺さる。
「外したくないの。お父様がくれたものだから」
私の挑発的な言葉に、父は一瞬言葉を失った。
「私が寝るまで、外さないでほしいの。お願い、お父様」
私は、子供のように甘えた声で頼んだ。弱い父だと思っていたが、その瞳の奥には、抗いがたい力強さが宿っていることを知っていた。
父は、私の願いを拒むことはできなかった。その夜、私は首輪をつけたまま、父の部屋で眠りについた。父は、ベッドの横の椅子に座り、ずっと私を見守ってくれていた。
翌日。私は、宝生家の次期当主として、さらなる修練に励んでいた。しかし、私の心は、もう以前のようには集中できなかった。心臓がざわつき、頭の中は、父のことでいっぱいだった。父が私に微笑みかける顔。父が私をリードで引く手。父の視線が、私の首輪に突き刺さる瞬間。
すべてが、甘い記憶として私の脳裏に焼き付いている。
ある夜、私は父の書斎を訪れた。父は、静かに本を読んでいた。
「お父様、今夜は、私がお父様のそばで、本を読んでもいいですか?」
父は驚いた顔で私を見た。しかし、すぐに優しい微笑みを浮かべた。
「ああ、もちろんだとも」
私は父の膝の上に座り、父の背中に寄りかかった。父は一瞬、硬直したが、すぐに優しく私を抱きしめた。父の腕の中にいると、不思議な安心感に包まれた。そして、同時に、甘く、倒錯した熱が、私の体を駆け巡る。
「ねえ、お父様」
私は、父の首に腕を回し、耳元で囁いた。
「私のご褒美、まだお散歩だけじゃないでしょう?」
父の体が、びくりと震えた。その反応が、私をさらに大胆にさせた。
「私、知ってるの。お父様が、母にしていたこと」
父は何も答えなかった。しかし、私を抱きしめる腕の力が、少し強くなった。その沈黙は、肯定だった。
「私にも、してほしいの。母と同じように、お父様に支配されたいの」
そう言うと、私は父の膝から降り、父の前に四つん這いになった。
「お父様、私を躾けて。あなただけの犬にして」
その夜、私は母がそうであったように、父の支配を受け入れた。しかし、それは決して一方的なものではなかった。父の優しい手つき、彼の震える声、彼の葛藤。それらすべてが、私にとっての快楽だった。
私は、父を支配することで、父の支配を享受していた。この倒錯した関係こそが、私たちが探し求めていた、真実の愛の形なのかもしれない。




