226 誕生日と梅見とお参り
沖田さんの高い熱は、五日目にしてようやく下がり始めた。
その後、再び診察に来た良順先生にまだしばらくの安静を言い渡されるも、私が様子を見に行くと、十中八九部屋はもぬけの殻だった。
勝手に甘味屋巡りをしていたり稽古場で稽古をしていたり、境内の隅で一人遊んでいたこともあった……。
探し出すたび“かくれんぼ”でもしているかのごとく、見つかっちゃいました〜、なんて言うから、正直腹も立ってかなり本気で怒りながら部屋へ引きずり戻したりもしたけれど……当の本人はお気楽に笑っているばかりだった。
案の定ぶり返したのか、時間帯によっては下がったはずの熱がまた少し上がったり、拗らせてしまったのか咳だって長引いている気がした。
おかげで、少しずつ良くなってはいるものの、まだ隊務へは復帰出来ていない。
そんな中迎えた二月。
私の二十二回目となる誕生日は今年もやっぱり非番で、土方さんにとっても“梅を見に行く日”と化しているのか、朝から一緒に北野天満宮へ行くことになった。
そして、誕生日だからと久々に女物の着物も着ることになり、着替えるため、まずは屯所から離れた旅籠へと向かった。
「そういや、今年は丁卯だし丁度いいな」
「丁度いい?」
「恵方参り、まだだっただろう?」
そう問われるも、ふと、斎藤さんと甘味屋へ行った時のことを思い出す。
恵方参りなら、一応すでに行ったことを告げれば土方さんが立ち止まった。
「正月早々飲みに行ったきり帰って来ねぇわ、謹慎処分になりやがるわ……。あげく恵方参りはもう行っただと……」
何やらブツブツ言ったかと思えば、今度は突然、来た道を戻り始めた。慌てて追いかけ引き止めるも、帰る、とぶっきらぼうに言い捨てる。
その様子は、怒っているというより拗ねている?
もしかしてだけれど……。
「一緒に行くつもりで、待っててくれてたんですか?」
「ばっ……待っちゃいねぇよ! 忙しくて行く暇がなかっただけに決まってんだろうが!」
「で、ですよね! すみませんっ!」
謝るついでに、正確には恵方じゃない恵方参りだったこと、せっかくだからちゃんとした恵方参りもしたいことを告げれば、土方さんの様子が少し変わった。
すかさず梅だって見に行きたいと訴えれば、ほんの少し黙り込んだあと、仕方がねぇな、と折れてくれたのだった。
旅籠につくと、さっそく持ってきた着物に着替えた。
仕上げに梅が描かれた赤い玉簪で髪をまとめると、おかしなところがないか一通り確認して、襖の向こうで待機している土方さんに入室許可を出す。
部屋へ入ってきた土方さんは、私の側へ来るなりズレないよう帯の上から結んである紐……帯締めを解き始めた。
「……え」
……何で? せっかく着付けたのに?
あっという間に帯締めを畳の上に落とされるけれど、それでも止まらない土方さんの手が今度は帯にかかる。
ちょ……帯まで解く気!? 脱げる……って、まさか脱がす気!?
慌てて帯を押さえれば、土方さんがしれっと言い放つ。
「手、どけろ」
いやいやいや、どけるわけにはいかないでしょうが! そもそもガキには興味ないはずじゃ!?
そりゃあ、今日でもう二十二だし? 全然ガキなんかじゃないけれどもっ!
それに……!
「ふっ、普段から散々ガキ呼ばわりしてるくせにっ!」
「いいからじっとしてろ」
「なっ!? も、物事には順序というものが……」
って、そもそもそういうことは好きな人同士がすることでしょう!?
何がそんなにおかしいのか、土方さんはニヤリとした顔を近づけ耳元で囁いた。
「じっとしてねぇと、このまま本当に脱がすぞ」
「ふぁ!?」
な、な、な、何!? 無理。きっと頭のてっぺんから湯気が出てるっ!
色々限界間近、意識が遠のくその寸前、おでこに軽い衝撃が走った。
「馬鹿。冗談だ」
「……ふぇ?」
冗談って、何が? えっと、何が冗談?
棒のように立ち尽くした私を見下ろして笑う土方さんが、出来たぞ、と言って一歩後退さる。
土方さんの視線を辿って自分の帯を見れば、解かれた帯締めの代わりに新しい帯締めがつけられていた。
下げ緒のような、平たい紐の両端についている金具同士を引っ掛けてとめるタイプで、見た目は帯締めと帯留めが一体化したような物。
そしてよく見ると、金具に施された装飾は梅だった。
「あっ、可愛い……」
「“誕生日”だからな」
「あっ! ありがとうございます!」
つまりこれは、誕生日プレゼント!
どうやらこういった形の物が、近頃芸者たちの間で流行っているらしい。
……って、普通に手渡してくれてもよかったのに!
変な勘違いをした自分が恥ずかしいうえに、どさくさに紛れてデコピンまでされたし!
何はともあれ、ここはさっさと梅見へ行くべく、ニヤつく土方さんの背中を押して旅籠を出るのだった。
新暦に直せばおそらくもう三月で、上へ上へと昇る太陽は夜のうちに冷えた大地を緩やかに暖めてくれる。
何度か思い出し笑いをされながら北野天満宮へつくと、今年も境内は鮮やかに染まっていて、柔らかに吹き抜ける風は仄かに梅の香りがした。
「今年も満開ですね」
「ああ。見事だな」
どこからともなくウグイスの声まで聞こえてくる中、はやる気持ちを抑え、まずは境内を奥へと進みお参りを済ませることにした。
お賽銭を投げ入れ揃って手を合わせれば、今回も思いつくまま片っ端からお願いをする。
斎藤さんと行った時とほとんど変わらない気がするけれど、二度もお願いした分、叶う可能性が高くなるかも?
そんなことを考えていたら、横から頭を小突かれた。
「相変わらずなげぇ奴だな」
「いっぱいあるんです」
……って、何だか毎年同じようなやり取りをしている気がする。
今年も成長してないのかと思う反面、こんな時代だからこそ、こうして同じことを繰り返せるというのは、それはそれで幸せなことなのかもしれないとも思う。
だからまた来年も……ううん、その先もずっと、変わらないこんな日々が続きますように……と改めて願った。
「梅見るんだろ? 置いてくぞ?」
「え、ちょ、待ってください!」
慌てて顔を上げると、土方さんはすでに少し離れたところに立っていた。
急いで駆け寄り揃って歩き出せば、土方さんが少し呆れたように言う。
「お前の事だ。どうせ他人の事ばっか願って、自分の事は忘れたんだろ?」
「そんなことないですよ? ちゃんと甘いものがたくさん食べたいって願っておきましたから」
自信満々に答えたにもかかわらず、隣でぷっと吹き出された。
人の願いを笑うとか、失礼過ぎる!
「相変わらず、欲があるんだかねぇんだかわからねぇな」
「食欲、というれっきとした欲です」
「そりゃそうだがな」
何がそんなにおかしいのかまた笑われるけれど、気を取り直して近くで広がる梅の木々の前で足を止め、一緒に綺麗に咲くたくさんの梅の花を眺める。
毎年そうだったように、きっと来年も、その次も、どんな時代でもこうして綺麗に咲くのだろうと思いながらしばし見入っていれば、ふと、先月の九日に新しい天皇が即位したことを思い出した。
「そういえば……新しい元号って何ですか?」
「んなもん、俺が知るわけねぇだろう」
「……へ?」
隣を見上げたまま思わず首を傾げれば、土方さんが呆れ顔で見つめ返してくる。
確かに、一世一元制は明治になってからだけれど、それまではころころと変わっていたし、実際、私が幕末へ来てからでさえ二度も変わっている。
だからこそ、新天皇の即位にあわせて元号も変わるものだと思ったのだけれど。
もしかして……。
「代替わりしても変わらないんですか?」
「変わるのは来年だろうよ」
「……へ?」
そんなことも知らねぇのか? という眼差しが痛い。
負けじと見つめ返していたら、盛大なため息をつかれた。
「ったく、どんな生活してたんだよ……」
「普通の生活です」
僅かに沈黙が流れると、そうかそうか、と適当な返事をしつつもちゃんと説明してくれる。
どうやらこの時代、天皇が代替わりしたからといって、すぐに改元するわけではないらしい。即位の翌年に改元するのが通例なのだとか。
つまり、来年には慶応が終わって新しい元号になる、ということ。
私の記憶が正しければ、おそらく次はいよいよ明治……。
明治といったら、明治維新や文明開化という新時代の到来が頭に浮かぶけれど、それは同時に、江戸時代の終わりを意味する……。
いつの間にか俯いていたらしく、ポンと後頭部に手が乗っかった。
慌てて顔を上げれば、私を見下ろす少し心配そうな顔と目が合う。
「どうした?」
「……いえ、何でもないです。ちょっとお腹が空いたなーって」
そう言って笑ってみせるも、頭上にあったはずの手がいつもより強いデコピンをしてきた。
「イッタイ! 何するんですかっ!」
おでこを押さえながら睨めば、今度はポンポンと頭の上で手が跳ねる。
「帰りに甘味屋でも寄ってくか」
「……はいっ!」
……って、どうしてデコピンされたの!?
でも、まぁいっか。おでこは痛むけれど、さっそく願いの一つが叶ったし!
私の表情を見た土方さんは、相変わらず安上がりな奴だな、と言って笑うけれど。
こんないつも通りも悪くはないと、梅見を再開しながら思うのだった。




