>普遍的な善が存在するとは考えられない。悪と言う概念があるから、善が存在する。そう考える彼にとって、善悪の基準はあやふやな物だ。
>普遍的な善が存在するとは考えられない。悪と言う概念があるから、善が存在する。そう考える彼にとって、善悪の基準はあやふやな物だ。
この論旨だと善悪は相極的だという事になるので
普遍的ではなく絶対的が適切かと思います
カトリックの用語で神を普遍として
同時に神を絶対とするように
訳する場合があるので
誤解されがちですが
常に変わらずそこにある様で
常在と同じ意味が普遍です
善も悪もないといえば、知的生物とはいえないでしょうから
同一の概念の二極と考えるなら善も悪も普遍的に存在します
また相対性と絶対性の対比で考えるなら
例えとして
上にある天を善なる存在が行く場所があり
下にある地の底には悪なる存在がが行く場所が
という双極的な善悪二元論から来た考え方がありますが
この例えを相対的善悪解釈で例えると
地球は球体としてあるので
善とは重力と反対方向の上に無限にして宇宙に広がり
悪とは唯一にして地球の中心点にあるといったとこでしょうか
絶対で唯一の悪と相対で無限の善
と考えても善は普遍的です
日本的に言うと
カルトな存在の特定の誰か達のための世界の義が悪で
その他大勢のための世界の義が善ですね
聖書宗教以前の古代文明とかでは
地球を球とした知識もあったらしいので
案外、元々はそういう意味だったのかもしれませんねぇ
この論旨は
悪とは普遍的でどこにでもあるが
善とは絶対で一つしかないという
聖書宗教的なカルト信仰を元にするなら正しいのですが
○o○○○○は、唯一絶対の神の正義は信じてなさそうですから
まあ
神に反抗して神と同じ絶対であろうとする傲慢の悪魔王というのも
聖書宗教の考え方の裏返しの悪魔崇拝で存在しますが
あくまでそれだと神と悪魔王が逆転しただけで考え方は同じです
ちょっと
ややこしいでしょうが
相対的な善悪っていうのは
科学的な視点での倫理へのアプローチで
つまり
自分から見ての正義が上方向で
自分から見て地球の裏側の上方向は自分の正義の方向と逆の下方向に見えるということで
地の底にあるのが悪であることには変わりはないわけです
相対性でいうなら善とは常に地に堕ちない方向性でベクトルを持ち続けることですから
常にその方向は一定ではないけれど普遍性は持つわけです
これは
殺人が悪ではなく、命を粗末にするのが悪という類の考えかたですね
善悪が曖昧で区別がつかないというのとは別なのに
最近の物語や新聞などの論調では
割と聖書宗教視点で上下の双極の中で解釈されて
半ば故意に歪められ混同されているようですので
善悪二元論から派生した善悪混沌論と
善悪二元論を否定した善悪相対論を区別して考えたほうがいいかという話なんですが
細かな話ではありますね




