なんか魔王になった
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謎の光に包まれたあと、男は石畳の上に立っていた。空は赤紫の奇妙な色をしていたが、赤や青などの仄かな光が周囲を照らしている様はなかなかに幻想的だった。
男はぐるりと辺りを見回す。すると周囲には高さ二メートルほどの石壁。正面と後ろに門。そして三百六十度に人らしきものがいた。『らしきもの』というのは、彼らの頭に角が生えていたり、長い牙が生えていたり、肌が緑だったりしたため、そういった表現になった。その異形たちを差し引いて建物のかたちだけで考察するのであれば、それはローマのコロッセオに酷似していた。
(ん? ちょっと待て)
男はある可能性に気がついた。キーワードとしてはコロッセオ、ステージ上の二つ。そこから導き出される答えはーー、
(俺、剣闘士的な立場?)
ローマの剣闘士といえば、奴隷階級に身を置き、剣闘士同士あるいはライオンなどの猛獣とも戦った。
男の背中を一筋の汗が伝う。その汗は冷や汗という名がつくものだ。
(逃げられるわけーーないよね)
二つある門は鉄格子によって閉ざされている。石壁は登れないこともないが、即座に観衆によってステージに戻されることは明らかである。戦うしかない。男にできるのは、相手が猛獣ではないことを祈るだけ。
(お願いします、お願いしますーー)
先祖の霊にひたすら祈る。そうしているうちに向かいの門がゆっくりと開く。そこから出てきたのはーー人。それも線の細い優男。
(勝った!)
男は勝利を確信する。だがその心の雄叫びをはるかに凌駕する大歓声が会場中から沸き起こった。
(! なんだ!? もしかしてこの人、見かけによらず強い?)
改めて優男を見てみるが、強そうには思えない。剣も盾も持っていない。
(あ、俺もだわ)
ところが男もまた得物がなかった。やむなく素手での殴り合いを想定する。
(ーー勝てるな)
サラリーマンをやっていたため衰えてはいるだろうが、目の前の優男に負けるビジョンが思い浮かばない。
そうなれば自然、男の意識は戦いの展開へと向く。
(剣闘士同士の戦いは、一方が降伏を表明すれば終わる。その処遇は皇帝や観客の意思で決められるーー)
そこまで考えて、男は優男を適当にのすことにした。優男が生きるか死ぬかはーー正直、責任を持てない。すべては観客次第である。
だが直後、男は想定が甘かったことを知る。
『皆様。大変長らくお待たせしました! これより【選王戦】を行います! ルールは単純。攻撃方法は問わずどちらかが戦闘不能になるまで戦い、勝者が次の魔王です! 禁止された魔法もありません!』
(魔法、あるんだ……)
男が魔法という単語に困惑している間も、事はサクサクと進行する。
『では対戦者の紹介だ! 東は人魔種のジン。最弱種族の人魔種から出た、勇気ある挑戦者だ!』
アナウンスの声が男声から女声に変わる。そして対戦者として男が紹介されたのだが、最弱種族というフレーズを聞いて愕然となる。そして追い討ちをかけるように観客からはブーイングの嵐。
「人魔種だと!? ふざけるな!」
「てっきり吸血種かと思ってたぜ」
「どうせ負けるんだから【選王戦】に出るんじゃねえ!」
酷い言われようだ。そして誰も咎めだてしない。運営サイドも容認しているようだ。そして哀れな最弱種族である男が相手取るのは、
『西は魔界最強の種族、吸血種! その長であるマリオン様だ!』
名前を呼ばれただけで大歓声。しかもジンは呼び捨てだったのに、マリオンは様づけ。呼び方にさえ差があった。人気は言わずもがなである。
『マリオン様が出場されるということで、他の挑戦者は即座に辞退した! マリオン様はそれほどの猛者! ジンは何秒立っていられるのか!?』
ついにウグイス嬢も露骨にマリオンの贔屓を始める。ジンに味方はいない! 観衆はウグイス嬢の問いかけに、
『一秒!』
『いや、もう少し頑張るだろ。俺は五秒!』
『大穴狙いで十秒だ!』
と、威勢よく答えていた。……この世に『分』や『時間』という単位はないらしい。ジンは泣きたくなる。
もう降参しよう。そう声に出そうとして、
(声が、出ない!?)
『あ』とか『い』などのどうでもいい単語は出てくるが、肝心の『降参』という言葉は口にできなかった。この不可思議な現象に戸惑っているうちに、
『ジンが何秒立っていられるのか注目の【選王戦】初戦かつ決勝! ーー開始ッ!』
戦いが始まってしまう。
「うおりゃぁぁぁッ!」
こうなりゃ先手必勝、とばかりに駆け出すジン。そんな彼をマリオンは悠然と待ち構える。
「人魔種でありながらワタシに挑むとは、その気概は誠に素晴らしい! ゆえに殺さずにおいてあげましょう!」
マリオンは勝利を疑っていない。ジンに向かって爽やかなイケメンスマイルを送る一方で、両手にバスケットボールくらいの大きさの水の球をーーいや、水の弾を生み出した。
「【水弾】!」
マリオンのかけ声とともにそれが撃ち出される。
水弾は一直線に突っ込んでくるジンに、やはり一直線に突っ込む。時速はおよそ三百キロメートル毎時。新幹線とほぼ同じ速さである。そんな物体が自分に向かってくるーーその恐怖にジンの思考はわずかな時間であるが、停止した。
ジンが再び思考を始めたときには、水弾は既に目前へと迫っていた。もはや躱せるような距離ではない。
(バリア、バリア、バリアーっ!)
この世に魔法というものがあるのなら、自分にもその力を! その一心で、子ども時代の絶対的防御手段『バリア』を叫び続ける。
そして、水弾が直撃。クリーンヒット。直前に防御姿勢をとったわけでもない。
観衆が沸いた。コロッセオが揺れるような歓声が上がる。
『マリオン様が放った【水弾】がジンに直撃ィィィッ! これは決まったか!?』
誰もが勝利を確信しただろう。
『さすがマリオン様だ!』
『ああ。下級魔法の【水弾】とはいえ、無詠唱で多重発動なんてすげえ!』
それはステージ上に立つマリオンでさえ、
「ちゃんと手加減はしたよ」
とのたまう。
だがそれはフラグである。
【水弾】の着弾により生じた霧が晴れる。その中央には、無傷のジンが立っていた。
ジンの願いは天に通じ、彼は魔法を授かったのだ!
「あ、生きてるぞ俺」
その声は不思議とコロッセオに響いた。なぜなら、驚愕の光景に誰もが言葉を失っていたからだった。
『無傷……無傷です! ジンは無傷! マリオン様の【水弾】を受けて無傷です! 有り得ない!』
まず気を取り直したウグイス嬢が叫ぶ。それによってコロッセオ全体がどよめいた。
「す、少し手加減が過ぎたかな? なら今度はーー」
マリオンはすぐさま次の魔法を繰り出す。同じ【水弾】だが、弾の大きさがバスケットボール大からバランスボールまでに大きくなっている。速度は同じ。
「えっ!? ちょ、【バリア】、【バリア】、【バリア】!」
慌てたジンは再びバリアと叫ぶ。すると目の前に半透明の板が現れた。それへと水弾が直撃。パリン、とガラスが割れたような音が一度響くが、水弾がジンに当たることはなかった。
「防御魔法の三重発動!? しかも無詠唱! そんな高等技術を人魔種が!?」
今度は何が起こったのかを正確に理解したマリオンが驚愕の声を漏らす。
「ならば!」
マリオンは特大の火の玉を生み出す。それは元気玉を想起させた。
「ーー【業火球】!」
当たれば一発でお陀仏になると直感したジンは、さっきよりも多めにバリアを展開する。その数は十枚。
火の玉はバリアを五枚破ったものの、ジンに到達することなく消え去った。
「魔法を十、同時に使うとは……」
ジンの超のつく高等技術を見て、もう馬鹿にする観客はいなくなっていた。
マリオンはジンが自分に匹敵する強者であると悟っていた。いや、間違いなく自分より強い。自らが持つ最大威力の魔法を防ぎきったのだ。魔法による決着は望み薄。となると最初にジンがしたように、肉弾戦で決着をつける必要がある。
ところがマリオンは肉弾戦など畑違い。というか、生まれてこのかた肉弾戦をやったことがなかった。誰も魔法では彼に敵わなかったのだから当然といえる。今回の【選王戦】にーージンを除くーー他の種族が参加しなかったのは、自身の魔法を恐れてのことだと正しく理解していた。そんな自分が魔法で決着させなくてどうする? 彼は己のプライドを賭け、この戦いを魔法戦にすることを決意した。
「ジン。守ってばかりでは勝てないですよ。ちゃんと攻撃もしないと」
と言いつつ小さな炎の玉や氷の礫なんかを飛ばすマリオン。一発の威力ではなく手数で勝負する方針に転換したようだ。
ジンだって攻撃しなくてはならないのは百も承知。それらの攻撃を躱しつつ、あるイメージを思い浮かべる。
(さっきのバリアは壁をイメージすると使えた。もしかして魔法はイメージを具現化するのか?)
その仮説に基づき、ジンはミサイルをイメージした。音速で飛翔し、目標を破壊する現代兵器。それを魔法で再現しようというのだ。
はたしてジンの側に現れたのは、鉛筆のような形状のミサイル。分類としては空対空ミサイルと呼ばれるものだった。
「いけっ!」
すかさず発射。ミサイルはわずかな距離でぐんぐん加速し、程なく音速を突破した。その衝撃ーーソニックブームーーでステージや観客席に破壊の嵐が起こる。ジンも壁際に吹き飛ばされた。
甚大な被害を発生させたミサイルは標的に向かって飛び続ける。
「なんだその速度は!」
マリオンはそんなことを言いつつ、なりふりかまわず横っ飛びで回避。辛くも回避に成功するも、衝撃波によって壁際に吹き飛ばされてしまう。
「ぐふっ、ゴホッ!」
肺から空気が吐き出され、苦しげに呻くマリオン。しかしすぐにジンへと向き直った。まだ勝負は終わっていない。対戦相手から注意を逸らすわけにはいかない。
マリオンの行動は正しい。だが今回は対戦相手よりもミサイルに目を向けるべきだった。
空対空ミサイルは飛翔する敵戦闘機を撃墜することを目的としている兵器だ。一発あたり数千万円する代物で、それが目標に一度回避されて終わりーーなんてことがあるわけない。追尾機能がついているのは当たり前だ。マリオンを捉え損ねたミサイルは上空で百八十度方向転換。再びマリオンを狙う。
「後ろだ!」
音速で飛翔しているため、その存在を音で感知することは不可能。だからマリオンがミサイルから目線を切った時点でジンの勝ちはほぼ確定していたが、ここで観客から密告される。
これによってマリオンは再度自身に襲いくるミサイルの存在に気づいた。
「っ!? 【プロテクト】!」
直撃寸前に防御魔法を展開。なんとか凌ぐが、着ていた服はボロボロ。顔や体の至る所に傷を負い、一部は酷く流血していた。
これだけの傷を負えば戦意を喪失するだろう、とジンは考えたのだが、そうはならなかった。
「嘘!?」
ジンは自分の目が狂ったのかと思った。それほどまでにあり得ない光景がーー傷がみるみるうちに治っていくという光景が見えていた。
それは反則だと、声を大にして訴えたかった。
「ふふふっ。まさかワタシに種族特性の再生能力まで使わせるとは……。認めましょう。あなたはワタシより強い! この能力がなければ、ワタシはこれ以上は戦えなかったでしょう。ですが、ワタシは立っている。……本来なら能力を使った時点で己の掟に反しているのですが、ワタシは今、それを曲げてでもあなたと戦いたい! いきます!」
なにやらテンションが上がっているマリオン。楽しげに笑うと、彼の影が不自然に広がった。
「ーー闇は人に依りて万物を生む。【影軍】!」
何かを呟けば、影からぞろぞろと生き物が出てきた。体毛を暗紫色に染めた狼のような生き物だ。
相手が集団戦をしかけるつもりなら、ジンもまた対策を打った。彼の頭には、軍オタだった職場の上司の顔が浮かんでいた。
『一坂君。戦闘機はミサイルを撃ちあう面ばかり注目されがちだけど、他にも強力な武装を持っているんだ。例えばF35に搭載されているGUM-22/A25mmガトリング砲は、毎分3000〜3300発の弾丸を発射できるんだーー』
この上司は何かきっかけがあれば軍事に対するうんちくを披露してくる。おかげで軍事には欠片も興味がなかったのに、軍事知識が頭に残ってしまっている。軍事知識を覚えるよりは、英語を覚えたかった……というのはジンを含む、部下たちの言である。
しかし今日、この日だけは役に立った。この日だけは(強調)。
すぐさま上司に聞かされたガトリング砲をイメージしーー発射。
ーーダダダダダ
敵に銃弾が雨あられと降り注ぐ。ほんの数瞬でジンが突き出した右腕の先にいた敵はミンチになった。
射線は右腕が指し示す方向にあると知ったジン。それを扇状に巡らす。たったそれだけで無数にいた敵は、マリオンを除いて殲滅された。そのマリオンさえも、両手両足が千切れてしまっている。防御魔法を展開していたにもかかわらず、だ。
一見すると戦闘不能だが、彼に再生能力があることは先の件で明らかになっている。同じ手を二度繰り返されるほどジンも間抜けではなかった。
剣をイメージすれば、右手に現れる。白銀に輝く美しい剣。柄と刀身の間には、十字架のレリーフがあしらわれている。吸血鬼が苦手とする銀と十字架の組み合わせだ。
ジンはそれを手に駆け出し、マリオンの心臓付近にその切っ先を突きつけた。
「勝負あり、では?」
「これは……銀ですか。肌がチリチリします。それに十字架も。完璧ですね」
「では?」
「はい。認めましょう。ワタシの負けです」
これで戦いは決着した。マリオンが降伏したことは、如何なる手段を使ったのか、たちまちウグイス嬢の知るところとなった。
『こ、これは予想外! いえ、ありえない! ですが、ですが……それが起こってしまった! 長い【選王戦】の歴史上で初めての、人魔種の魔王の誕生だ!』
こうしていきなり否応なく参加させられた戦いに勝利したジンは魔王となった。
ちなみにさんざんジンを貶したウグイス嬢は、その後上司に厳しいお説教を食らった。本心はどうあれ反省したフリをすればいいものを、『同じ吸血種のマリオン様を応援してなにが悪い』と抗弁。退職に追い込まれたのだとかいないのだとか。




