ハネムーンⅡ
ーーーーーー
南西州の州都を発って二日。ジン一行は港町に到着した。島州への船が出るのは明日ということで、今日は港で宿をとる。ジンが楽しみにしていたのは海鮮だ。魔都では川魚や川エビ以外出されたことがない。だが日本人としての魂が魚を欲していた。なので漁港を視察。食材を自ら吟味して最高の海鮮料理を楽しむのだ。無駄に気合を入れて待っていると、早速漁船が戻ってきた。次々と魚が水揚げされ、それを漁港の人々が素早く仕分けていく。
(ーーって)
「待て」
ジンは待ったをかける。案内役が不思議そうに見てきた。
「いかがされましたか、魔王様?」
「なぜあの魚を捨てるのだ?」
「はっ。あれはシビと申しまして、獣も食わぬほど不味い魚なのです」
「ほう」
頷いてはいるがジンはまったく納得していない。それもそのはず。たった今、無造作にポイ、と捨てられたのは黒いダイヤと呼ばれるクロマグロであった。日本なら初競りで億単位の値がつけられたこともある高級魚だ。
(そういえば日本でもマグロは近代にならないとあまり食べられなかったってテレビでいってたな)
この世界でもそうなのだろう。しかし食べたい。どうにか説得できないものか……とジンは頭を絞った。そして閃く。
「余は魔王になる前はしばらく旅をしていたが、その途上である漁民と出会ってな。彼らはこの魚をマグロと呼び、美味そうに食べていたぞ」
「それは誠ですか!?」
「うむ。余も食べたが、実に美味であった」
「ジン様。私、食べたいです」
そこでアンネリーゼが食べたいと希望した。魔王、王妃の双方から希望されては断れない。案内役はマグロを一匹用立てた。しかし問題はどう捌くかだ。誰もマグロを捌いた経験はない。はてさてどうしたものか、と困っていて先に焦れたのはジンだった。
「【召喚】」
魔法を行使。その際にイメージしたのはマグロを豪快に捌いていく職人であった。そして期待通り、白衣を着て鮪包丁を持ついかにも職人といった風貌の人物が現れた。
「名は?」
「あっしはジロー。寿司一筋五十年の未熟者さ」
「余はジン。この国の王をしている。早速だが、マグロを捌いてくれないか?」
「お安い御用ーーといきてぇが、王様ならひとつ願いを叶えちゃくれねぇか」
「言ってみろ」
「店が欲しい。それだけさ」
「いいだろう」
そのくらいなら、とジンは応じた。そして案内役(南西州の役人)に港近くの土地にジローの自宅兼用の店を建てるよう命じた。ジローは彼らが動いたのを見て微笑むと、
「ならあっしも応えないとーーなっ!」
そう言って鮪包丁を一閃。お頭が落ちる。ヒレや尾などの余計な部分を切断。本体に包丁を入れて身を取り出す。あっという間にマグロは切り身(背の部分×2、腹の部分×2)と骨に分かたれた。ここまで五分と経っていない。驚くべき速さだ。大トロ、中トロ、赤身とに切り分けられ、皿に盛られる。ジローはどこからともなく取り出したわさびを添え、用意されたテーブルの上に皿を置いた。
「マグロの造り、お待ち」
「ではいただこう」
ジンは案内役に用意させた小皿にジローから渡された醤油を注ぎ、赤身をつけて食べた。もぐもぐと咀嚼。
「ふむ。やはり獲れたては美味いな。それに職人の腕もいい。見事だ」
「へっ。褒めたって何も出ねぇぜ。漁師の腕がいいんだよ」
ジローは照れ臭そうに人差し指で鼻を擦った。
「では私もーー」
とアンネリーゼがフォークを伸ばす。その先にはピンクに輝く宝石ーー大トロがあった。
「待て」
ジンが制止して彼女の手を止めさせる。直後、フォークの先を何かが掠めた。
「え?」
アンネリーゼがポカン、としていると、ジローがキレる。
「……寿司を舐めんじゃねぇ!」
「「「ひっ!?」」」
ジンを除く人々が怯える。普段のアンネリーゼからすればジローの出す威圧など大したことはない。だが形容し難い迫力が彼女を委縮させていた。
「ジロー。気持ちはわかるがこの者たちは初めて見るんだ。多少の無作法は許してやってくれ」
「……旦那がそう言うなら今回は見逃すぜ」
「すまない。ーーアンネリーゼ。マグロは赤身、中トロ、大トロに分けられる。お前が食べようとした大トロは最も味が濃くて美味いのだが、それを先に食べると赤身の美味しさがあまり感じられなくなるんだ。ジローは自分の料理を本当に美味しく味わってほしいからあのように言ったのだ。許してやってくれ」
「そうだったのですか。人に美味しく食べてもらおうという心遣い、感服しました。では赤身からいただきますね」
普通の権力者ならば激昂してもおかしくない。しかしアンネリーゼはあっさり納得して赤身を口にする。
「ん〜。身も柔らかく、わずかに弾力もあって美味しいです」
「それはよかった。次は真ん中の中トロを食べてみるといい。赤身より濃厚なはずだ。その横の大トロは中トロの旨味をさらに数倍濃縮したような味だ」
恍惚とした表情を浮かべるアンネリーゼに、ジンは簡単な解説とともにマグロの切り身を説明していく。彼女は言われるがままに中トロ、大トロと口にした。
「ふわぁ。とろけるような舌触りで、味も濃厚です」
「と、溶けました。口にした瞬間に溶けました! 大トロはすごいのですね」
その美味しさにはしゃいでいる。普段は大人びているが、こういうところは年相応の少女だった。ジンはそんな彼女が愛おしくてたまらない。
「あ。もう三つとも食べてしまいました……」
なんてがっかりされると、
「食べるか?」
迷わず中トロを差し出すほどに。
「いいのですか!? ーーいえ、やっぱりそれはジン様のものです。私がいただくわけには……」
「余はマグロを食べたことがある。だから気にするな。それに妻を喜ばせるのも夫の責務だ」
「ですが……」
「ふむ。そこまで言うなら無理強いはせん。なら余がいただこう」
そう言ってジンはこれ見よがしに中トロを口へ運ぶ。アンネリーゼは口でこそ立派なことを言っていたが、視線はジンの中トロに釘づけになっていた。
「あっ……」
惜しむような声を上げたところ、
「ーーむぐっ!?」
ジンによって中トロを口に放り込まれた。反射的に呑み込む。
「美味しいーーではなくて、何をなさるんですか!?」
「中トロを食べさせた」
「あれはジン様の分でーー」
「だがあそこまで物欲しそうに見られると食べにくい。さっきも言ったが、余は夫として妻を喜ばせたかったのだ」
ジンが恥ずかし気もなく言うと、アンネリーゼは照れた。いや、テレというよりデレだ。デレデレだった。さて、そんな彼女の視線はしかし、次の獲物を見定めていた。それをジンは見逃さない。
「……ところで、大トロも要るか?」
「…………いえ。もう十分です」
「そんなこと言って、本当は欲しいんだろ?」
ジンは多少お行儀が悪いことは自覚しつつ、これも妻の幸せのため、と大トロをアンネリーゼの前で左右にプラプラと動かす。彼女の視線も左右に動いた。ジンはぐっと顔を近づけ、
「本当は欲しいんだろ? ほら、言ってみろ。上手くおねだりできたら、この特上の大トロを食べさせてやる」
ジンが気障っぽく、ドSなホスト風に迫る。アンネリーゼの顔はたちまちよく熟れた果実のように赤くなった。
「え、あの……」
「ほら。大トロだぞ。あの極上の味がたったひと言、おねだりするだけで味わえるんだ。安いもんだろ?」
「ひゃん」
耳元で甘く囁く。大丈夫。少しだけ。ほんのちょっと……そんな甘言にアンネリーゼの心は大きく傾いた。
「……です」
「ん? よく聞こえなかったな」
「ジン様の、モノが欲しいです」
「もっと大きな声で」
「ジン様の大トロが欲しいです!」
羞恥心がやや麻痺したのか、アンネリーゼはこれまでの蚊の鳴くような声から一転して大きなよく通る声を出した。ジンは内心、やり過ぎたかなと反省する。だが反省は後だ。それよりちゃんとおねだりできた彼女にご褒美を与えることが先決だった。
「ほら」
「はむ。ーーて、天にも昇る美味しさです」
「それはよかった」
もう少し弄るのも悪くはないが、ジン(素)の羞恥心も天まで届くほどに高まっていたため切り上げる。と、ここで二人の世界から帰ってきたジンはあることに気づく。誰もマグロを食べていないのだ。いや、それだけでなく港の誰もが動きを止めていた。そして一様に顔が赤い。
「どうした? 皆も食べよ」
と催促する。大人なジンは敢えて彼らが固まっていた理由には言及しなかった。
「は、はい。……いただきます」
案内役を筆頭にマグロを食べていき、誰もがその美味しさに驚いた。
「おっ、これは美味い」
「食えるぞ、あのシビが!」
と感動に打ち震えた。特に好評なのが赤身。逆にトロはあまり受けなかった。というのも、
「このトロは脂っぽいな」
「ああ。たしかに美味いが、どうしても脂が気になるな」
そう。肉といわれればサシの入った霜降り肉を想像するジン。だがそれは日本的な考え方だ。この世界では脂のあまりない赤身を食べるのが基本。地球でも脂を好むのは日本独特で、欧米など世界的には赤身を好むのが伝統的な味覚であった。そんな彼ら異世界人に脂そのものといっても過言ではないトロはあまり口に合わなかったらしい。もっともアンネリーゼのように問題なく食べられる場合もあるが。
「脂っぽいと感じるならこの緑の調味料ーーわさびというんだが、これを一緒に食べるといい。脂っこさがいくらか和らぐはずだ。ただし量が多いと辛いぞ」
ジンにわさびをつけるよう促される。それに従って食べてみると、
「美味い!」
「さっぱりした」
「これひとつでこんなに変わるものなのか!」
うって変わって大好評。わさびの力は偉大だった。口の中に脂っぽさが残っているという人々には烏龍茶をジローが配っていた。これも脂を払ってサッパリさせてくれる。ジンもアンネリーゼと飲んだ。
「さっそくシビーーいや、マグロを売り出そう」
「ああ。これなら町の産業になる!」
「ジローさん、頼りにしてます」
マグロを食べた者のなかには町のお偉いさんもいたらしく、あれよあれよとマグロを使った町おこし計画が立てられていった。
のちにジローはこの街にマグロを名物にした寿司店を開業。たちまち人気店となる。彼の弟子たちは各地の港町に散り、その地方の食材を活かした寿司を提供して寿司文化を広めていくのだが、これはまた別の話である。




