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溶けたメロンソーダ


「本当に、私のこと覚えてないんだね」

「……」


俺と向かい合わせに座っている吉岡未来はそう言って少し微笑んだ。その表情が悲しそうだったので、俺は少し申し訳ない気持ちになる。


学校帰りのファミレス。俺はコーラ、吉岡未来はメロンソーダを正面に置いている。端から見れば俺たちは普通の高校生カップルに見えるのかもしれない。しかしそれにしては、カップルらしい話題をひとつも見つけられなかった。


何故こんなことになったのかと言うと、偶然じゃないかもしれないが駅で会った吉岡未来に、いつものごとく話しかけられた。冷たくあしらえばすぐに離れるだろうと思ったが、どうしたのか今日は随分真剣な顔をして、お茶でもしようよと古臭い手で俺をナンパしてきた。勿論断ったが(こっぴどく)、それでもめげない吉岡未来に、俺の方が折れてしまったのだ。


それに、聞きたいこともあった。


「ってことは、俺とお前はどっかで会ったことがあるのか?」

「うん」

「いつ。どこで」


そう聞けば、吉岡未来は躊躇したように目を逸らす。メロンソーダに手を伸ばし、誤魔化すようにストローを吸った。


「そんなに言いにくいのかよ」

「言いにくいっていうか……その通りなんだけど……」

「いいから早く言えよ。俺、そこまで気長くねぇんだよな」

「……知ってる」

「え?」

「大和くんのそういうところ、好きになったから」


本当に、誰なんだお前。心の中の呟きが溜め息になって出た。

吉岡未来はもうひと口飲んだあと、ゆっくりと話し出す。


「よしぶたって、覚えてない?」

「よしぶた……」


何だっけ。どこかで聞き覚えがある言葉だ。


「……あ」


拍子抜けするくらい呆気なく、俺はよしぶたを思い出した。中学の時、そういうあだ名のクラスメートがいたことを。顔も本当の名前もよく覚えてないが、そいつが太っていたことといじめられていたことは覚えてる。しかしよしぶたは、一年の一学期が終わる頃にはもう転校していなかった。それからは誰もよしぶたのことを話さず名前すら出なかったし、中心になっていじめていた奴らは、新しいストレスのはけ口を見つけたようだった。

俺だって、すっかり忘れていた。


「私の、中学の時のあだ名だよ」


自嘲気味に吉岡未来は笑った。

俺は言葉を失ってしまった。それと同時に、あの頃クラスの奴らにいじめられてばかりいた《よしぶた》の姿が走馬灯のように浮かんでは消えて行く。

彼女は暗く、いつも一人だった。


「全然、分からなかった……ごめん」

「仕方ないよ、あの頃私太ってたし、友達なんか一人もいなかった」

「……」

「だから、みんなにいじめられてた。毎日辛くて、死にたいって思ってた」


そう語る彼女は、よしぶただった頃とは正反対だ。普通よりも痩せているし、見せる笑顔は明るい。

……でも、何で俺なんだろう。


その考えを読み取ったように、吉岡未来は呟く。


「君は覚えてないかもしれないけど、大和くんだけは、よしぶたって呼ばなかったんだよ」








〜大和、中学一年〜



「よしぶたぁ、何黙ってんのよ」



まだ先生の来ない朝の教室。外では雨が降っている。湿気た床がずるずると滑る嫌な空気だ。

またやってる、俺は思った。

教室の後ろで、よしぶたと呼ばれる吉岡未来が数人の女子に囲まれているのだ。今に始まったことじゃない。吉岡未来は太っている。だから、よし豚。だれが言い出したのかは知らないが、下らないあだ名をつけられたものだ。

俺は早く授業が始まることを願いながら時間が過ぎるのを待った。


すると、陽太が話しかけてくる。


「またやってるよ、あいつら」

「だな」

「女子って怖ぇな」

「暇なんだろ」


よしぶたをいじめているのは、主に女子の5人グループだった。時々、それに便乗しているやつもいたが。


嫌な笑い声が聞こえ、もう一度後ろを見ると、女子の一人が吉岡未来の鞄を引ったくって中身を全部ばらまいているところだった。鞄の中から床に叩きつけられる教科書に筆箱。その全てに、ひどい落書きがされていることを俺は知っている。


「宮内ー、お前よしぶた助けてやればぁ?」


陽太がそう言った相手は、クラスで一番可愛いと言われている宮内という女子だった。宮内は振り向くと、笑顔でこちらに向かってくる。


「嫌よ。そしたら私がいじめられるじゃん」


宮内はそう言ったけど、それはないと俺は思った。男子から人気のある宮内をいじめれば、逆に反感を買うことを計算高い女たちは分かっているだろう。

宮内はよしぶたをおおっぴらにいじめたりしないし、特別悪い奴ではないけれど、いじめられているよしぶたを面白がっているのは明らかだった。


「ねぇ、私がいじめられたら大和、助けてくれる?」

「知らねーよ」

「冷たーい」


俺が助けるよ、て陽太が勢いよく名乗りでるが、あんたには聞いてないわよ、と宮内に一喝されへこんでいた。


「やめて……」


消えてしまいそうな小さな声が、俺の耳に届く。

しかしそれはすぐに、馬鹿でかい笑い声にかき消されてしまった。


「返して欲しかったら、土下座してよ」


女子グループの一人、渡辺が言う。気が強く、リーダー的存在の女だ。

クラスメートたちは皆、遠巻きにそれを見ていた。

渡辺が持っているのは、吉岡未来の弁当箱だった。

それを高く持ち、わざと揺らして憎たらしい笑顔を見せる。

吉岡未来は困ったように眉を下げ、可哀相なくらい目が涙で濡れていた。


「あんたでぶだから、弁当食べない方がいいんじゃない?」


違う女が言う。吉岡未来は、何も言い返さずに俯いた。顔を真っ赤にして立ち尽くす吉岡未来をまた可笑しそうに女子たちが笑った。


土下座したら返してやるよ。そう言われた彼女は、拳をぎゅっと握りしめたまま、震える足で床に膝をつく。本当にやるのか、という空気が教室をまとった。誰もが心配そうに、しかし面白そうに行く末を見る。

俺は時計をみた。チャイムが鳴るまで、あと2分もある。


隣りにいる陽太が顔を歪めて、うわぁと唸る。宮内も、口元に手を当てて吉岡未来を見つめていた。クラスメートたちが誰一人動かない中、俺は立ち上がった。


「大和?」


呼びかける陽太を無視し、今まさに土下座しようとする吉岡未来の元へ歩く。気付いた女子が怪訝そうに俺を見たが、そいつらを押しのけ、俺は床に両手をついている吉岡未来の腕を掴んだ。


「そんなこと、しなくていいじゃん」

「……」

「お前何も悪くないだろ」


吉岡未来は目を丸くして俺を見返す。クラス中の視線が痛いくらいに注がれた。いつもこんな視線の中で、吉岡未来はいじめられていたのだ。

囲んでいた女子たちは何か言いたげに俺を見た。構わず俺は、渡辺から弁当箱を無理矢理奪うが、渡辺は何も言わなかった。それもそのはず。陽太の情報によればどうやら渡辺は俺のことが好きらしいのだ。どうでもいいけど。


誰も言葉を発さなかった。俺は弁当箱を吉岡に返す。受け取った彼女は何が起こったのか分からないといった様子で立ち尽くしていた。


ちょうど、チャイムが鳴った。クラスメート達は、何事もなかったかのように自分の席に戻って行った。










「あの時は嬉しかった。大和くんはかっこよくてスポーツもできて、クラスでもすごく人気だったし、友達も多かった。私なんかとは正反対。だから、びっくりしたんだ。びっくりしすぎて助けて貰ったのにお礼も言ってなかったね……」

「……別に。俺だってそんなこと忘れてたし」

「うん。でも、ありがとう」


そう言って笑った吉岡未来の瞳に、涙が浮かんでいるのに気付いて俺は慌てて目をそらした。


「高校生になって、初めて駅で大和くんの姿を見つけた時は運命だって思ったよ。制服で、すぐに男子校だって分かった。思わず学校まで押しかけちゃった。でも、全然覚えてないんだもん。少し寂しかったけど、それ以上にほっとしたよ」

「……悪い。でも、お前変わったよ。全然、普通じゃん。いや、普通より可愛くなったって言うか……。そりゃあ俺も何回も冷たくしちまったけどそれは……」


何が言いたいか自分でも分からなくなり、結局最後まで言えずに黙ってしまった。それでも吉岡未来は嬉しそうに笑う。事実、彼女は可愛かった。


「良かったら、携帯教えてくれないかな」

「え?」

「友達に、なって下さい」

「……いいけど」


何だかすごく、恥ずかしくなってわざと素っ気ない返事になってしまう。






溶けたメロンソーダ

(ありがとうって、それでも彼女は、もう一度泣いた)









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