story,Ⅰ:ガーベラ島の夜明け
「今のところ、勇者側が優勢になっております。魔王様」
「……」
側近のウォルフガンクが、バルコニーで手の平から小鳥に餌を与えているショーンへと、胸に片手を添え少し前へと頭を下げる姿勢にて、述べた。
それをショーンは無言で聞いていた。
「しかし我等魔王軍も、少しずつではありますが前進しております。きっと、直に追いつくでしょう──」
「“きっと”だと……?」
これにようやく、ショーンが口を開く。
「“きっと”ではなく、必ず追いつけ」
「はっ!!」
普段物静かながらも、厳しいショーンの言葉に、ウォルフガンクは深々と頭を下げた。
──「クソッ! アングラードもダメだったか!!」
占術士の間にて、水鏡を覗き込んでいたルナールが、苛立ちを露わにする。
すると背後から、クスクスと笑い声が彼女の耳へ飛び込んできて、ルナールはそちらへと振り向く。
そこにいたのは、双子の弟であるクラークだった。
「随分と弱小な部下揃いだな。愉快で仕方がない」
「クラーク! 貴様……この私を笑いに来たのか!!」
「如何にもだが? ご覧の通りだ。クックックック……!!」
「……ッ!!」
クラークの反応に、ルナールは歯噛みする。
「俺の方は、島を一つ落としたぞ。お前は何をやっている? よもや勇者一行のレベル上げの手助けか? クハハハハハハ!!」
「ええい! 黙れ!!」
「俺に笑われたくなけりゃ、もっと“本気”、出したらどうだ? アーッハッハッハッハ!! それじゃあな。──“無能”」
クラークは言い残すと、更に大笑いしながらその場を後にした。
その弟が立っていた場所を、口惜しそうにルナールは睨み付けるのだった。
「え? エルフマジック、ですか?」
「うん。そう」
キョトンとするガルシア・アリストテレスに、フィリップ・ジェラルディンが笑顔で首肯する。
「確かに、マリエラさんにはその能力がありましたけど、俺にはないと思いますよ?」
ガルシアは顎に手を当て、小首を傾げる。
「この本の中には、光と闇のエルフ次第でそれぞれ、異なるエルフマジックがあるみたいなんだ」
「……そう言われると、父親が時々使用していたような……前魔王、ファラリスに死に際で使用したのも、その内の一つだったかも……」
「この本読んで、ちょっと練習してみてよ」
「はい……」
フィリップから本を受け取り、ガルシアはそのページに視線を落とした。
ここは教会の一階にある礼拝堂。
地下は血生臭いので、こちらへと上がってきたのだ。
フェリオ・ジェラルディンの肩には、赤猫ルルガが乗っていて、椅子に踏ん反り返って座っているレオノール・クインの足元には、青毛の狼が蹲っている。
そう。この狼はアングラード=フォン・ドラキュラトゥの成れの果てだった。
今やレオノールの使い魔になっている。
逃走しようものなら、毛穴と言う毛穴から血が噴出して絶命する呪いが、かかってしまっているのだ。
何せ本性はヴァンパイアなので移動するにも、ちょっとした足手まとい的に昼間の移動が制限されてしまう訳だ。
それに、何せこのガーベラ島を覆っている闇を取り払わなければ、せっかく生還した住民達にとっても不便な事この上ない。
そうするとせっかくレオノールが入手した使い魔、アングラードを灰と化す。
そこでどうしたものかと皆、頭を抱え込んでいる中フィリップが荷物の中にある、本を読み漁っていたのだが。
ここでようやく、ヒントを得たらしかった。
魔王から駒を一つ、奪ったのだ。
この調子で彼等から、一つ一つ駒を得て最終決戦に臨もうと言うのが、フィリップのアイデアだった。
“エルフマジック”とは、魔法とは違いエルフが皆、生まれながらに持っている能力らしいのだが、ガルシアはその能力を開花させる前に両親が死んでしまい、今に至るまで無能のままであった。
一緒に過ごしてきたマリエラにより、光のエルフの文字は学んだが闇のエルフ文字は、学んでいない。
せいぜい、あいうえお程度の知識しか、ガルシアは知らなかった。
フィリップも、ある程度の言語は勉強したが、闇のエルフ文字は皆無だったのだ。
「えーっと……エ……ル、フ……ライム……?」
「……」
何も起きない。
「違うみたいだね」
フィリップが指摘する。
「エルフまでは何とか読めるんだけど……次の文字が……んーと、エルフ……セイム」
何も起きない。
「エルフスイム……エルフ、エルフネイム──エルフハイム──エルフヘイム──んんー、“イム”は解読出来たけど、この一文字が読めない……こんな事なら、ちゃんと家庭教師の言う事聞いてまじめに勉強するんだった……」
ガルシアは、肩を落とす。
「どんまいガル」
フェリオに励まされ、ガルシアは嘆息と共に更に続ける。
「エルフホイム──エルフマイム──エルフレイム──エルフ……タイム」
直後、ガルシアの視界がチカチカと小さな光の粒が瞬いた。
「──これだ!」
ガルシアの脳裏に、言葉が浮かんでくる。
「この者の立場を交代せよ。エルフタイム」
ガルシアは青い狼姿のアングラードの腰元に手を当てて、そう述べるとゾゾゾワとアングラードの全身の毛が逆立った。
「今のは何の効果があるのか、分かる?」
「はい! 属性反転の力です!」
「って事は……」
フェリオが呟く。
「こいつは闇属性だから……光属性になったって事か?」
「はい! その通りです!」
それを証明するかのように、アングラードがこのガーベラ島に覆っていた闇が消滅したではないか。
弱くてまだ薄暗い日差しが、柔らかく教会内を浮かび上がらせる。
「体内時計が狂っちまってるぜ……今は早朝か夕刻か、どっちだぁ?」
レオノールが上半身を大きく伸びをさせながら、そう口にする。
「早朝だね。僕達がガーベラ島に上陸したのが午前9時くらいだったから、もうすぐで24時間だ。──ね? 僕が宣言した通り、24時間内で済ませたでしょ?」
フィリップは言うと、ニッコリと柔和な笑みを浮かべた。
「おいワン公。調子はどうだ」
レオノールが青い狼に話しかけると。
「ワン公とは失敬な! これでも私は狼だ! あんな家畜動物と一緒にしないで頂きたい!」
アングラードは答えた。
「狼としてのプライドの高さはあるんだな。関心関心!」
「もう夜が明けて、太陽が顔を出すよ。覚悟と心の準備はいい?」
フェリオがアングラードへと声をかける。
「ああ、何たる心優しいお言葉……はい、大丈夫です。もしこれでも灰化すれば、所詮はその程度の生命力でしかなかった証……」
「何がだ。死にたくないとピーピー騒いで俺の使い魔になった分際が。下手な格好付けんじゃねぇ」
そう話している内に、朝日の一抹が教会の窓から差し込んできた。
「あの日差しに飛び込んで来い! 手っ取り早い」
「全く。人使いの荒い主だ……」
「てめぇが今までやってきた事と比べりゃ、クソ優しいだろう!!」
レオノールの言葉を背に、アングラードは息を飲み込んでおそるおそる日差しの中へと一歩、足を踏み入れた。
そして、二歩、三歩と進んで、すっかり全身を日差しの中へと入れた。
「ヤッタ……やりましたよ主!! 私は太陽の中でも生きてる!!」
大喜びするアングラードだったが、レオノールは胸糞悪かった。
「今までてめぇがしてきた事を振り返って、謝罪と感謝しやがれよ。生かしてもらった事にな! そして表に出て、穴でも掘っておけ」
「……え? 穴??」
キョトンとするアングラードを他所に、レオノールは地下へと下りて行く。
これで、言葉の意図に気付いたフィリップが、みんなを教会の外へと連れ出した。
そして数分後──フランケンの遺体を担ぎ上げて礼拝堂から外に出て来たレオノールを、フェリオが手招きした。
「こっちこっち!!」
そこには、しっかりフランケンの身長ほどの墓穴が掘られていた。
レオノールはそこへ、そっとフランケンを横たえると、土を被せていった。
そしてその場を後にする間際、彼が生前飼っていた犬、猫、小鳥がその墓に身を寄せている姿を確認してから皆、正面へ向き直って静かに教会を立ち去った……。
勇者一行が船に乗り込み、出航した時だった。
どこからか声が聞こえ、そちらへ顔を向けると陸地に人々が、ぞくぞくとやって来ていた。
「勇者様~! ありがとうー!!」
「どうかお気をつけてー!!」
「さようなら勇者様ー!!」
島民達は一斉に船へと大きく、手を振って見送っていた。
笑顔を、輝かせながら。
「見ろアングラード。あれがお前が命を軽視した、人間の本来の姿だ」
レオノールは、アングラードをデッキに連れ出してから、言った。
この言葉に、アングラードはハッとさせられた。
「さようなら皆さ~ん!!」
「どうかみんな、お元気でー!!」
フェリオとガルシアはデッキの柵から身を乗り出して、大きく手を振った。
「しかし私は……闇の貴族、ヴァンパイアでしか……」
「俺も魔人だが、フランケンの為に涙を流した。それに、あの時日差しの中で見せたお前の喜びは、人間と共感出来る、違わぬものだろう?」
「……!!」
「一緒さ。お前も、人間も。悪に堕ちるか、善に翻るかは。その者の“環境”だ。お前もすぐには無理だろうが、少しずつ知っていくといい」
レオノールは、そう捨て台詞を残してから、フェリオとガルシアの元へ行き一緒に陸地へと、手を振った。
「次に来た時ァ、旨い酒たらふく呑ませてくれよーっ!!」
船が遠ざかり、人々の姿が粒になっていく中、先に身を翻したフィリップが目に入った光景に、口を開く。
「あれぇ? 何? もしかして泣いてるの? アングラード」
「目にゴミが……」
「クス……お前は何年、生きてるの?」
「……さてな」
「ふぅ~ん。実はお前を泣かせたあの娘、まだ18歳」
「えっ!?」
「更に言うと、あの勇者のダークエルフの少年は、100歳」
「ええっ!?」
「ホント、生きた年じゃなくて、経験だよね」
そう言い残してフィリップは、ケラケラと笑いながらデッキから立ち去ろうとする彼を、アングラードが引き止める。
「そういうそなたは!?」
「僕? 僕は28歳だよ。だけど……──俺を傀儡化させた事実はレオノールに免じて見逃してやろう。今後は死んだつもりでしっかり働きやがれよ」
仏の笑みから刹那、邪悪な表情を見せるとフィリップは、船内へと姿を消した。
「あ……あやつが一番謎な存在やも知れぬ!!」
愕然とする、アングラードなのであった。
しかし一時間後。
「朝食出来たよ~!!」
フィリップの掛け声にいち早く反応して、ダイニングルームへと飛び込んでくるフェリオ。
「わぁ! どれも美味しそう! やっぱり空腹が一番のスパイスだね♪」
そう言ってから、怒涛の如く食べ始めた。
属性反転になってからアングラードは、血液ではなく普通の食事を摂取する事が出来るようになったとはいえ、これには驚愕を覚える。
次から次へと、更が山積みになっていく。
「おい獣。骨食うか?」
レオノールから声をかけられ、アングラードは反論する。
「私が狼だからとて、骨と結びつけるなこのバカ!!」
「ほぅら、取ってこーい☆」
「ウォ~ン♪」
放った骨を敏感に拾いに椅子から飛び出していくアングラードは、骨を咥えて戻ってき尻尾を大きく振りながらも、再度文句を言う。
「何をやらせるんだ! このバカ!!」
しかしその時、斜向かいに座っていたフェリオがこれだけ大量のご飯を食べているにも関わらず、見る見る縮んでいったではないか。
「お、24時間経過したようんだね」
フィリップが悠然と述べる。
しかしフェリオは、成人用の衣服を体に巻きつけてから、食べ直す。
「あのっ、あのっ、こ、こ、小娘がっ! ガキにっ!!」
口をパクパクさせるアングラードを後目に、皆は何事もなく食事の手を進めるのだった。




