story,Ⅴ:光と闇のエルフ
尻餅を突いて呆けているフェリオ・ジェラルディンだったが、そのピンクの眼差しから涙が零れているのに気付き、その女性はそっと片手を上げて涙を優しく拭う。
「あらあら。泣いているじゃないの。どこか、痛めたかしら?」
「いえ、これは……」
言いながら、フェリオはその女性へ視線を上げたが、その女性があまりにも美しく微笑むので何故か更にフェリオのピンク色の瞳から、涙が次々と溢れてきた。
「ふえ……え、えぇ~ん……っ!!」
泣き声を上げたフェリオに、ぶつかった男は慌てふためいた。
「そ、そんなにどこか痛むのかい!?」
「ひとまず、中にお招きしましょう。いらっしゃい、お嬢さん」
こうしてフェリオは、二人の男女に誘われ彼らの家の中へと移動した。
「何か……あったのですか……?」
美女がフェリオをテーブルの椅子へと促す。
「ココアをお作りして」
美女に言われ、青年は流し台へと立つ。
フェリオはその美女の優しさに甘えて、自分に起きた出来事を捲くし立てるように、話して聞かせた。
「まぁ、そのような事が……それで泣いていたのですね。さぁ、もう涙を治めてココアでもお飲みなさい。気持ちが落ち着きますよ」
彼女に言われるまま、フェリオは青年が作ったマシュマロ入りココアを口にする。
確かに心が、ホッとする。
よくよく見ると、青年の方は褐色の肌に銀髪、紫と緑色のオッドアイをした外見だった。
耳の形は、美女と同じ笹穂形だ。
「お嬢さん。お名前は?」
彼女に尋ねられ、フェリオは一拍置いて答えた。
「フェリオ。フェリオ・ジェラルディンです」
「そう。よろしくねフェリオ。私はマリエラ・マグノリア。そしてこちらが……自己紹介なさい」
美女──マリエラは言うと、褐色肌の青年へと言葉を振る。
「別にもう会うことのない泣き虫娘子などに、名前を教える必要なんか……」
「ガル」
口答えする青年へ、マリエラが厳しい口調で一言、告げる。
これに半ば慌てるように態度を改める青年は、口を開いた。
「僕の名はガルシア・アリストテレスだ」
そう青年──ガルシアは、腕組をし高飛車に吐き捨てた。
しかしフェリオは気を悪くするどころか、キョトンとした様子で二人へと訊ねてきた。
「その耳……もしかして」
これにすぐガルシアが口を挟む。
「そうだ。お師匠様は精霊王とも呼ばれる、あの光のエルフの民族だ。そして僕は邪悪と言われているダークエルフ。だが僕は、マリエラ様を人生の師としてお慕いしている。師と弟子の立場だ」
「ふ、ふ~ん。そうなんだ?」
相変わらずキョトンとしたままのフェリオの反応が、気に喰わなかったらしいガルシアは握り拳を作る。
「“そうなんだ”とは何だ! 僕らはお前ら人間とは違って気高くも才ある高等種族なのだ! 頭が高いわ!!」
激昂するガルシアを前にしても、脅える事無くあっさりとした反応を見せるフェリオ。
「だってボク、あまりエルフに詳しくないから、価値なんて判んないよ。一度エルフの村に行っただけ」
呆けた様子でケロッと言ったフェリオの言葉に、緊張が二人に走る。
するとその時。
玄関ドアの外からカリカリと音がして、思わず身構えるガルシア。
「大丈夫よガル。ドアを開けて」
マリエラに言われて、おずおずとドアノブに手を伸ばしゆっくりと開けた、その時だった。
「ウニャニャーン!!」
僅かな隙間から、一匹の赤猫が滑り込んできて、フェリオの肩に飛び乗ってきた。
「ルルガ!」
「まぁ、あなたの猫?」
「うん! よくボクがここにいるって分かったね。ルルガ!」
「フニャオ~ン……」
鳴き声と共に喉をゴロゴロさせて、フェリオの頬に擦り寄る。
「お前……その猫──」
「よしなさいガル。この猫、こんなにもフェリオに懐いているじゃない。大丈夫よ」
ガルシアとマリエラの反応に、フェリオが小首を傾げる。
「え? 何かルルガに問題でも?」
「いいえ。とても可愛らしい猫ちゃんね。そう……お前はこの子を選んだのね」
「ンニャア」
マリエラの言葉に、まるでルルガが答えたようだった。
「不思議……まるでマリエラさんとルルガ、会話しているみたい」
無邪気にそう言ったフェリオに対して、ガルシアはフンとばかりに鼻を鳴らして腕組みした。
「当~然だ! 娘子──いや、えーっと、フェリオとやら。お師匠様はこの街では欠かせない程の偉大なお方! 何と祈祷師であり薬師でもあるのだ!!」
ガリシアはオーバーなまでの動きで、マリエラへ両手を指し示す。
「そして僕は、その愛弟子だ!!」
ガルシアは続けると、自分へと親指を差す。
「祈祷師……──って?」
しかしフェリオのこの反応に、ガルシアはずっこけかける。
「お、お前、そんな事も知らないのか~!?」
呆れた様子で言うガルシア。
「そうね。そのおかげで、こうして猫ちゃん……ルルガちゃんと、魂で語り合う事が可能であると言う事よ」
マリエラは優しい口調で、フェリオに教えるとニッコリと笑顔を見せた。
「ふぇ~!? 凄い!! いいなぁ! ボクもルルガと話せたらいいのに!」
フェリオが羨望の眼差しで言ったのを、ガルシアが意地悪な笑みを口角に浮かべる。
「甘いわ人間風情が! そう簡単に、お師匠様のようになれると思わないことだな!!」
「ガル!!」
「はい! すみませんお師匠様!!」
マリエラから厳しい口調で名指しされ、ガルシアは慌てて体を立て直す。
「さぁ、落ち着いたのなら、仲間の元へお戻りなさい。きっと心配しているわ。ガル、お送りして差し上げて」
「えーっ! どうして僕が」
「フェリオは女の子でしょう。少しは紳士らしさを学びなさい」
マリエラからの手厳しい言葉に、グゥの音も出ずガルシアはフェリオと共に外へ出た。
「何か悪いね。ボクを宿屋まで送ってもらって」
「お師匠様からのご命令だからな。仕方がない」
申し訳なさそうなフェリオへ、ガルシアは素っ気なく答えた。
「しかしこの街、凄く賑やかで広いねぇ! ガルが送ってくれなきゃきっと、迷ってたよ!」
「何だお前……人間風情の上に、田舎者か」
道はたくさんの歩行者に溢れ返っていて、誰もが無関心にすれ違って行く。
「フン。ベジタブル大陸と、橋で繋がっているグリーン大陸から外には、19年間一度も出た事がなかったからな」
「成る程……だからエルフの村を知っていたのか……って、え? 19年間!? 人間の19年は確か……」
話しながら途中で驚きを露わにするガルシアの様子に、フェリオは平然と首肯する。
「そっ。本当ならボク、もう大人の体型なんだ。でも、魔王から不老の呪いをかけられちゃって、ずっとこのまま」
「え゛っ!? 魔王!?」
何気なく口にしたフェリオの言葉に、更にガルシアは驚愕する。
その時。
「──リオ。探しましたよ」
落ち着き払った男の言葉に、フェリオとガルシアは同時にそちらへと顔を向ける。
そこにいたのは、ショーン・ギルフォードだった。
「ショーン……」
「ノールから、あなたを迎えに行くよう、叱られてしまいましてね。先程は、申し訳ありませんでした」
ショーンは言うと、片膝を地に着き頭を下げた。
相変わらず、抑揚のない口調ではあったが。
そんなショーンの、この世へ誕生し100年経過した今まで見たこともなかったその紳士的な言動に、ガルシアは脳天から雷を受けたような衝撃を受けた。
下品で野蛮と言われているダークエルフである、ガルシアにとってマリエラとの出会い同様の衝撃を、ショーンを前にして受けたのだ。
「す……素敵だ……!!」
思わず口に出てしまう。
先程のマリエラの言葉の形が今、自分の目の前にいるのである。
「ところでこちらの……ダークエルフの方は、どなたでしょう?」
「あ、えっと……」
どう説明すべきかと少し口ごもっているフェリオを他所に、ズイとガルシアは一歩前へ進み出た。
その紫と緑の双眸を煌めかせながら。
「君はこのフェリオとは、どういった関係者だい?」
「……旅仲間ですが、そう言うあなたはこのフェリオとはどういう関係者なのでしょう?」
そう訊ねたショーンではあったが、相変わらず感情を表にしない。
しかし今の彼の様子が、今までとは違っている事など知る由もないガルシアは、肩を竦めて両手をやれやれとばかりに肩の高さまで上げる。
「僕とこの娘子に関係者などとの間柄はなく、寧ろ迷惑をかけられた被害者だよ。今日だけで、二度もこの僕にぶつかってきた」
「……それは失礼致しました。では、この子は私が、この場にて引き取りますので」
その言葉を残して、フェリオと共にガルシアへと背を向ける。
「待ってくれ! せめて君の──」
「“名を”ですか? 残念ですがダークエルフの少年。人間の社会では、相手に名を告げる前に先に自ら名乗るのが礼儀なのですよ。それでは」
ショーンは振り向きもせず、背中で言い残すとそのままフェリオを促し、歩き去って行った。
そんな彼の背中を、黙ってガルシアは見送った。
よもやその眼差しには、憧憬の光が宿っている事など誰も、知る事無く。
「確かあのフェリオとやらの娘子は、あの紳士をショーンとか、呼んでいたな……」
そうガルシアはブツブツと呟きながら、マリエラの待つ家へと戻って行った。
「あいつ、ガルシアって言うダークエルフなんだけど、何も知らないとは言えボクを子供扱いして馬鹿にするんだ。ムカつく奴だったよ。ねぇ、ルルガ!」
「ゥニャ~ン」
「エルフは光でも闇でも、プライドだけは高いですからね……」
フェリオの愚痴に答えながら宿屋に戻り、部屋のドアを開けるともうフィリップ・ジェラルディンが意識を取り戻していた。
「お兄ちゃん! もう大丈夫なの!?」
フェリオは言うなり、ベッドの上のフィリップへと飛びつく。
「うん。もうすっかり」
フィリップは微笑むと、妹のピンク色の髪を優しく撫でる。
「心配しましたよ。フィル……」
ショーンがもどかしそうな様子ながら、胸を撫で下ろし大きく一息吐く。
「ごめんねショーン。成り行きは、レオノールから聞いたよ。本当にありがとう」
「構いませんよ。私は当然のことをしただけですので」
ショーンはフィリップの言葉を受け取ると、半ば動揺を隠すかのように突如、冷淡に答えてクルリと部屋へ背を向けた。
「アレ? どこか行くの?」
訊ねてきたフェリオの声に、ショーンは抑揚なく答えた。
「自分の部屋でシャワーを浴びに。ハムモグラ臭いので」
これに思い出したようにフェリオとレオノール・クインも、体を弾ませて反応する。
「そうだった! ボクもだった!!」
「下に大浴場があるから、俺らはそこで一風呂浴びようぜ!」
「じゃあ僕は、この部屋のバスルームでシャワーを浴びる事にするよ」
フィリップも自分自身をクンクン臭いながら言った。
こうしてそれぞれ、別々に入浴するのだった。
風呂を終えて皆、食堂へ下りた時一人の老婦人が明らかに見て分かるほど、困惑している様子だった。
「どうしたんですか? ご婦人」
フィリップが声をかける。
すると老婦人は、震える手を顔に添えながら、説明を始めた。
「それが……私が街中で体調を崩しているところを、エルフの女性から処方された薬を頂いたの。すると一緒にいた若い男のエルフが、体調が優れた時に薬代を持ってくるよう、言われたのだけれど私、家を知らなくて……」
これに、思いっきり心当たりのあるフェリオが、挙手して声を発す。
「あ! それならボクが知ってるから、持ってってあげるよ!」
だが老婦人は溜息を吐いた。
「あなたみたいな、子供にお金を預けるのは不安だわ……」
「ムキーッ!!」
怒りを露わにしているフェリオを他所に、ショーンが名乗り出た。
「では、少しはここの土地勘がある私が、お供しましょう」
彼の身なりを頭から爪先までしっかり見てから老婦人は、ショーンが信用に値すると確信したらしい。
「じゃあこれ、4500ラメー、お渡しするわ」
「確かに、預かりました。領収書を貰ってくるので、ここに必ずいてください。ご婦人」
「ええ。分かったわ」
こうして、フィリップとレオノールを食堂に残して、ショーンとフェリオは一緒に外へ出た。
「付いて来て! すぐそこだよ!」
足取り軽く先行くフェリオの後を、悠然とした足取りで黙って付いて行くショーン。
そして10分ほど行った先に、二階建ての白木の家があった。
「ここだよ。マリエラとガルシアの家」
フェリオに紹介されて、ショーンはドアに付いている鉄の輪っかを掴むと、それでドアをノックする。
「はい。どなたかな」
中から、男の声。
「人に頼まれて、薬代を持参致しました」
「ん? その声は……」
言葉と共に、そろりとドアが開いたかと思うと、ダークエルフのガルシアが顔を出した。
そしてショーンの存在に気付くと、パッと満面の笑顔を浮かべる。
「君は昼間の、ショーンじゃないか!」
「……何故私の名を」
「エルフは耳が良いんだよ。あのピンクの髪の娘子との会話で名を聞いたからね」
ガルシアの言葉に、フェリオが答える。
「ボクのこと?」
「ゲ。お前まで一緒か」
フェリオの存在を目視した途端、ガルシアの愕然とした表情に、ムッとして声を大にする。
「ゲ、とは何だ失礼な!!」
すると奥から、マリエラが出て来た。
「ガル。一体何の騒ぎ……あら、フェリオ。どうしたの?」
これにショーンが軽く会釈する。
「やぁマリエラ。同じ宿屋にいる旅行客から、きっとあなたから薬を処方されたらしい代金を、預かってきたんだ」
フェリオの言葉に、マリエラは口に手を当てる。
一方、ガルシアは何気ないふりをして、マリエラの背後に半身を隠す。
「ああ、あのご婦人の事かしら。私はお代は必要ないと申しましたのに」
それにショーンが口を開いた。
「何でも、若い男のエルフからの要望だそうで」
「ゴホ、ゴホン!!」
その雰囲気にガルシアは咄嗟に、ショーンの台詞と咳払いを重ねる。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。
「ガル! 全くまた余計な事を」
マリエラの叱責に、開き直った様子でガルシアは彼女の前へと姿を現しながら、意見を述べた。
「人間を甘やかしてはいけませんお師匠様」
彼の言葉に続いて、ショーンが答える。
「ですから、こうして支払いに伺ったまでですが」
すると、ガルシアの笹穂耳がピクピクと動いた。
「貴方の言葉遣い、とても素敵ですねショーン。とても憧れます」
ガルシアが陶酔した表情を見せる。
これを無視して、マリエラが訊ねてきた。
「あなた達も、旅人なのでしょう? 何でも、魔王討伐が目的らしいけど、魔王の情報は聞かないわよ? どちらの宿に宿泊なさってるの?」
「シャロン亭ってところだよ」
フェリオが答える。
「そう。しばらくはこの街にいるの?」
「おそらくは、一週間から十日程かと」
今度は、ショーンが答える。
「まぁ、そうですの。これも何かの縁。その間だけでも、仲良く致しましょうね」
「……」
マリエラの言葉を、無言でいるショーンへ唐突に彼の片手を取って、両手で包み込むガルシアは満面の笑みで言った。
「仲良く致しましょうね♡」
「うわ、気持ち悪っ!!」
まるでショーンの代弁者のように、フェリオがはっきりした口調で述べた。




