story,Ⅱ:霧の中の化け物
ショーン・ギルフォードと、レオノール・クインは長時間に渡ってオールを漕いでいた為、体力の消耗が大きかった。
「ちょっち……休憩させてくれ」
「そうですね……私も同感です」
レオノールの言葉に、ショーンも同意するとオールを漕ぐ手を、止めた。
すると、フェリオ・ジェラルディンが両手の指同士を組んで拝むように、呪文を唱え始めた。
「我らをその御手で優しく触れたまえ──聖母の御手」
直後、空間から透き通るようなヴェールの如き美しい、巨大な両手が左右から出現するとスゥと静かに、四人を包み込んだ。
まるで彼らの疲労感を、その手で掬い取るようにして交差させると、フワリと四人の体がほんの僅かだけ、宙に浮いた気がした。
そのまま、その両手は空間の中に溶け込むようにして、消滅する。
それまで、二倍の重力がかかったかにして体が重かったのが、嘘のように、いや、寧ろそれ以上、まるで羽根が付いているのではないかと思えるほど、体がとても軽くなった。
多人数対象の、全体力回復の白魔法を、フェリオが使用したのだ。
今までは、レベルの低さで使用出来なかった魔法だ。
「よぅし! 休憩中のお食事タイムにしようっ☆」
まるで、何事もなかったように、荷物をたぐり寄せるとフェリオは、食料を取り出すのだった。
食事を終え、一時間程ゆっくり、仮眠をしたりして過ごしてから、再出発を開始した時だった。
ポツ……ポツン。ポツポツポツン。
空からの水滴に、フェリオが空を仰ぐ。
「これ……雨? 降ってきたみたいだよ?」
「マジかよ。最悪だ」
レオノールは嘆息と共に、片手で顔を覆う。
「ひとまず、レインコートを着込みましょう」
そうして四人が、アタフタとレインコートを着ている間にも、雨脚はどんどん強くなっていく。
レインコートを着込むと、ショーンが険しい表情で言った。
「これだけの豪雨……ボートに雨水が溜まらなければ良いのですが……」
その時。
ふと遠くから、何か聞こえた気がした。
それはショーンだけでなく、他の三人も同じだった。
皆、耳を澄ませるが、雨音に紛れてはっきりとは聞こえない。
だが、何とも軽やかな音だ。
「?」
ここでフィリップ・ジェラルディンが、豪雨で煙る海原の中、何かを発見した。
それは、このボートから数m離れた上空にいる、小さな影だった。
数にして、六つ。
どうやら、その影が発している音らしいが、雨煙のせいで姿をよく確認出来ない。
「チッ」
フィリップは小さく舌打ちをすると、早口で呪文を唱えた。
「かの者の情報を与えよ──予知調査」
するとフィリップの手の平の上に、魔法文字が浮かび上がった。
“ヒン-チュカーニョー。一見すると愛らしい小鳥の姿だが、その甘美な鳴き声は睡魔をもたらし、誘惑に負けて眠ってしまうと体内に侵入し、魂を盗んで死に至らしめる”
もれなく、彼の隣で一緒に予知調査を読んでいたフェリオは、ハッとした顔でショーンとレオノールへ顔を向ける。
「この音を聞いちゃダメ!! 耳を塞いで!!」
だがしかし、レオノールがもう眠ってしまっていた。
ショーンが、のんきに彼女の頭に肩を貸していた。
「まずい! ショーン! レオノールを“目覚まし時計”で叩き起こして!!」
フェリオは叫んで、鞭を構えた。
一羽のヒン-チュカーニョーが、眠ってしまったレオノールの体内へ飛び込まんと、鳴き声を上げながら突っ込んできた。
「ラリ、ラリ!!」
「レオノールの魂は渡さない!!」
フェリオは言葉と共に、鞭を振るう。
一方、ショーンは眠りの回復アイテムである、“目覚まし時計”を荷物から取り出していた。
スパン!!──フェリオの鞭が、上下にヒン-チュカーニョーへとヒットした。
ヒン-チュカーニョーは、二つに裂けて、海の藻屑と化した。
「ノール。目覚めなさい!」
声をかけるとショーンは、彼女の耳元でベル型の目覚まし時計を派手に鳴らした。
これには堪らずレオノールの両目が、勢いよく見開かれる。
「あれ……? 俺、寝てた……?」
「あの小鳥の鳴き声に負けると、寝ちゃうんだよ! 気を引き締めて!!」
フェリオが声を大にして、彼女へと伝える。
「ラリ、ラリ!!」
「ラリ、ラリ!!」
残った五羽のヒン-チュカーニョーが、精一杯に鳴き声を上げる。
「騒々しい」
気付くと、フィリップが弓矢を構えていた。
彼が裏人格の時での、使用武器だ。
「あの世で囀れ」
フィリップはポツリと呟くと、矢を放った。
矢は豪雨を切り裂くように真っ直ぐと滑空し、一羽のヒン-チュカーニョーを見事、射抜いた。
矢を受けたヒン-チュカーニョーは、先ほど同様、海の藻屑となる。
残るは四羽だ。
「ラリ、ラリ!!」
「ラリ、ラリ!!」
見た目は、黄鶺鴒のような小鳥であるヒン-チュカーニョーは必死に鳴きながら、頭上を飛び回っている。
フィリップは引き続き、矢を構える。
フェリオも、ヒン-チュカーニョーを睨み上げていたが、ふと気付くと今度はショーンが眠り込んでいるではないか。
これに、一羽のヒン-チュカーニョーがショーンめがけて飛び込んできたのを、レオノールがまるでバレーのアタッカーのようにして、それを海面に力一杯叩き込んだ。
「オルァッ!!」
彼女からの痛恨の一撃のより、そのヒン-チュカーニョーも真っ黒い海へと消えた。
「ショーンが……!」
フェリオが心配そうに、レオノールへと声をかけた時、ショーンがパチリと目を開いた。
「あの小鳥を接近させる為の演技ですよ。本当に眠ってはいません」
言ってショーンは、ニコリと笑顔を見せる。
その間、フィリップが再びヒン-チュカーニョーを射抜いていた。
残すは、二羽。
「ラリ、ラリ!!」
「ラリ、ラリ!!」
「この俺様の矢から、逃れられると思うなよ」
フィリップは言うと、三本目の矢を放つ。
すると、まるで串団子のように、二羽ともを一緒に射抜いていた。
「フン」
勝ち誇った表情を浮かべるフィリップへ、レオノールが声をかけた。
「てめぇもすっかり、弓の腕前を上げたな!!」
「チッ……」
これにフィリップは、舌打ちをする。
「これで全ての小鳥を退治しましたね」
「うん! 全く、この雨の中にエンカウントしたから、超煩わしかったよ! ボク!!」
ショーンの言葉に、フェリオは腕を組むと大きく頷く。
これに合わせて、彼女の豊満な胸がプルンと弾んだ。
「ああっ! 全くだ!!」
レオノールも無意識に同じく腕を組むと、やはり彼女の豊満な胸も負けじと大きくタプンと揺れた。
だがふと気付くと、少しずつ視界がぼやけ始めた。
「……霧か」
フィリップが、ポツリと呟く。
すると遠くの方から、ギシギシと木材が軋むような音を響かせながら、何か巨大な物が近付いてくるのが分かった。
「フ……お約束だな」
フィリップは言うと、ニヒルな笑みを浮かべた。
降りしきる豪雨。
荒れ狂う暗い海。
視界を奪う真っ白な霧。
しかし、そんな中でこちらへと近付いてくる軋み音。
フィリップ・ジェラルディン以外の三人は、思わず息を呑む。
すると、霧の中から黒い影が浮かび上がった。
咄嗟に三人は、身構える。
やがて、影が完全な姿を曝け出した。
「これは……船、だよね!?」
フェリオ・ジェラルディンが、誰ともなく尋ねる。
「ああ……そうだな……」
「ええ……間違いありません……」
レオノール・クインの、愕然とした返答に、ショーン・ギルフォードも後に続く。
ギギギギギ……ギシ、ギシ……ッ。
軋み音と共に、“船”はボートに横付けする形でゆっくりと、止まった。
その船は木造の大型船で、首が痛くなりそうに上を見上げながら、その船の大きさに圧倒されて思わず体を仰け反らせる、フェリオとレオノール。
帆は付いているが、ボロボロに見える。
「あ、危な……もしぶつかってたら、こんなボートひとたまりもなく大破してたよ……」
「でも、丁度良かった。この船に乗せてもらおうぜ!! おーいぃっ!! 誰か! 俺らもこの船に乗せてくれーぇ!!」
自己判断したレオノールが、誰からも返事を聞く事無く、唐突に船へ向かって叫んだ。
「霧のせいでよくは見えませんが……大丈夫でしょうか? この船……やたらと静かですよ」
ショーンは言ってから、息を呑む。
すると、上から縄ばしごが投げ込まれた。
「お? ほら、大丈夫そうだぜ! とりあえずこの天候じゃ、ボートが沈むのも時間の問題だったろうし、乗せてもらおうぜ!」
「フィリップは、どう思いますか?」
ショーンが、フィリップへと意見を求める。
「どうとでも」
「裏フィルお兄ちゃんを当てにしても無駄だよ」
妹のフェリオが、兄の素っ気ない返答に続いて、ケロリと答えた。
「そのようですね……──ッ!!」
嘆息混じりで返事をしてからショーンは、突如激しい頭痛に襲われ、片手を当てた。
「どうかしたか? ショーン?」
これに、レオノールがいち早く気付いて、声をかける。
「い……いえ……だい……丈夫、です……」
そう言った割りには、ショーンは顰めた表情を浮かべている。
「雨に当てられたのかも。早く船に乗り換えよう」
フェリオの言葉に、レオノールは首肯した。
「ああ。そうだな」
見ると、何とフィリップはもう、率先して梯子に登り始めていた。
「マジあいつ、マイペースだな」
「裏人格だからねー」
ムッとするレオノールの様子に、さすがのフェリオも苦笑を浮かべた。
「リオが次に登ってくれ。その後に俺らが登る」
「了解~♪」
フェリオはレオノールに、親指と人差し指で作った輪っかを見せる。
一方、ショーンは相変わらず頭を、片手で抑えていた。
重い鈍痛が、脳内を響き渡る。
自ずと眉間に皺が寄る。
「大丈夫か、ショーン? 何だったら、落ち着くまで俺も待つぜ?」
レオノールが、彼の顔を心配そうに覗き込んできたので、ショーンは少し慌てて平気な顔をして見せた。
「リオの言う通り、雨に当てられたのかも知れません。直、治りますよ。ですから次は、ノールが登ってください」
「でも……」
「私なら最後でも、問題ありませんから」
不安そうなレオノールへ、ショーンはニコッと微笑んで見せた。
「……分かった」
レオノールは首肯すると、フェリオが途中まで登り続けているのを確認してから、梯子に手をかけた。
そして彼へ振り返るレオノールに、ショーンは優しく微笑を返して見せる。
「必ず無理するなよ」
「ただの頭痛です。心配なさらないでください」
やがて、レオノールも梯子を登り始める。
それを見て、ショーンも梯子に手をかけると、ふと嘘のように頭痛が治った。
これにより重く感じられた頭も、スゥと軽くなる。
半ばまで登って見下ろしてきたレオノールへ、ショーンは笑顔で親指を立てて見せると、梯子を登り始めた。
「……」
一番最初に大型船の甲板に降り立ったフィリップは、周囲に神経を張り巡らせる。
霧のせいなので、はっきりとは見えないが不気味なまでに、静まり返っているのが解かる。
時間帯的に、まだ夕刻前なので船員達が眠っているとも、考えにくい。
この大型船は、利用目的はともかく軽く20~30人が乗れる、広さがある。
「ょぃしょっと!!」
そんな中、今度はフェリオが甲板に降り立つ。
雨は相変わらず降り続いているが、もう豪雨と言うほどではない。
「ヒャ~! 早く船内に入ろう!?」
「いや、皆が揃うまで中に入るのは、待て」
「ええー!? 何でまた!」
「フン。まだ気付かんか。このバカ妹め」
「バッ、バカ!? 今、フィルお兄ちゃん、バカ妹って言ったっしょ!?」
腕組みをして、甲板のど真ん中に立っているフィリップの側へと、フェリオは詰め寄る。
引き続き、次はレオノールが梯子から降り立つ。
「ボートより高い位置に来ても、やたらと暗く感じるのは天候のせいか?」
言いながら、自然と彼女もフィリップとフェリオの元へと、歩み寄る。
「見ろ。レオノールでも、この雰囲気に気付いている」
フィリップは、眼下からその黄金の瞳で自分を睨み上げている、フェリオを冷ややかに見下す。
「ん? 何だお前ら。兄妹ケンカか?」
レオノールが、キョトンとする中で、最後にショーンが甲板に降り立った。
「おや、これは……罠でしたか?」
彼も船の様子に気付く。
すると船の奥から、フオ……ン──と不気味な、声とも音ともつかぬ音質が、空気を震わせながら音波となって四人へ迫ってきたかと思うと、雨風と共に吹き抜けていった。
さすがのフェリオも、この異変に気付く。
「ま、まさか、この船……!! ──さては海賊船!?」
「幽霊船だ」
重点がズレている、フェリオの後頭部をペシッとはたいて訂正する、フィリップ。
「今の一瞬で、この船が“目覚め”ましたね」
「大したおもてなしをされちまったもんだ」
周囲に神経を張り巡らせるショーンに、同じくレオノールも身構える。
すると、船内から低い音が響き渡った。
『オオォォォオオ……ン』
しかも、一つではない。
二重、三重にもなって、それは聞こえてきた。
「キッ……! キャアアァァアアアーッ!!」
悲鳴を上げたのは、フェリオだった。
「おお。お前から、初めて女の子らしい反応を見たぜ」
レオノールは、自分の腕にしがみついてきたフェリオへと、声をかける。
「ゆゆゆゆゆゆゆゆ、幽霊、怖い!!」
「おや。リオの弱点は幽霊でしたか」
顔を青褪めているフェリオに、ショーンがクスクスと笑う。
「俺と一緒に寝たがるのは、それが理由でもある」
フィリップが、嘆息吐く。
「単純にブラコンだったわけでもなかったんだな……」
ある意味で、レオノールは感心してると。
更に雨が、小降りになってきた。
しかし、それでも霧で視界は悪い。
気付くと、いつの間にか船は、出発していた。
ギ……ッ、ギギギギギギギ……!!
船の軋み音が響いたかと思うと、霧の中で何かが蠢いたのが見えた。
「ななな、何かいるーっ!!」
フェリオは、レオノールの腕にしがみつく手に、更に力をこめる。
「おいリオ。このままじゃ、いざって時に動け──」
レオノールが、言いかけた時だった。
「キキィーッ!!」
霧の中から、何かが飛び出して来た。
咄嗟に構える、フィリップとショーンだったが。
「ぃぃいいーやああああああぁぁあぁぁぁーっ!!」
フェリオが絶叫と共に、持っていた杖でそれへ力の限り、何度も殴打していた。
「もういい。落ち着けリオ」
フィリップが、フェリオの腕を掴んで止める。
彼女の会心の打撃により、すっかり動かなくなったそれの正体を改めて確認してみると、1m程のネズミだった。
「恐怖心からか、力のリミット解除されてリオの力量が、上がってる……」
改めてレオノールは、フェリオの物理攻撃力に、感嘆するのだった……。




