story,Ⅰ:母の形見
「待って! 待ってってば! フィルお兄ちゃん!!」
フェリオ・ジェラルディンは、どんどん先へ行くフィリップ・ジェラルディンの後を、必死で追いかける。
8階から、5階の階段まで下りて来た所で、ようやくフィリップの歩みの速度が落ちる。
ここでやっと追いついたフェリオは、フィリップのマントを片手で掴むと、もう片手を片膝に突いてゼィハァと息を切らす。
これにフィリップは、一旦足を止める。
呼吸を整えるとフェリオは、直立姿勢になって今度は片手を腰に当てると、頬を膨らませて抗議した。
「酷いよフィルお兄ちゃん! ウィンディゴ戦のせいで、まだ病んでるレオノールを置き去りにするなんて!!」
「だからだ」
フィリップが短く答える。
「え?」
「ここをまだ、完全に制覇してはいない」
裏人格であるフィリップは、落ち着き払った口調で述べる。
そして再度、歩き始めるフィリップ。
「それって、どういう意味?」
「ここにはまだ、隠されている場所がある」
「ええっ!?」
淡々とした兄の言葉に、フェリオが驚愕を露わにする。
階段は、3階へと差しかかっていた。
「まだ強力なモンスターがいるってこと!?」
「……それをどう決めるかは、おそらくお前次第だ。リオ」
「え? ボク次第??」
するとここで、フィリップの足がピタリと止まった。
そこは、剣山の罠がある塔の手前になる、宝箱が置かれていた白亜の塔の入り口側の、横幅70cm程の壁の前だった。
「……? 別に何もないただの壁だよ?」
「言っただろう。隠されている、と」
フィリップは妹へ答えると、片手をその壁に当てた。
「ふむ……これは選ばれた者にしか、通過出来ない封印が施されている」
「封印……?」
「つまり、我々召喚士のみが、この封印を解く事が出来ると言う事だ。少し下がってろ」
フィリップに言われて、フェリオは5~6歩後ろへ下がる。
それを確認してからフィリップは、改めてその壁に片手を当てると、ゆっくりと口を開いた。
「目に視えぬ力にて隠されし印よ。我、召喚士の末裔なり。故、封を解く事を認めよ」
すると、片手より一回りくらいの大きさをした、青く輝く魔法陣が壁に浮かび上がってきた。
「わっ、ホントだ。お兄ちゃん、凄い!」
フェリオが、彼の背後で驚愕する。
フィリップは親指の腹を、ガリッと噛み切ると溢れ出た鮮血で魔法陣の真ん中に、逆十字を描いた。
すると、魔法陣を中心に、まるで水滴が落ちたかのように、波紋が広がる。
「行くぞ」
「う、うん」
フィリップが、その壁の中をズブズブと入って行く。
これに慌ててフェリオは、兄のマントを掴むと同様に、彼の後へ続いた。
ジェラルディン兄妹が壁の中へ姿を消すと、魔法陣は消え、壁も元通りになるのだった。
中には、細くて長い階段が続いており、3階から1階くらいの距離を、兄妹は下りて行く。
そして、下に到着するとそこは、行き止まりになっていた。
「これも、魔法陣が隠されているの?」
フェリオは、フィリップを見上げる。
「……言うまでもないと思っていたが、どうやらお前は気付いていないようだから、教えておく」
フィリップは言うと、背後の妹へと振り返る。
「ここに、お前の第二の召喚霊が、潜んでいる」
「え!?」
「だから俺は、あの二人を置いて来た。召喚士の秘策を、他人に知られる訳にはいかないからな。それに、もう一つ」
フィリップは、妹の首にぶら下がっているネックレスを、手で掬い取る。
「この指輪の存在の意味は?」
ネックレスの鎖には、透明の石が嵌まった指輪が、施されている。
リングはプラチナ製だ。
「え? これは……あの日、村が消滅した後、フィルお兄ちゃんがお母さんの形見になるからって、渡してくれた指輪じゃないか」
フェリオが、怪訝な表情を浮かべる。
「ああ。そうだ。この指輪は我々ジェラルディンの家系である女が、代々受け継いできた由緒正しき指輪で、この石はファントムクオーツで仕上げられている」
「ファントムクオーツ……?」
兄からの言葉に、フェリオは小首を傾げる。
「このファントムクオーツというパワーストーンは、霊性向上の力があり、あらゆる霊的存在と結びつける力がある。つまり、この指輪のおかげでお前は、召喚霊の元へ行く事が出来るのだ」
これにフェリオは、驚愕の表情を浮かべる。
「だから、ミント村の超巨大ご神木の中へ、ボクは入れたの!?」
「そういうことだ」
フィリップは静かに答えると、体をフェリオから横へ向ける。
「この先に進めるのは、お前だけだ。くれぐれも、失態のないようにな」
フィリップの緋色の双眸が、鋭利な光を宿す。
「お、お兄ちゃんはどうするの!?」
「俺はここで、お前の帰りを待機するのみ」
言うやフィリップは、壁に背を預けた形で足元へ体を滑らせると、その場に胡坐を掻き両腕を組んで座り、目を閉じた。
「そっか……分かった。じゃあ、行ってきます……」
フェリオは、いささか心細さを覚えつつ、その正面にある壁へ手を当てるや、まるで引き寄せられるように通過した。
「わっ!!」
咄嗟にフェリオは、声を上げる。
壁の中は、真っ暗だった。
だが、肌でそこの空間がだだっ広いことを、理解するフェリオ。
周囲を見回してみると、空間の中心と思われる場所にポツンと、紫色の灯火が浮かんでいた。
フェリオは固唾を呑むと、ゆっくりとした足取りで、そちらまで歩み寄った。
灯火ではあったが、全く熱を感じない。
すると、どこからともなく小さな忍び笑いが、耳に届いた。
はと、フェリオは息を呑む。
『召喚士の子が、まだ生き残っておったか』
リンとした声が、周囲に響く。
声からして、女であると理解する。
フェリオは息を吸うと、言葉を発した。
「はい! ボクは召喚士の末裔である、フェリオ・ジェラルディンと申します!」
すると、声は答えた。
『ほう? ジェラルディンの……──ローザの娘か』
ローザ──それは、フェリオとフィリップの母親の名前だった。
「はい! これはそのお母さんの……ローザの指輪であり、ボクの大切な形見です!!」
フェリオは、ネックレスにぶら下げている指輪を手に取ると、紫色の灯火の前に翳して見せた。
すると、フイと首筋を何者かが触れる、感覚がした。
『ファントムクオーツにプラチナリング……うむ。確かに、ローザの物に間違いない』
直後、周囲がパッと紫色に明るくなり、闇が消える。
すると、フェリオの目の前には、逆さまの女の顔があった。
「わあっ!!」
フェリオは、飛び上がって驚くと、そのまま床に尻餅を突いてしまった。
これに、面白がってケラケラと笑う女。
その女の外見は、黒いチューブトップで豊満な胸を覆い、腰まで長い黒い髪を波打たせ、背には黒い蝙蝠の羽根の指骨に紫色の皮膜の翼。
下半身に至っては、紫色の鱗をした蛇の体躯。
両目は黄金色といった、いでたちだった。
気付くとフェリオは、その女の蛇の下半身で円を形とった中心にいた。
そして女は、ゆっくりと口を開いた。
『我が名は、夜の魔女──リリス』
夜の魔女、リリス──この言葉に、フェリオ・ジェラルディンは固唾を呑む。
そして、咄嗟に出た言葉が。
「あなたは、黒ですか? 白ですか?」
これにリリスがクッと口角を引き上げる。
『我らの中に、黒や白などの概念はない。それを決めるのは、主ら人間だ』
言うとリリスは、片手の拳を差し出した。
そしてゆっくりと開いた手の平から、紫の炎が燃え上がったかと思うと、何やら果実が出現した。
毒々しいまでに紅い、手の平に乗るくらいの大きさをした果実だ。
更にリリスは、続ける。
『そしてまた、逆も然り……主を決定するのも我らであり、主ら人間次第だ』
フェリオは、リリスの手の平の上の果実を見つめた。
「……これを、受け取れって言う意味……?」
『クク……さぁな』
フェリオの様子を、リリスは愉快そうに眺める。
その証拠に、蛇の下半身が波打ち、躍動している。
フェリオはそっとゆっくり、静かに片手を持ち上げる。
微かに指先を震わせ、果実へと手を伸ばしつつ、時折リリスの表情を窺う。
これにリリスは、黄金色の瞳の瞳孔を細めるだけで、相変わらず口角を引き上げている。
互いの間に、沈黙が支配する。
フェリオは再度、固唾を呑み、ゆっくりとした動きながらも果実へと、手を伸ばし続ける。
そして、果実に触れる1cm手前で、フェリオはピタリと動きを止めた。
『……どうした?』
リリスが囁くように、声をかける。
「……──要らない!!」
フェリオは声を大にすると、その手を素早く引っ込めた。
『ほぅ……? これ程、甘美な味わいである、果実だと言うのに? 後悔するやも知れぬぞ?』
リリスは、果実を持つ手を軽く、上下に揺らす。
この食欲旺盛なフェリオが、食べ物を前にして断るとは、驚愕に値するだろう。
『何故に要らぬ……? 理由を聞こうか』
リリスは、ねっとりとした口調で尋ねてきた。
「理由……? 理由になるかは分からないけど、食べちゃいけないような気がしたから」
『……成る程』
リリスは呟くと、その果実を片手で握り潰した。
握り潰された果実は、紫色の炎となって拡散する。
『正解だ』
「え?」
リリスの短い言葉に、キョトンとするフェリオ。
『汝はイヴとは、違うようだ』
そう口にした、リリスの蛇の下半身は動きを止めた。
あれほど高慢な笑みも、彼女の口元からすっかり消えている。
「イヴって……?」
『フン。楽園に住まう女の名だ』
「そっか……」
そう口にしたフェリオの表情は、それでも少し納得していない様子だったが、リリスはふと柔和な笑みを浮かべた。
『やはり、汝はローザの娘だな。よくぞ正解を導き出した。たった今から、我は汝の為に働こう──フェリオ』
「は……っ! はい! ありがとうございます!!」
フェリオは思い出したかのように、背筋を真っ直ぐ伸ばし、敬語で礼を述べて頭を下げる。
そして頭を上げた時には、あの紫色の空間ではなくなっていて、場所も変わりリリスの姿も消えていた。
「あ、あれ……?」
「契約は終わったか」
突然の兄の声に、フェリオは思わず飛び上がって驚く。
傍らの壁に身を委ね、腕組みをしてフィリップ・ジェラルディンは座っていた。
「わぁっ!! フィ、フィルお兄ちゃん!?」
「……何をそんなに驚く必要がある」
フィリップは、ぶっきら棒に言いやると、眉宇を寄せる。
「だ、だって、さっきまでボク、リリスの空間にいたから……!!」
慌てふためくフェリオ。
「まぁ、礼を述べながら戻ってきた辺り、契約は成功したと思ってもいいんだな」
「うん! ──あ、でも、リリスの能力って何なのかを聞くの、忘れてた」
立ち上がって、大きく上へと両手を突き出しながら、伸びをする兄へ向かってフェリオは口走る。
これに、相変わらずフィリップは、投げやりに答える。
「いずれ解かる」
それだけを言い残し、階段を上り始めるフィリップ。
「いずれって……どのタイミングで召喚すればいいのか、ボク分かんないよぉ~!」
フェリオは、そう兄へ訴えながら、彼の後を追った。
「ねぇねぇ、フィルお兄ちゃん。もうボクら召喚士としての役割りも済んだことだし、レオノールとショーンを迎えに行った方が良くない?」
帰りのハイビスカス塔は、罠も作動する事なく、スムーズに脱出する事が出来た。
塔の外へ出たフィリップに、フェリオは横に並んで尋ねる。
しかし彼の返事はやはり、素っ気なかった。
「ガキじゃあるまいし、いちいち迎えに行く面倒を見る必要はない。それに、俺はどこへ行くのか告げたのだから、奴らも直、追いかけて来るだろう」
「そうかも知れないけど……」
フェリオは戸惑いながら、小声で答える。
そして塔に向かう為にある、丘の階段の前で突如、フィリップは足を止めた。
フェリオも同じく、足を止めた。
なぜならば、目の前に一羽の大型の鳥が正面を向いて階段の前で、立ち塞がっていたからだ。
その1m程の大きさをした鳥には、後頭部から二枚の長い羽毛が後ろへ伸びている。
また、空のような青色と、灰色がかった白い翼を持つ、とても美しい鳥だった。
鳥は細長い口ばしを開いたかと思うと、何と言葉を発したのだ。
「我が名はベヌウ。太陽神の化身である、不死鳥である」
「……お前は……」
これにフィリップが、目を見開く。
「存じておるならば、今は皆まで言うな」
ベヌウの言葉に、フィリップは口を噤む。
「え? 何? フィルお兄ちゃん、この鳥を知ってるの?」
何も分かっていないフェリオのみが、その場でオタオタしている。
そんな彼女を無視して、ベヌウは再度、口を開く。
「よくぞこの塔を制覇したな。我はこの塔の管理もする立場である」
これにフェリオが告げる。
「でも、まだ最上階では、ボク達の仲間が残っていて……!!」
するとベヌウは、ゆっくりと首肯する。
「案ずる事なかれ。彼らも無事、この塔から脱出できよう」
その言葉に、フェリオは安堵の息を洩らす。
「見事、この塔を制覇した者に、賞品が与えられる」
「……賞品……?」
今度はフィリップが、短く言葉を洩らす。
「然様。では、受け取るが良い」
そうしてその細長い首を地表へと下げると、ベヌウの首から何かが滑り落ちた。
チャリンと小さな音が、軽やかに響く。
そこには、金色の鎖のような物が落ちていた。
これにフェリオが、おそるおそる近付いて、拾い上げる。
それは、シルバーブルーに輝く石の付いた、ネックレスだった。
「それは、瀕死時に攻撃、魔法攻撃、あらゆる攻撃を無効化出来る品物だ。これを、男。お前が身に付けよ」
「俺が、だと……?」
「然様。主はグループの中で一番、強い。強者に万が一があると、パーティーは総崩れとなろう。故に、お前が身に付けるのが妥当だ」
ベヌウの言葉を聞いて、フェリオが満面の笑みを浮かべて兄へと駆け寄り、そのネックレスを手渡した。
「良かったね! フィルお兄ちゃん」
「あ、ああ……」
「それでは、今の所、我の役目は完了した。さらばだ」
ベヌウはその言葉だけを残して、空へと飛び去って行ってしまった。
そんなベヌウを、兄妹は空を見上げて見送る事しか、出来ずにいたのだった。




