デルニエール攻防戦 魔王軍サイド① 下
「あ、ちょっと! こら! 午前中は待機だって言ったでしょーが!」
将であるソーニャの制止など意にも介さない。隊列や陣形などなく、個々の思うがままに飛空魔法を発動し、デルニエールへと飛び出していった。
「もー!」
軍とは名ばかりの烏合の衆。それが魔王軍の実情である。魔王の圧倒的な力の下、辛うじて成り立っているだけの集団に過ぎない。
「落ち着いてソーニャちゃん。いつものことじゃない」
「だから怒ってんの!」
魔王の方針に従わないのは、彼女を軽んじているも同然。組織的な行動を是とする文化を持たないとはいえ、王の意思を無視するとは何事か。
ソーニャは自分の命令に従わないことではなく、皆が魔王に対する敬意を持たないことが不満なのだ。
「あ」
ソーニャの肩をぽんぽんと叩いて宥めていたシェリンが、眼下のルークに気付いて口を開いた。
闘気を漲らせ、身の丈ほどの大剣を担ぎ、戦場を見据えている。
「ちょっとルーク! あんたまで行くつもり?」
声を張り上げたソーニャに見向きもせず、剣を地に突き立てるルーク。彼の傍らに生じた魔力の門から、一体の眷属が姿を現した。
ルークと同じ漆黒の鎧に覆われた、雄々しき四つ足の獣。軍馬にも見紛う闇色の眷属は、赤い目を光らせて猛々しい嘶きを轟かせる。
「あら~。やる気満々って感じね」
苦笑するシェリン。
「ゆくぞ。ガンドルフ」
ルークの語りかけに嘶きで答えた眷属ガンドルフは、騎乗も待たず怒涛の勢いで駆け出した。
「ルーク! 魔王様のお言葉を忘れたわけじゃないでしょうね!」
ソーニャの怒声を浴びてようやく頭上を見たルークは、彼女の不機嫌な顔とシェリンの困ったような笑みを捉え、しかし何も言わずに視線を戦場へ戻した。
「聞いてるの? ねぇ!」
言い終わるかどうかのところで、ルークは大地を蹴って跳躍。砂塵を舞い上げて宙を斬り裂き、先行していたガンドルフに飛び乗る。無口な戦士は、爆ぜるような蹄鉄の音を引いてデルニエールへと突撃していった。
「あー! もぉー! どいつもこいつも!」
「ソーニャちゃん落ち着いてったら」
長い銀髪を掻きむしり、ソーニャは頭を抱える。
彼らにとって群れるとは弱者の証なのだ。真の強者は孤高である。それが魔族の共通認識であり、信念であった。
魔王は絶対的強者にして孤高。故に魔族は言葉ではなく、その在り方を敬い、倣おうとしている。
ソーニャにもその気持ちが解らないわけではない。魔王と親密な間柄でなければ、彼女も同じように魔王の言葉を軽んじていたかもしれない。
だが、これは正義の戦なのだ。
灰の乙女を邪悪な人間から救い出す聖戦なのだ。
皆は、その大目的を見失っている。目の前の戦いだけしか見ていない。
真に魔王の心を理解するならば、そんな振る舞いができようものか。
「仕方ないわね! こうなったら全員突撃よ! 被害が大きくなる前にデルニエールを落とすわ!」
陣営に残っていた数少ない魔族に檄を飛ばして、ソーニャが前方を指さした。
「シェリン。あんたはヘマをした連中の援護をしてちょうだい」
「えっと……それはちょっと。私はルークにべったりのつもりだから」
しなを作ったシェリンに、ソーニャの柳眉がぐっと吊り上がった。
「はいはい、じゃーいいわ! あたしがやりゃあいいんでしょーが!」
味方を守るなんて柄ではないが、今は自分らしさを捨て置こう。魔王の為に。
気乗りしない様子で、ソーニャは戦場へと飛んだ。
「はぁ。酔わなきゃやってらんないっての」
求めるは戦酔い。
魔族にとって最も無縁な言葉は、団結の二文字かもしれない。




