デルニエールの夜 ②
ソーンと呼ばれた少年は、棒状の干し肉をかじりながらぼさぼさの赤髪をかき上げて溜息を吐いた。
「何が言いたいって、いま油断は禁物だって言ったばかりじゃないか」
「わかっておるわそんなこと。続きを述べよと言っておるのだ」
干し肉を噛み千切り、じろりと公爵を見るソーン。
「たった五千ぽっちの兵じゃ不安だね。敵は策を用いるって話だし」
「なんと!」
驚いたのはジークヴァルドだ。
「我が軍団が力不足と仰るか。いくら若でも、それは聞き捨てなりませぬぞ」
「力不足っていうか……いや、そうだね。力不足で合ってるよ。正解」
この場において最年少にも拘らず、ソーンの態度は大きい。彼はティミドゥス公の嫡子であり、いずれ公爵の位を継ぐ正統後継者である。彼が将校の側に立っているのは、爵位を継ぐまではあくまで臣下の身分だからに過ぎない。
「大体みんなは魔族を甘く見すぎ、白将軍が勝てなかった時点でわかるでしょ普通」
「あんな騎士紛いがなんだというのだ。所詮は女のお遊びではないか」
「お言葉だけどお父上。この時世に男だ女だと言うのは時代遅れなんじゃない? 七将軍の位は陛下から賜るものでしょ? 建国以来初の女将軍の大抜擢。お父上と違って陛下は聡明なお方だよ」
「ソーン貴様! 父であるこの私を愚弄するか!」
唾を飛ばして怒りを露わにした公爵に、ソーンは冷ややかな目を向けた。
にわかに始まった親子喧嘩。執務室に緊張が走る。
「息子に馬鹿にされているうちはまだいいでしょ。この戦いでこけたら、デルニエール十万の忠誠と尊敬を失うことになるよ」
その声はまるで氷の刃だった。父親の喉元を容赦なく斬り裂く諫言だ。
「お父上が必死で築き上げてきた名君の印象も、はは、一気に崩れちゃうね」
「ならば、どうしろというのだ……!」
ティミドゥス公の声はほとんど呻きだった。感情は怒りに塗れているが、息子の口から出る正論には耳を傾けざるを得ない。いくら憎たらしかろうと、たった一人の後継ぎである。
将校らが固唾を呑んで見守る中、ソーンの口角が吊り上がった。
「領民に徴兵をかけるよ。健康な若い男は、一人残らず戦力とみなす」
「若。そんなことすれば、民をいたずらに混乱させるだけですぞ」
ジークヴァルドの言葉に、ソーンはやれやれと首を振った。
「それでいいんだよ。敵に攻められて混乱するより、こっちから混乱させた方がずっといい」
一瞬場がざわついた。
ソーンの意図を察したのはメイホーンだ。彼はローブを揺らしながら大きく首肯する。
「ふむ。民の混乱をコントロールするということですな。確かにそちらの方が戦いに集中できます」
「話が早くて助かるよ」
「恐縮です。坊ちゃま」
すでに場の主導権はソーンが握っていた。彼が生来の切れ者であることは、この場にいる誰もが認めている。
「混乱した民をお父上が纏め上げるんだ。耳触りのいいお題目を掲げたらいい。皆喜んで戦いたがるだろうさ。そのあと戦いに勝てば、お父上の評判も右肩あがりになるよ」
「むぅ……たしかにいい考えかもしれん」
自身の名声に執着するティミドゥス公には、息子の提言は非常に魅力的だった。合理的かつ効率的である。
「あいわかった。ではそのあたりのやり方はお前に任せる。上手く愚民どもを扇動するのだ。皆はソーンの指示に従え。よいな」
「御意」
将校達は安堵したように答え、ソーンに視線を集めた。
幼い後継者は、したり顔で干し肉を齧り直す。
月の高い深夜。
デルニエール攻防戦まで、残り十日の出来事であった。




