デルニエールの夜 ①
デルニエール。ティミドゥス公の執務室にて。
彼は眉間を寄せて、ふくよかな頬を震わせていた。大きなデスクには何枚もの手紙が乱雑に投げ出されている。
「何故だ! 何故周辺の領主どもは援軍を寄越さぬのだ!」
強かにデスクを叩き、机上の紙片がいくつか床に散らばった。
「このデルニエールが落ちれば、もう後はないのだぞ……!」
北方の魔王城からメック・アデケー王都アルカ・パティーロを結んだ直線上にある都市や軍事拠点は、デルニエールを残して軒並み陥落した。魔族は直線上に存在しない都市町村を無視し、真っすぐ王都を目指している。
兵法に照らし合わせれば、後方からの挟撃を防ぐため面での制圧進軍が定石となる。しかし魔族は多数の眷属を動員し、周辺へのゲリラ的な襲撃を繰り返すことで王国軍の攻勢を抑えていた。
そんな状況で援軍を送るのは難しい。領主達はみな自分の事に手一杯で、ティミドゥス公の支援要請に応える余裕などなかったのだ。
苦々しく唸るティミドゥス公の正面には、数人の将校たちが立ち並んでいた。中央の男は無感動な目を公爵に向け、分厚い声を吐き出した。
「殿下。そうお嘆きなさるな。我々デルニエールの軍は精強にして不屈。城塞の防備も完璧であります。周辺所領の助けがなくとも、魔族どもを蹴散らすのは容易い」
立派な髭を蓄えた白髪交じりの老将軍は、落ち着いた居住まいで鋼の胸当てを叩いた。
「白将軍の情報では、四神将が出張ってきたとのことですが……所詮魔力だけが取り柄の愚者。このジークヴァルド率いる重騎兵隊が討ち取ってご覧にいれましょう」
「おお……!」
自信に満ちた宣言に、ティミドゥス公の目が輝いた。
「なんとも心強いことよ。お前がそう言うからには、安心してもよいのだな?」
「もちろんですとも。これまで軍備を整え練兵に注力してきたのは、この時の為。兵達は皆、殿下の御為に戦える日を心待ちにしております」
「そうかそうか! それは結構なことだ!」
手を叩いて喜ぶ公爵。すると彼の前に、並びの端に立つ若い男が歩み出た。
「殿下。ジークヴァルド将軍の隊のみならず、我ら術士隊にもご期待ください。必ずや殿下にお応えする戦果を挙げてみせます」
純白のローブを纏った、二十代半ばの青髪の青年。彼はデルニエール術士隊を統括する隊長である。名をメイホーンといった。
「うむ。そなたは若くして王立魔導院を出た天才だ。実力に裏打ちされた自信は頼もしいの一言に尽きる。しかとこのデルニエールを守るのだぞ」
「もったいなきお言葉です。燃え盛る正義の炎で、悪しき魔族を焼き尽くす決意です」
ティミドゥス公が抱える将校達は、いずれも高名な騎士や術士ばかりであった。それもそのはず、公爵家は王家に次ぐ勢力を誇る大貴族である。公爵に仕えるにはまず実績と名声が必要なのだ。
ティミドゥス公が彼らのような将校を揃えるのは戦力のためではない。ブランドだ。将校が高名であればあるほど、それを従える領主の威厳も高まる。彼にとって臣下とは身を着飾る宝飾品と同じコレクションに等しかった。
とはいえ、デルニエールが擁する兵馬の数はゆうに五千を超える。モルディック砦を守っていたクディカの軍が配備当初で六百足らずであったことを考えると、防衛には十分すぎる兵力にも思えた。
だが、それは事実ではない。この状況に懸念を抱く者もいた。
「お二方の勇壮なお言葉にはいたく感服するけど。でもね、敵はあの白将軍に土をつけたソーニャ・コワールでしょ。油断は禁物じゃない?」
ジークヴァルドの隣で声を上げたのは、小柄な少年であった。年の頃は十。正真正銘の未成年だ。
「ソーン。何が言いたい」
それまで愉快気に笑っていたティミドゥス公が、途端に勃然とした面持ちになる。




