勇気 ①
カイトには何も見えなかった。感じたのは重たい衝撃だけ。
振り返った先、巨人の足と大地の間で兵士達が潰れていた。破裂した肉から鮮血が漏れ出し、巨人の足下を赤く染めていく。
「うそだろ……」
カイトの乾いた声。体は強張り、剣を握る手がガタガタと震えていた。
「逃げれらるワケないでしょーが。あたしを何だと思ってるの」
ソーニャの真っ赤な瞳が、カイトと若い兵士を捉える。口元は恍惚として歪み、虐殺に見出す快感を隠そうともしていない。
これは流石に、もう無理だ。
平和な日本でのうのうと暮らしていた一高校生には、きっとここらが限界なんだ。むしろ数匹倒しただけでも大金星じゃないか。
「死ぬ覚悟はできた?」
唇に指を当て、可憐なウィンクを送ってくるソーニャ。とても人を殺したばかりの表情とは思えない。魔族とは、かくも恐ろしい生き物だったか。
最後に残った若い兵士を一瞥する。腰を抜かして尻もちをついていた。せっかく立たせたのに、これでは逃がすことも難しい。
深呼吸。
一応、戦ってはみた。結果は見ての通りだが、怯えて死ぬよりマシだろう。
これなら胸を張って、妹のもとに逝ける。
「――いや」
ホントにそうか?
ここで諦めたら、妹は何と言うだろう。よく頑張ったと、よく戦ったと、満足してくれるのか。
「んなわけあるかよ」
戦うと決めた以上、勝ってこそ意味がある。
「こんなところで死ねるかってんだ」
生きるんだ。
たとえ泥の中を這いずり回り、何度挫けそうになったとしても、それが勝利の為なればこそ。
「俺は、まだやれる」
カイトは今ひとたび剣を構えた。その手はもう、震えていない。
「早く逃げろ」
「え?」
若い兵士を一瞥し、顎をしゃくる。
「頼むから、生き延びてくれよ」
約束は最後まで守る。絶対に諦めない。たとえ力及ばずとも、どうせ死ぬなら戦いの中で死んだほうがいい。その方がかっこいいじゃないか。
「ふぅん? 勇気があるのね。その辺で死んでるザコよりよっぽどステキよ、あなた」
ソーニャはカイトの目をじっと見つめる。彼の目に虚勢の二文字はない。先程までとはまるで別人の、強靭な戦意を宿している。
「いいわ。試してみなさいよ。一秒もったら、褒めてあげる!」
言い終わるかどうかのタイミングで、巨人が拳を振りかぶった。
ああ、終わったな。それがカイトの率直な感想である。
拳の幅はざっと一メートルはあろう。巨人の質量からして、軽自動車に轢かれるくらいの衝撃はありそうだ。あんなものでぶん殴られたら、一体どれくらい痛いのだろうか。
いや、ちょっと待て。
たかが軽自動車だ。大型トラックに轢殺されたことを思えば、大したことないんじゃないか。
数日にわたる極限状態と、フラッシュバックした過去の記憶。そして目の前で起きた残虐な光景と、僅かな勝利の体験。非日常がもたらしたあらゆる出来事が、カイトから常識的な思考回路を奪っていた。




