27.妻の幻覚が見え始めた(ジェラルド視点)
とうとう俺の頭がイカレた。
「限界だったらしいな…」
つい独り言を呟く。
相も変わらず洞窟を歩いていたところ、突然後ろで何かが光り、剣を抜いて振り返ったらそれが見えた。
『………。』
淡く発光しうっすらと背景が透けている、妻の姿。
温かみのある茶髪、緑の瞳に俺が贈ったドレスを着て、こちらをじっと見つめている。明らかに本人ではない。俺は深いため息を吐き、構えた剣を下ろして鞘に納めた。
幻覚を見るほど追い詰められているのか……確かに、そうなのだろう。極限状態である事は間違いない。小休憩をとった方がいいかと、壁を背もたれに座り込んで水を口にした。
昼食で残りを少しとっておいた肉を取り出してかじる。
本物のエステルは今頃どうしているだろうか。
様子を見つつ俺の口から、オブラン子爵が牢に入った事を伝える気だったが…他の誰かからもう聞いたろうか。俺が見つからない事は報道されただろうし、それを見れば少なくとも、アレットはエステルに会いに行きそうだ。
ラファエルはどう動いたか…
くる、と視線を戻してみた。
エステルの幻覚が俺がそちらを見た事に喜び、手を振っている。
駄目だ、本格的に狂ったらしい。
このまま野垂れ死ぬのだとしたら、最期にはエステルの笑顔が見たい。
…見たいが、今ではないんじゃないか?
ひとまず食って寝てはできている状態だ。もう数日で出ないと栄養は偏っていくだろうが…まだ、今すぐ死ぬような状態ではない。
「もうちょっと後にしてくれるか…」
『……、……!』
ため息混じりに言い捨てて歩き出したが、エステルの幻覚は空中を飛んで俺の前に回りこんだ。
口をぱくぱくと動かして「あっち、だめ、こっち」のような身振り手振りをしている…気がしなくもない。よく動く幻覚だ。なんとなくそのまま歩いたら、幻覚なので当然俺は彼女を突き抜けた。
『………?……!』
もう一度追いかけてきた幻覚がせっせと何か手振りしているが、無視して歩く。
近くで見てわかったが、「これじゃない」感がすごいのだ。
笑い方、俺を見る時の目の開き具合や眉の角度、手を動かす仕草まで、本物とはズレている。
「幻覚でコレという事は、俺はたった数日でエステルを忘れたのか……。」
どうせなら精密に再現しろ、俺の狂った頭。
深々とため息をついて、前から駆けてくるカミツキドリの足音に剣を抜いた。
………いつまでいるんだ、あの幻覚。
「………。」
『……、!……!?………!!』
焚火を前に夕食を終え、ちら、と見てみるとやはり何かアピールしてくる。
エステルの姿形なので可愛いは可愛いのだが、絶妙に「違う」ので複雑な心地だ。
あまりにも長い時間いて消えないので、若干、「実は幻覚では無いのでは?」という考えが頭をよぎる。だが、そうだとしたらあれは何だ?
①エステルが開発した新手の魔法
②新種の魔物
③何か
「駄目だわからん……。」
魔法陣によるものだとして、あれほどそっくりに外見指定するのは無理じゃないか?しかも動くし、光っているし、長時間そこにいるし、ついてくる。
ああ、疲れた。精神疲労がひどい。
ただでさえ洞窟で数日一人だというのに、今日はカミツキドリを毟る間もアレがじっと立っているし、俺が用を足したい時すらいるので地味に困った。土壁で隠れて何とか済ませたが…。
早く消えてくれないだろうかと、眉を顰めて幻覚を見つめた。
『……!…?……!!』
たまに指す方向が変わるんだよな、この幻覚。
さっきまでは俺が歩いて来た道に戻れと指示していたのに、途中から止めなくなった。今は三叉路で休憩しているわけだが、両腕をめいっぱい伸ばして一番左をしきりに指している。
エステルはそんな指し方しない。
「はあ……。」
ため息をついて、離れた隅に丸まっているメナシウサギを見やった。
最初は俺のことを警戒しながら通り過ぎていたのに、仲間内で「あの人間は平気」と情報共有でもされたのだろうか、多少近くにいるくらいではそのまま過ごすようになっている。
出られたら屋敷でメナシウサギを飼うか……エステルは喜んでくれるだろうか。
たき火を消すために出した水で顔を洗い、髪を掻き上げる。
元より俺は虱潰しに探索しているだけだ。あの偽エステルが何であろうと、たとえ上位の魔物が餌をおびき寄せたがっているのだとしても、得体の知れない何かであったとしても。
何の当てもなく歩くよりはマシかもしれない。
立ち上がり、偽エステルが待ち受ける左の道へと近付いた。
「お前についていこう。案内してみろ」
『……!!』
偽エステルは頷き、クイッと親指で道の先を示す。男っぽい仕草だ。
「言っておくが、エステルはそんな事しないからな。」
『………。』
俺の言葉など気にも留めず、偽エステルが空中を浮いたまま先導していく。
グンセーヒ・カリゴケがあるとはいえ、他の光源が先を照らしてくれるのはありがたいな。
「どこまで行くんだ?」
『………。』
数時間歩いてまだ着かない。
偽エステルは道が分かれていても迷う事なく進み、たった一度も行き止まりにあたらなかった。ここの構造を把握している何者かの意思に沿っているのは確からしい。
少し偽エステルとの距離が空いたか。
軽く走ると、振り向いた偽エステルはぱちりと瞬いて移動スピードを上げた。
「何?」
『………?』
俺が足を止めると停止し、少しこちらへ戻りながら首を傾げる。
試しに走ってみれば、頷いて俺と同じ程度のスピードで先導を始めた。俺は足を止める。あちらも止まる。ついため息を吐いた。
「理解した。お前、俺が急げば急ぐんだな?」
『………。』
なんとなく感じてはいたが、こいつには俺の言葉が理解できない、あるいは声が聞こえていないのかもしれない。
騎士服に縫い込まれた魔法陣を起動し、身体強化を発動した。
俺が駆け出すと、偽エステルは瞬時に俺を追い抜いて先導を再開する。照らしてくれるお陰で、素早く移動していてもメナシウサギを蹴飛ばすような事にはならない。
ひたすらに洞窟を駆け抜け、驚いて跳び上がるカミツキドリを無視し、通路のど真ん中でとぐろを巻いていたスズナリヘビを跳び越え、泥溜まりを避け、通路に出た。
これまで居た場所より壁や地面が整っている気がする。
はっきりと明言できない程度の事ではあるが、振り返ると俺が出てきたのは歪な丸い穴だ。そこだけ壁が石ではなく土がむき出しになっている。
……エリアが変わった?何かから抜け出した?そんな感覚だな。
『………!』
「ああ、今行く」
偽エステルが手招きしている。
しかしそろそろ魔力を温存すべきだろうと、俺は身体強化を止めて歩き出した。やはり負荷がかかっていたらしく、痛めた骨がぎしぎし悲鳴を上げる。
これだから怪我人は身体強化を使うべきではないんだが、急いだだけの利はあったと思おう。
もう夜中か……。
懐中時計を閉じて座り込み、辿り着いた魔法陣を見上げた。
『!!……?…!』
「魔力を流せと言うんだろう、わかってる。」
この魔法陣は扉だ。
偽エステルが魔法陣に手をつく真似をし、スルッと身体半分埋まっては戻ってくる。
しかしここに至るまでかなりの移動を続けた身体は限界だった。
開けてこの先で寝るか、ここで寝てから明日開けるか、二択だ。
「……お前、明日はまだいるのか?」
『………?』
偽エステルは首を縦にも横にも振らない。
俺は水を飲みながら考えた。万一この先に未知の魔物がいたとして、もう一度だけエステルの守護は発動する。今度はどこに飛ばされるかわかったものではないが…。
とはいえ安易に入るには、魔法陣の横に書かれた文言が気になって仕方がない。
ぱっと目につくものを現代語に訳すと、【水を補給…………ここを……開にし…まま、中の…開放を作…す…こと】になる。道中で見た排水に関わる魔法陣が思い出された。
だが幸いにも扉となっている魔法陣は、開き途中でも閉める動きに変更が利くタイプだ。
最悪、水があふれ出てきてもすぐ閉めればいい。できても俺はずぶ濡れになるかもしれないが。
残った魔力、使える魔法陣を確認する。
俺は気を付けてほんの少しだけ扉に魔力を流し、隙間が空いても水が出ない事を確かめてから開けた。
「……随分広いな。」
広過ぎて、偽エステルの光でもグンセーヒ・カリゴケでも照らしきれていない。
天井まで数十メートルはあるか?最近濡れたのか、床はところどころ水たまりができている。隅の床が格子状になっており、暗闇の中へポタポタと水がしたたり落ちていた。
中央に高い柱があるようで、随分と長い階段が見える。
しかし偽エステルはそちらを見向きもせずに壁沿いを浮遊し、別の魔法陣へと俺を導いた。今通った以外にも魔法陣があるのか。
偽エステルの方へ行く前に横の壁を見ると、そこには石版が嵌め込まれ、俺が通って来た魔法陣の説明らしき文章が彫られていた。
動きの鈍い頭で解読すると、これは《銀色狼》のとげとげ岩の町に通じる扉らしい。
………子供が読む絵本の世界にでも飛び込んだ気分だ。
『……!!……!』
「急かすな。これでも限界なん…、何をしてる?」
偽エステルが自分を指さしてから魔法陣を指差す、というこれまでにない事を始めた。
こいつの本体がこの先にいるのか?
もし中級以上の魔物だったら…正直今、倒せるとまでは確信できないぞ。
苦い顔で歩み寄り、魔法陣の横の石版に目を通した。
駄目だ、眠気が出てきたな。
「――……、ぐッ!?」
『…!!』
突然眩しくなったと思えば、偽エステルが俺の目の前で手を振っていた。
なるほど、触れなくても光は届くか。くそ、目がくらんだ。
「わかった、わかったから離れろ」
『……!………?』
「はあ…まったく。」
本物のエステルに会いたい。
俺と彼女が組めば、この程度の解読即座に終わるだろうにな……。
「…ごちゃごちゃと書いてあるが……泉…泉に続く扉、か?」
もっと時間をかければ全文わかるが、おおよその見当をつけるとそうだ。
つい正解を聞くように偽エステルを見るが、相変わらず答えは返ってこない。
謎に早い動きで魔法陣を指し続けている。エステルはそんな動きしないとひっぱたいてやりたくなるが、エステルの姿にそんな事はしたくないし、こいつに実体はない。
「ままならないな…」
『……!』
偽エステルがはっとしたように一歩下がる。何だ?
元から透けていた身体が消えていくのを見て俺は目を見開いた。
「お前」
『……!!』
最後まで魔法陣を指差し、最後はそこへ飛び込むようにして偽エステルは消える。
光っていた彼女がいなくなった事で周囲の暗さが増した。俺は果ての見えない空間を振り返る。
何が潜んでいても見えないここにいるよりは、この先へ進んだ方がマシか。
先程出てきた場所へ戻る事もできるが…
偽エステルが魔物によるものではない可能性に賭けて、俺は泉へ進むだろう魔法陣を起動した。
先にあったのは階段だ。
下へ下へと続く階段。この地下にあってまだ下に降りるのか。
泉と言うからには湧き水があるのだろう。
「仮眠くらいはとるか…」
これ以上の探索は無理だ。
扉を閉め、ずるずると力なく座り込んだ。




