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【完結】悪女日誌 ※電子書籍1~2巻 配信中&コミカライズ企画中  作者: 鉤咲蓮
三章 侯爵夫人と地下迷宮

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23.うっかりしました




「地下だと時間の経過がわかりにくいわね。」


 地面に布一枚敷いただけのベッドから身を起こし、私はぐぐっと伸びをした。

 欠伸をかみ殺したラウが懐中時計を見て「八時」と教えてくれる。こっそりベルガの森に侵入し、古い魔法陣を見つけて中に入って、探索して休憩できそうなところで寝て――…四時間ほど眠ったようだ。


 給水の魔法陣で顔を洗い、喉を潤してパンをかじる。

 ジェラルド様、魔力さえあれば水分はなんとかなってるでしょうけど……ご飯は大丈夫かしら。


「ラウは眠ったの?」

「ちょっとな。大丈夫だ」

 私達は焚火の跡をわざと片付けず、魔力筆で壁にメッセージを残しておく。

 ジェラルド様はたぶんヴァイオレットの手紙で筆跡を覚えたはずだ。何でって、私がそうだから。


 【迎えに来ました。白いハンカチの窓を目指して。私は一人ではないので大丈夫です。】


 壁の前に立って見回せばちょうど、遠目ながら高い位置に白いハンカチが見える。

 今日もまた呼んでも笛を吹いても返事がなかったので、私達はさらに地下を目指す事にした。


「上から見た時に動いていた影は何だったのかしら。何もいないけど」

「お前が寝てる間にメナシウサギが来てたぞ」

「えっ。見たかったわ」

「そのうち通るんじゃないか?」

 呑気な会話をしつつも、私の視線は手元の魔法陣だ。

 手のひらいっぱいのサイズの木札の中央にペンダントトップを固定し、そこに刻まれたジェラルド様の魔力を基準としている。


 木札は一センチほどの厚みだけど、これは細かく魔法陣を書いた三枚を重ねての厚み。

 作る時は資料を参照しながらかなり時間をかけた。もし壊したら、この地下でもう一度作るのは相当きつい。


 まだ反応はない。

 私達が迷っては助けられるものも助けられないので、所々目印をつけて探索していく。


 小休憩を挟みながらずっと歩いた。

 通路の隅をネズミや蝙蝠がちょろちょろパタパタしている。


「なぁ、エステル」

「何?」

「お前が設定した【転移】って、こんなに深くまで行くか?」


 行かないと思う。

 だって、上の階層は充分広くて地面があった。


「ファビウス侯は自分で下に潜ると思うか?」


 普通は行かないと思う。

 だって、地下だと気付いたらまず上を目指す。


「その【探知】……」

「死体でも反応するわ。」

 ラウが言い淀んだ事を、はっきりと返した。

 湿った地面を踏みしめて歩きながら、振り向きはしない。


「だって、そういう風に作ったもの。」

「……そうか。じゃあ、進むだけだな。」

「えぇ」

 携帯食料は私達二人だけであと丸三日分。

 もう二日探して見つからなかったら、きっと「引き返そう」と言われるのだろう。


 ラウが私にフードをかぶせて、頭を軽く撫でた。

 視界は少し滲んだけど、泣いては水分の無駄だと思って私はただ瞬きをする。



 行き止まりを引き返してはバツをつける事が増えてきた。


 ひんやりとした空気に軽く腕を擦り、たまに肉食の魔物が襲ってくるとラウが狩ってくれる。

 でこぼこした滑りやすい地面を少しずつ進んだ。たまに暗がりに何かいると思うと、エスティーに似た真っ黒な大きい毛玉が地面の泥を跳ね散らかして逃げていく。


「…メナシウサギって…黒いのね……。」

「地毛は色々あるが、野生は大体ああやって汚れちまうんだよ。上の階に居た奴らは比較的綺麗だったぞ。地面がぬかるんでないから」

 足をとられ始めると体力がどんどん削られた。

 身体強化の魔法陣がなければ、私はまだ建物のある階層にいたと思う。私が息切れしていると気付いてラウが立ち止まった。


「【探知】はどうだ?」

「……っ、」

 喋る気力もなく、ただ魔力を流して反応を見る。首を横に振ると、ラウは「休憩にするか」と濡れてない場所を探して腰を下ろした。

 私もふらふらと隣に行って膝をつく。


 薄暗い洞窟で苔やカンテラの灯りを頼りに歩き続けて、終わりは見えなくて、ジェラルド様の気配は微塵もない。


「私……ラウがいなかったら、おかしくなってたかもしれない…」

「普通は長居する場所じゃないからな。」

「…ジェラルド様……」

 大丈夫だろうか。

 いっそ、私達とは入れ違いでもいいから、地上で無事に騎士団と合流できていたらいいのに。


「少し寝てろ、エステル。夜しか寝ちゃ駄目ってわけじゃねぇんだ」

「……うん……」

 乾いた喉に水を流し込んで、私は泥の中へ沈むみたいに眠りに落ちた。

 時折ぴちゃんと響く水音のせいだろうか、昔の夢を見る。


 雨の日。

 お母様の葬式の日。

 ラウと――ラウレンスと、初めて会った日のことを。

 幼いアレットの歌声が聞こえる。



 銀色狼雨の日泣いた、金色狼雨の日死んだ。

 流れ流れて涙は溜まり、深く深くに嘆きの泉。

 爪も牙をも底へと沈め、いつかの(かばね)を抱いてる。



 目を開く。

 枕代わりの荷物に頬をつけたまま、疲れの滲む横顔を見つめていた。

 どのくらい寝たのか、ほんの一瞬目を閉じただけだったかもしれないし、数時間経っていたかもしれない。


「ラウ」

「何だよ」

 初めて会ったあの日から十年。

 私達は大人になったし、ラウはちょっと老けた。


「貴方はどうして、私とアレットを助けてくれるの。」

「やべーぐらい今更だな。」

「なんとなく、聞くのを遠慮してたのよ。話したくないのかもと」

「タイミングが無かっただけだ。」

「では聞いていい?ラウレンスおじさん」

「お兄さんな」

 やっと私の方を見たラウが、飲めとばかり木のコップを揺らした。

 身を起こして受け取る。この香りはブランデーだ。気つけ用だろう、コップを傾けてちびりと舌先をつけた。


「お前ら、親父があいつじゃないって事は知ってんのか」


 予想外の話に目を見開くと、ラウは「ま、そうか」と呟く。

 動揺して思ったより一気にブランデーを飲んでしまい、私は少しだけ噎せた。


「あいつの兄、フィクトルがリーセの旦那だった。俺は元々フィクトルの悪友(ダチ)で、酒の席じゃよく、なんかあったら嫁と娘をよろしくとか言われてたもんだ。平民の俺にどうしろってんだって話だけどな。」

「……どうして、お父様は…」

「魔力持ちの兄と魔力の無い弟、親戚連中は魔力信者で……兄が死んだ時、弟にすぐ兄嫁を娶って魔力持ちの子を作れと迫ったわけだ。弟は元からリーセに惚れてたが、魔力持ちの事も出来の良い兄の事も嫌いなひねくれものだった。リーセに対する情は歪んでいたし、フィクトルの肖像画は片っ端から燃やされたって聞いてる。」

 洞窟の壁を見つめながら、ラウは淡々と語る。

 私が二歳の時、本当のお父様は魔物に殺されたらしい。


「リーセは実家の伯爵家じゃ出来損ない扱いだったから、そっちには戻れなかった。」

「…ラウ、アレットは……」

「フィクトルの子だ。書類上は違うけどな……もしもの時に確証が欲しいと、リーセはその時期だけは必死に酒を飲ませて身を守ったそうだ。弟の方はフィクトルと違って、飲むと記憶が飛ぶタイプだったからな。生まれた子が魔力を持たなくてさぞ安心したと思う」

 それはきっと、全員が…だろう。

 お父様はアレットだけが自分の子供と思っていたんだわ。お母様とラウだけが真実を知っていた。


「アレットが生まれてその話を聞いた直後だったか…何でか俺の実家は次々取引先に切られた挙句に、強盗に押し入られてな。両親と妹は死んだ。パン一切れ買って戻ったら全部終わってた」

「……それは」

「エステル。俺は平民で、一緒に馬鹿やってたフィクトルとか、笑って見てたリーセが変わってんだ。大体の貴族はな、平民の事はどうでもいい。騎士団はまともに調べなかった。取り次いでもらえるのがせいぜい底辺の一般兵で、金握らせれば言う事聞く程度の連中だからだ。その辺り、今更どうって事はない」

 とにかく子爵家に顔を出す暇は無くなったとラウが言う。

 お母様の心配どころか自分が食べていく事がまず難しく、寝床を決める度に荒らされてラウは【ラウレンス】を捨てた。


 別人としてなら仕事が取れる。

 別人としてなら部屋を借りても荒らされない。

 別人としてなら…生きていける。


「何年かかったんだったか……女の偽名を使って、リーセと手紙だけはやり取りできた。あいつは俺が死んだと思ってたらしい。早とちりの多い奴だったな…しばらくして、何かあったら娘達を頼むと書いてきた。宝石を預けた貸金庫の番号と一緒に」


 そしてお母様は、心臓の発作で亡くなった。

 お父様に顔を知られているラウは、棺で眠るお母様に会う事もできずに、私とアレットだけになるのを待って現れる。


 雨の日に、傘も持たずに。

 あれは、傘を持っていたら気付かれてしまうからだった。


「俺にとったらまぁ、お前らは姪みたいなもんだ。……アレットは娘の位置に滑り込んできたけどな。」

「あの子、ラウがお父様ならいいのにってずっと言っていたから…」

「……初耳」

「初めて伝えたもの。」

 これまでは現実的じゃなかったしね。

 照れたのか頭をがしがしと掻いて、ラウが立ち上がる。


「休憩終わりでいいか?」

「えぇ。……早く、ジェラルド様を迎えに行かないと。」

 足の疲れもだいぶ良くなった気がする。

 荷物を背負ってラウの方を見ると、ふと後ろの壁に違和感を覚えた。


「ラウ、そこのくぼみって文字に見えない?」

「ああ?」

 カンテラを掲げたラウの近くへ走り、くぼみに手を触れる。光が届いた事で少し全体が見えた。

 地上に石で作られていたものと同じで囲みが無く、記号や文字列の間にスペースが空いていて、ぱっと見では気付きにくい。


「やっぱりそうだわ。これは【水】を表す旧字で…」

「馬鹿、読み途中で流してんじゃねぇ!!」

「あっ」

 慌てて手を離そうとしたけれど遅かった。

 この魔法陣は地上にあったものより少ない魔力で発動するらしい。私がうっかり滲ませた分だけで淡く光を放ち、


「エステル!!」


 ラウが庇うように私を抱きしめた直後、魔法陣の中央に穴が空いて大量の水が溢れ出す。

 悲鳴を上げる間もなく呑み込まれ――…ローブに仕込んでいた魔法陣が発動し、空気を含む球状結界の中に倒れ込んだ。


「げほっげほ!ッ馬鹿!この阿呆!!」

「ごほ、けほっ!ご、ごめんなさい……」

「ったく…」

 ラウがびしょ濡れの髪を掻き上げ、水を吸ったローブをぎゅっと絞る。

 私達は結界ごとどこかへ押し流されているようだった。


「地下対策してきて本当に良かったわね…」

「土壇場で魔法陣書こうっつっても、間に合わねぇからな。」

 地下迷宮に入ってみようと決めた時、何が困るかアレットと三人で考えたのだ。

 当然ながら食料。

 ラウとはぐれて声が出せない時のための、風の魔法陣を彫ってある笛。

 地下が崩れて生き埋めとか、壁が壊れて地下水に飲まれたりした時のために結界。足元が崩れて高所から落下した場合に備えて落下速度低減を入れた結界…エトセトラ、エトセトラ……。


「俺達はいいけど、これ……どっかでファビウス侯が余波食らってたらどうすんだ?」

「………あの懐中時計は、魔力さえ込めれば繰り返しのご使用が可能に」

「馬鹿と天才は紙一重だよな」

「あっ!?ラウ、見て!!」

 気を紛らわせようと【探知】の魔法陣をいじっていた私は思わず声を上げた。

 中心に埋め込んだペンダントから木札の端へ向かって、一方向にだけ淡い光が伸びている。


「この先にジェラルド様が…」

 いる、と言おうとした矢先、光の伸びる先がぐりんっと回って後方を指した。

 通り過ぎた。明らかに。


「ジェラルド様ーーーっ!!」


 結界内に私の叫び声が響き、ラウがうるさそうに顔を顰めた。




 ― ― ― ― ― ―




 ジェラルド様捜索二日目


 数階層地下に潜ったけれど、まだ見つからない。

 本物のメナシウサギは思っていた以上に土まみれだ。


 石壁がなくなって自然の洞窟が続く。

 ラウに両親の話を聞いた後、

 うっかり何かの魔法陣を起動して押し流されてしまった。

 途中でジェラルド様の方向を示していたのに…


 流れ着いた先で改めて調べると、

 精度は低いものの反応はし続けているようだ。

 よかった。

 本当に、よかった。


 それにしても、ここはどこだろう。




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