11.奥様は怪しい男とお知り合い
侯爵さ…ジェラルド様の良きパートナーになった事で、私の暮らしもまたちょっと変わった。
部屋は別棟ではなく本館の広い部屋、それも侯…ジェラルド様のお隣。
「これでいつでも魔法陣談義ができるというわけですね!?」
「…そうだな」
なんて素晴らしい。
間にはお互いの部屋から入れる寝室がある。
普通は夫婦が共に寝る事でいずれ子を得るための部屋なのだろうが、養子をとる私達がそういう関係になる事はない。
つまり、
「ここを会議室にしようという事ですか…なるほど、ベッドに寝転んで話せば寝落ちしても安心だと。」
「……まぁ、そうだな」
「旦那様」
広い部屋ばかりだから、置こうと思えば本棚だって沢山置ける。
大はしゃぎの私から離れたところで、ジェラルド様はクレマンに「さすがに…タレが過ぎ…と」とかなんとかこそこそ言われて「うるさい」と返していた。
「エステル」
「はい!」
ジェラルド様に呼ばれたらすぐ飛んでいく。あちらが私の方に歩いていたとしても。だっていつ魔法陣の話が始まるかわからない。時間は有限なのだ。
「俺達は就寝時間が合わない日もあるだろう。互いに気を遣わず、俺と話す気力がある時だけこちらに来ればいい。」
「わかりました、こっ…ジェラルド様!」
侯爵様、と言わずちゃんと名前で呼ぶと、ジェラルド様がそれでいいとばかり頷いた。
今日も今日とて後光が差しそうな美貌である。
「お会いできる機会が増えるのは嬉しいです。」
「ああ、魔法陣の話ができるな。」
「はい!それにジェラルド様は、私が知る男性の中で一番格好良いのですよ。」
「………、そうなのか。」
「えぇ、まるで美術館に日参しているような心地です。私が画家ならスケッチでも始めていた事でしょう」
「奥様」
リディに呼ばれて振り返ると、「そうじゃない」という顔でゆっくりと首を横に振られた。はて。
ジェラルド様は咳払いしてから手振りでクレマンとリディを退室させた。私はソファの方へ誘導され、ぽすんと座る。正面ではなく隣同士だ。
「エステル」
「はい!どの属性――…」
わくわくしながらジェラルド様を見上げ、口を閉じる。
真剣にこちらを見ていたから、何か仰りたいのかと思ったのだ。大きな手が私の頬に触れた。温かいけど、初めての事で少し違和感を覚える。反射的に私の視線が泳いだ。何だ?何だろう??
「貴女は、俺が知る中で一番可愛らしい女性だと思う。」
え、と聞き返したつもりが声にならない。
窓から差し込む光でジェラルド様の金髪がきらきらして、蜂蜜色の瞳に驚いた顔の私が映っている。手が離れた。
「まるでメナシウサギを見守るような心地だ。俺がコレクターなら迷わず餌付けしていた」
「魔物じゃないですか!」
「愛玩用のな」
ジェラルド様がくつくつと笑う。
メナシウサギは元は洞窟に住んでいる魔物で、目を持たない代わりに嗅覚と聴覚が発達しているらしい。絵でしか見た事がないけど、丸みのあるふわふわした身体と長い耳が愛らしく、人にもよく懐く事から貴族のペットとして知られている。
ちなみに意外と俊敏で、大好きな餌の匂いがすると全力ダッシュして餌を通り過ぎてしまう事があるらしい。そんな抜けている所も愛らしいと評判で……あら?もしかして若干貶されている??
なんの焦りなのかとくとくしている胸を押さえて懸命に主張した。
「わ、私は魔法陣を素通りしたりしませんよ…!」
「餌なのか、魔法陣は」
ちょっと呆れた様子のジェラルド様に「人生の糧ですから」ときっぱり言う。
お母様は専門家というわけではなかったけれど、初級魔法陣くらいなら地面に書いてくれたものだった。
一輪の花を濡らすだけの小さな水しぶき。
何度もねだって、何度もはしゃいで、まだ小さなアレットがポケッと不思議そうにして、お母様は笑っていて。
そんな記憶が私の原点だ。
「ところで、そろそろ図書室を開けてもいいですか?」
「もう少し待ってほしい。あれだけの施錠魔法陣をすぐに消すのは勿体ない」
「全然【すぐ】ではないと思いますけど…」
私は眉を下げて呟いた。
ジェラルド様は私が魔力筆で書いた施錠の魔法陣がだいぶ気に入ったらしく、なかなか開錠許可を出してくれないのだ。あれは一発限りの物なので開錠したら消える。
消すために改めてじっくり見たところ、ヴァイオレットに近い――というか、私がヴァイオレットなので本人が書いたのだが――魔法陣の構成で、残したくなったらしい。
「エステル、君は才能がある。次代のヴァイオレット女史になれるかもしれない」
次代というか、当代だ。
彼女の著書を参考にしただけですよとやんわり拒むが、近い物を作成できる時点で相当優秀なのだと力説された。
緻密に書き込んだ上で魔法を維持するのはちょっとコツ(と魔力量)がいるので、私の魔法陣は常々「万人向けじゃない」と言われている。
「研究者として論文を出す気はないか?」
もう出しているのだ、それなりに。
そしてジェラルド様は全て読破しているらしい。いたたまれない。
「今のところは…。ジェラルド様こそ、論文は出されないのですか?一昨日伺った結界・発煙魔法陣の同時発動におけるリスク…あれほどの規模を使う方はまずいないのでしょうが、可能なら検証を進めて発表なさった方が…」
「い、いや。俺の考えることなど……ほら、アレクサンドル殿あたりが思いついているだろう。」
「……確かに、アレク様のご興味を引きそうな内容ですが…」
確証はないのだし、やって損はないと思うのだけど。
規模が大きいからタダで検証できるものじゃない。ジェラルド様がやらないと言うなら、私にそこを強制する権利はないわね。
私――ヴァイオレットなら、強引に縮小実験を行えるけど。そこまでやったら確実にバレる。
検証実験なら魔法陣作成者は研究者として使ってる名を記すものだし、一人の研究者が複数の名前を使うのは法律違反だ。ぱっと見ではわからなくとも、魔力筆で書いた魔法陣を専用の道具で捜査されたら調べがつくのである。
ちなみに私生活で書いた魔法陣なら、本名で記しても違反にならない。研究者としての名が複数になるのは駄目というのは、あくまで論文の正当性を決めるためのものだから。
「ともかく…今日、子爵邸に行くのだろう。大事なものは全て忘れずに取ってくるといい」
「はい!諸々手配して頂きありがとうございました。」
「礼は問題なくここへ戻ってからだ。途中で荷物に何かあれば意味がないだろう」
それは本当にそう。
紛失焼失水没などが起きないよう気を付けて運んでもらわなくては。ごくりと唾を飲み込んで頷いた。
「平気だとは思うが、もし誰かに絡まれたらこれで押し通れ」
「これは…」
ジェラルド様が差し出したのは、ファビウス侯爵家の家紋が刻まれたブローチだ。
私はお礼を言ってありがたく受け取った。
ほんの二週間ぶりくらいだけど、なんだか久し振りに思えるオブラン子爵邸へやって来る。
膨大な資料にリディや護衛達はあんぐり口を開けていたけれど、引き取り自体は問題なかった。
お父様からは「侯爵との仲が良好でよかった、元々邪魔だったし好きに持っていけ」という伝言のみ。ジェラルド様が私との離縁は考えてない、という旨の手紙を送っておいてくださったらしい。
アレットも不在だったから侍女に私からの手紙を託しておいた。返事がくるかはわからないけど。
「あっ、しまった。ここの魔法陣は消さなくてはいけないわね…あっちも。」
自室は私の城であったので、あちこちに生活用の魔法陣が書き込まれている。
彫ったわけではない事だけが幸いか。
リディに手伝ってもらって、魔力吸収布でゴシゴシ落とした。まだ新品があってよかった。この布は吸収しきったらそれきりなのだ。水と違って、絞っても魔力は出ていかないので。
壁が綺麗になる頃にはほとんどの資料が運び出され、家具だけが残る。
「奥様、これくらいで終わりでしょうか?」
「えぇ、後はこちらだけよ。」
奥様と呼ばれるのも慣れてきた私である。
片手に布を掴んだまま隠し資料室を開けると、薄暗い中を覗き込んだ運送屋さんが顔をひきつらせた。お仕事なので是非がんばってほしい。
魔法陣を消し去った後は私も身体強化の魔法を発動し、ひょいひょいと書類や本を詰めた木箱を運んだ。すると運送屋さん達が必死の形相でスピードアップしたので、なんだかんだ早く片付いたと思う。
リディが「奥様にやらせた分は減額しますよ」と言ったらしい事は後から知った。仕事を奪ってすみませんでした。
列をなして侯爵邸へ発った荷馬車を見送り、私達も子爵邸を後にする。
リディはジェラルド様から財布を持たされたらしく、「カフェでも本屋でも服屋でも宝石店でも、好きに寄って良いんですよ!」なんて言ったけれど。
私はひとまず銀行へ向かった。
この先、ジェラルド様のお金を使うわけには…って時もあるだろうし、何より貴重品を。アレク様のペンダント、侯爵邸でなら自室でしょっちゅう眺める事も叶う!
「…それが、預けていた貴重品ですか?」
「ええ!宝物なの」
リディの勧めで寄った――というより連れ込まれた、カフェテリアにて。
アクセサリーケースに頬擦りしてうっとりする私を見て、リディはまたチベッティ・シュナギツーネみたいになった。
「コホン…ご友人からの贈り物ですか?」
「いいえ、私が敬愛してやまない紳士が――」
「おや、エステル嬢ではありませんか。鳥は鳴きましたか?」
穏やかに話しかけられて振り返る。
長い銀髪を低い位置で結った三十代くらいの紳士が、微笑みを浮かべてこちらへ歩いてきた。
ラウだ!
名前を呼びそうになってふと、リディや近くのテーブルについた護衛達が、私に確認の視線を送っていると気付く。慌てて大丈夫ですと頷いた。
危ない、ここは私の部屋じゃないのだ。名前……えっと、なんだったかしら。軽く咳払いして微笑みを浮かべる。
「越してそう間もないし、しばらく鳥は鳴かないんじゃないかしら。久し振りね、えぇと…」
「エーミルですよ。」
商人男爵スタイルで現れた私の担当編集に、リディは何も言わないけれど少し警戒した様子だ。
伊達男スタイルとか気ままな旅人スタイルの時じゃなくてよかった。リディ達がいるのにわざわざ話しかけたという事は、彼の方は私に用事があるはず。
……そういえば、結婚が決まってから連絡とってなかったわね。
内職で作った魔法陣の売上報告とか、ヴァイオレット宛の依頼、今後の段取り、侯爵邸への訪問許可…あたりかしら。
子爵邸には荷物を取りに行くと先触れを出していたし、何台も馬車が来て今日も噂になっただろうし、そのあたりを聞きつけて来たのだろう。
「そうだったわね、エーミル。今日はどうしてここへ?」
「麗しい花が見えたものですから、引き寄せられてしまいました。それをお持ちという事は、噂のご夫君はお優しい方なのですか?僕が訪れては嫉妬されてしまうでしょうか。」
「信頼できる方よ。嫉妬なんて事にはならないから安心して。貴方とは話さねばならない事が沢山あるわよね」
「えぇ、当店としましてもお嬢様…失礼、夫人の作品は良質な商品として仕入れさせて頂いておりましたから。今後とも契約を続けさせて頂きたいものです」
「早い方がいいかしら。いつ来れるの?」
「僕の予定ですと…」
私は基本的に侯爵邸に引きこもっているので、彼が来れる日に来てもらう事にした。
最初は警戒していたリディも、話の流れから私が魔法陣を卸していた相手と察して少し安心したようだ。
「それとこちら、前々からご所望されていた【宛先】です。」
「っ!?」
差し出された宛名のない封書にびくりとする。
思わず目を見開いて彼を見たけれど、笑顔で頷くのみだ。ほ、本当に?
本当にこの中に――アレク様へ届く宛先が!?
震える手で受け取った。
双方の住所がわからないよう、書かれているのは当然匿名郵便のポスト番号だろう。それでも、そこへ手紙を出せばアレク様へ届くのだ。
私と彼は取引している出版社が違うので、安易に彼宛として出版社に手紙や差し入れを送るわけにはいかない。無事に本人に届くかわからないしね。
別れの挨拶をされても私は上の空で、熱い珈琲を飲んでもよくわからず、気が付いたら自室の机で新品のレターセットを前にしていた。
実家から無事に届いた資料の山を整理する余裕など全くない。
アレク様のペンダントを眺めて、ため息をついた。
何を、書こう。
― ― ― ― ― ―
本館に来て最初の夜、気付いたら自室のベッドだった。
子爵邸から資料を運び出したり、
街で買い物したりラウに会ったりと
一日で色々あったけど、一番は…
アレク様に手紙を出せる環境が整った。
買った便箋とペンダントを前に考え込んでいたら
私はそのまま寝落ちたみたいだ。
リディが運んでくれたのだろうか。
私とジェラルド様の部屋の間には会議室があり、
二人並んでお喋りできる広いベッドがあるのだが
私が寝ていたせいだろう、
今日はいらっしゃらなかった。
せっかくなのでど真ん中で寝てみようか。




