新ファイル6 音が残る部屋
物件は、築三十七年の木造アパートだった。
「音が残る」
というだけの、よくある相談。
千堂千草と青山信二は、
いつものように
二人で中に入った。
二階の角部屋。
畳は新しい。
だが、空気だけが古い。
「……ここ、 少し“薄い”わね」
千堂が呟いた瞬間だった。
―― ザッ
イヤーピースに、
ノイズが走る。
「……え?」
青山が足を止める。
千堂は、特に驚いた様子もなく
天井を見上げた。
そのまま、イヤーピースを指で軽く押さえる。
「……聞こえた?」
次の瞬間、声がはっきりと入ってきた。
『そこは、まだ空けといたほうがいい』
男の声。
落ち着いていて、少し古い話し方。
命令ではない。
忠告に近い。
「……誰ですか?」
青山が、思わず声を出す。
返事は、すぐに来た。
『ああ、初めてか』
『気にしなくていい。
君向けじゃない』
千堂が、小さく笑った。
「久しぶりね」
青山は、千堂を見た。
「……知ってるんですか?」
「ええ」
千堂は、畳にしゃがみ込む。
「小林 治」
その名前を聞いた瞬間、イヤーピースの向こうで
一瞬、沈黙があった。
『……まだ、
その名前を使ってるのか』
青山の喉が鳴る。
「……誰なんですか」
千堂は、淡々と答えた。
「元上司で調査担当」
「……“元”?」
『正確には、 退職してない』
『配置換えだ』
声は、雑談するように続く。
『この部屋、今日は触るな』
『記録だけ取って、帰れ』
『今、“動かすとズレる”』
千堂は、素直に従った。
写真を二枚。
温度と湿度を測る。
それだけ。
まるで、
事前に決まっていた手順のようだった。
部屋を出る直前、
声がもう一度入る。
『……青山』
青山は、息を止めた。
「……はい」
『君は、まだ“外”だ』
『だから、余計なことは
考えなくていい』
「……どういう意味ですか」
返事はなかった。
イヤーピースは、
静かになった。
会社に戻った後。
青山は、一人で音声ログを確認していた。
日時。
現場名。
通信履歴。
発信元欄を見た瞬間、手が止まる。
発信元:自社サーバー内部
登録名:管理者
外部回線ではない。
社内。
しかも、個人名ではない。
「……管理者……?」
青山は、ログをさらに遡る。
同じ声。
同じ話し方。
三十年前のデータにも、
同一の音声パターンが
残っていた。
再生ボタンを押す。
『……ここは、
まだ空けといたほうがいい』
今日と、全く同じ声。
劣化も、ノイズもない。
まるで、
時間を通っていない音声。
その瞬間、
背後で椅子が
一脚、増える音がした。
青山は、振り返らなかった。
振り返ってはいけないと、
なぜか分かっていた。
モニターの隅に、小さなポップアップが表示される。
管理者よりメッセージ
《次は、君にも聞こえる》
青山は、イヤーピースを外せなかった。
外したら、
もっと近くで
聞こえてしまいそうだったから。




