新ファイル2 データに載らない事故
その物件は、“完全に白”だった。
国交省の事故物件データベース。
自治体の公開資料。
民間の履歴統合サービス。
どこを探しても、
事故・事件・孤独死、該当なし。
築三十五年の中規模マンション。
立地も悪くない。
なのに、家賃だけが不自然に安い。
「社長、これ……本当に問題ないんですか?」
青山信二は、
端末の画面を何度も更新しながら言った。
「データ上は、ね」
千堂千草は、
マウスを握ったまま、
画面を見ていなかった。
「行きましょう。 データにないなら、
現地に聞くしかない」
マンションの敷地に入った瞬間、
青山は違和感を覚えた。
静かすぎる。
子どもの声も、
洗濯機の音も、
生活音が、抜け落ちている。
掲示板のカレンダーに、
赤丸がひとつだけついていた。
日付は、
七月十八日。
今年のものではない。
去年でもない。
その前の年でもない。
だが、何枚か重ねて貼られた紙すべてに、
同じ日付、同じ赤丸。
「……これ、何ですか?」
千堂は管理人室を覗き、
留守を確認してから答えた。
「避けてる日」
「何を……ですか?」
「“起きた日”を」
住民に話を聞くのは、難しくなかった。
皆、
同じ言い方をする。
「その日は、外に出ない」
「旅行に行くことにしてる」
「偶然です」
「毎年、そうしてるだけ」
理由は誰も言わない。
だが、
七月十八日の話題になると、
必ず視線を逸らした。
エレベーターの中。
青山は小声で言った。
「社長……
全員、
同じ日なんですよね」
「ええ」
「でも、
事故なんて……」
千堂は、
エレベーターの鏡に映る自分を見て、
静かに言った。
「記録されなかっただけ。
起きてるのよ」
問題の部屋は、
三階の角部屋だった。
鍵を開けると、
部屋は整っている。
だが、
リビングの床だけが、
微妙に沈んでいた。
一箇所ではない。
円状に、
人が集まったような歪み。
青山は無意識に数えた。
「……六人分?」
千堂は答えなかった。
代わりに、
カーテンを開ける。
外は、何の変哲もない住宅街。
「この部屋で、
何があったんですか?」
「“事故”よ」
「どんな?」
「データに載らない種類の」
千堂は、スマートフォンを取り出した。
過去の新聞。
SNS。
個人ブログ。
削除済みのキャッシュ。
どこにも、記事は残っていない。
だが
彼女は、
検索結果の一行を指差した。
《この年の七月十八日、周辺一帯で通信障害》
「事故はね、死者が出なくても起きる」
「……え?」
「“戻れなくなる人”が出ることもある」
その瞬間、
青山の端末が振動した。
「社長…… 何か、生成されて……」
画面には、
見慣れないフォルダが一つ。
FILE00
番号は、
ゼロから始まっている。
開こうとすると、
端末が一瞬、暗転した。
千堂はそれを見て、
小さく息を吐いた。
「来たわね」
「……何が、ですか?」
「順番が」
夜。
事務所の明かりを落としたあと。
誰も触れていない端末に、
通知が一件だけ表示された。
《FILE00 調査開始》
本文は、まだ空白だった。
だが、フッターだけは、
すでに入力されている。
担当者: 千堂 千草
その名前を見て、
千堂は画面を閉じなかった。
「……やっぱり」
彼女は、
誰に向けるでもなく呟いた。
「次は、 “載せる側”の仕事ね」
画面の奥で、
カーソルが、
ゆっくりと点滅していた。




