ファイル32 契約書に書かれた“空欄の名前“
物件は、古い1Kアパート。
駅近。条件は悪くない。
契約条件も、単純だ。
入居者:1名。
書類上は、
それ以上でも、それ以下でもない。
増える署名欄
契約書を広げる。
記載内容に、
不備はない。
だが、
署名欄だけが
一段、多い。
本来、
借主署名は一枠。
それなのに、
二枠目がある。
印刷ミスかと思い、
小林は赤ペンを取った。
消しても戻る
二枠目に、
×を書いて訂正。
コピーを取り直す。
戻っている。
三度目。
四度目。
消すたびに、
署名欄は増えた。
二段。
三段。
四段。
まるで、
並ぶための場所のように。
小林は、
赤ペンを置いた。
そして、
誰にともなく言った。
「……ここ、
まだ空けといて」
静かな部屋。
「後で、来るから」
エアコンは止まっているのに、
紙が、
ふわりと揺れた。
確認のため、
小林は自分の名前を書いた。
小林 治
その瞬間
隣の署名欄に、
同じ名前が浮かび上がる。
だが、
筆跡が違う。
丸い文字。
崩れた文字。
震えた文字。
どれも、
小林 治。
小林は、
それを見て、
静かに頷いた。
「……揃ったね」
契約書の下部には、
こう追記されていた。
入居者数:未確定
備考欄
契約書
署名欄増殖あり
※入居意思反映型
削除不可
最後の署名欄。
そこには、
すでに名前があった。
小林 治
ただし、
重なり合った、複数の筆跡。
小林は、
ペンを置いた。
「……これで、全員分だ」
書類は、
静かに閉じられた。
中から、コツン
と、印鑑を置く音がした。
※追記事項
署名欄に記載された氏名、て同一表記だが筆圧・筆順が一致しない
契約書を保管中、未記入だった署名欄からインクの滲みを確認
※筆記具不明
夜間、書類棚から複数人分の筆記音が断続的に記録される
小林 治
「紙に居場所ができると、 人は安心するんだ。
だから、増える」
と記憶




