ファイル25 誰もいないのに満室のアパート
築四十年以上の木造二階建てアパート。
立地は悪くない。
だが、全室空室。
少なくとも、書類の上では。
夜七時。
小林は千堂を伴わず、一人で敷地に足を踏み入れた。
その瞬間だった。
――パチ、パチ、パチ。
一階から二階へ。
全室の明かりが、合図を合わせたように灯る。
カーテン越しに、人影が揺れる。
小林は驚きもしない。
「今日は……賑やかだね」
まるで、
祭りの準備でも見ているような口調だった。
満杯のポスト
共用廊下。
壁沿いに並ぶポストは、すべて膨れ上がっている。
チラシ、請求書、役所からの通知。
だが、どの封筒も――
宛名だけが、きれいに消えていた。
インクが擦れた形跡はない。
最初から、そこに名前がなかったかのように。
小林は一通を指で弾いた。
「まだ届くんだ。
……あの世に転送される前の、最後の便かな」
風が吹く。
廊下の板が、ミシ、と鳴る。
その音に合わせるように、
壁の中から、微かな振動。
トン、トン、トン。
苦情を叩くような、一定のリズム。
壁の中の順番
小林は立ち止まり、
木の壁に、そっと手のひらを当てた。
ひんやりしている。
だが、その奥に
ぬるい“体温”の層を感じた。
「順番、ちゃんと守ってるね」
囁くと、
壁の向こうで何かが静まった。
まるで、
注意を受けて納得したかのように。
その瞬間、
小林のスマートフォンが震える。
非通知。
出ると、
受話口から、複数の声が重なった。
『うるさい』
『まだ順番じゃない』
『先に入ったのに』
小林は廊下を歩きながら、
淡々と返す。
「クレームは管理人まで。
……今、ちゃんと見てるから」
通話は、壁の中へ吸い込まれるように切れた。
剥がれ落ちる募集紙
帰り際。
アパートの外階段を降りたときだった。
ペリ……ペリ……
貼られていたはずの
『入居者募集』の紙が、
一枚、また一枚と、
自分から剥がれて落ちていく。
風は、吹いていない。
最後の一枚が剥がれた瞬間、
二階のどこかで、
満足そうな溜息が響いた。
小林は振り返り、
灯りのついた窓を見上げる。
「満室だね」
その言葉を合図に、
全室の電気が、
一斉に消えた。
※追記事項
当該アパートは翌日より募集停止扱い。
管理会社の電話に
夜間、複数回の“無言着信”あり。
小林治、報告書に
「定員超過の恐れあり」と記載。




