最終ファイル2 小林の正体
社の夜は、いつもより静かだった。
千堂は無人の事務所に一人、震える手でスマホの画面を見つめていた。
《SENDO CHIGUSA(準備中)》
さっき勝手に入力された、自分の名前。
目をそらしても、
脳裏にへばりつくように浮かび続けている。
(……私が、次?)
胸が苦しくなるほどに鼓動が速い。
スマホを握りしめたそのとき――
「残業かい? 千堂さん。」
背後から声がした。
千堂はビクリと肩を震わせ、
ゆっくり振り返る。
そこには、
蛍光灯の下でいつも通りの笑顔を浮かべる小林治が立っていた。
「……小林さん。どうして……?」
「忘れ物だよ。鍵を取りに来ただけさ。」
小林の笑顔は柔らかい。
けれど、その笑みの奥にある“何か”が、
もう千堂には別のものに見えていた。
千堂は決意して、口を開いた。
「小林さん……会社に来る前、どこにいたんですか?」
小林の目が、微かに細まる。
「へえ。ついに、調べたんだね。」
《20年前 失踪した不動産営業マン・小林》
事故物件を多数扱っていた営業マンが突然消息を絶つ。
最終目撃は、“物件の内見へ向かう姿”。
※捜索は打ち切り。死亡扱い。
千堂は搾り取るように言った。
「……あなた、20年前に失踪してますよね?
ニュースにも載ってた。行方不明扱いで……
生きてるはず、ないんです。」
小林はゆっくりと近づく。
「そう。あのとき俺は“消えた”。
でもね、死んだわけじゃないよ。」
蛍光灯が一瞬 flick と揺れた。
光が落ちるにつれ、小林の輪郭がじわりと歪む。
「訳あり物件にはさ……人を呼ぶ何か があるんだ。」
「……なに、言ってるんですか……」
「ほら、首吊り、溺死、孤独死、転落死……
みんな、同じ。
“ここ”に来たがるんだよ。
そして、お前も――」
笑った。
その笑顔だけは、
人間のものとは思えなかった。
突然、事務所の照明が バンッ と落ちた。
真っ暗になる。
千堂は悲鳴を飲み込み、スマホのライトをつけようとする。
だが、画面は真っ黒になり、勝手に文字が走り出した。
《追加完了:SENDO CHIGUSA》
息が止まった。
背後で、誰かが立ち上がるような音。
椅子が軋む音。
複数の足音。
(なに……? 誰か……いるの?)
スマホのライトが突然点いた。
淡い光の中――
事務所の壁いっぱいに 影 が立っていた。
男女、若者、老人。
皆、うつむいたまま動かない。
千堂は気づいた。
あれは……
失踪した契約者たちの影 だ。
その中心に、小林が立つ。
「みんな,“俺の物件”から出られなくてね。
でも、寂しくないよ。
こうして……家族が増えるんだから。」
影たちが一斉にこちらを向いた。
目がない。
口が裂けている者もいる。
首がぐにゃりと曲がっている者も。
千堂の膝が崩れた。
「や……やめて……!」
小林が手を伸ばす。
「こっちにおいで。
千堂さん
君も、訳あり住民になろうよ。」
影が一斉に、千堂へ襲いかかった。
影たちが一斉にこちらへ倒れ込んできた瞬間
千堂の喉から、張り裂けるような悲鳴があがった。
「いやだ!! 来ないでっ……来ないで!!
小林さん……やめて……やめてください!!
わたし……まだ……まだ死にたくない……!!
助けて……誰か……っ……!!
やだ……暗い……やめてぇぇぇええええ!!
いやあああああああああああっ!!!!!」
最後の言葉は、
涙とも呼吸ともつかないかすれ声だった。
「……たす……け……」
その声は闇に吸い込まれ、
跡形もなく消えた。
事務所には、
再び静寂が戻る。
数秒後、
受付のパソコンが自動的に起動した。
画面には新しいファイル名が浮かぶ。
《新ファイル 準備中》
蛍光灯が一度だけチカッと光る。
暗い事務所に、
誰かの足音がゆっくりと歩き去っていく。
最終フ ァイル ーBAD ENDー




