ファイル17 水音のする空き家
十年以上、人が住んでいない郊外の古い戸建て。
募集図面の備考欄には、ただ一言
「生活音ありのため調査依頼中」
それだけだった。
「誰も住んでないのに、生活音って……何なんでしょうか?」
千堂が眉をひそめると、小林はいつもの調子で肩をすくめた。
「まぁ行ってみりゃ分かるさ。物件は見ないと駄目だからね。訳ありの匂いがするねえ。」
◇◇◇
戸建てに到着すると、周囲の家は新しいのに、そこだけ時間が止まったように古びていた。
庭木は伸び放題、窓ガラスは曇り、玄関の鍵は錆びている。
管理会社の担当が鍵を差し込み、重い音とともにドアが開いた。
その瞬間、家の奥から
ぽちゃん……ぽちゃん……
「水……?」
千堂が小さくつぶやく。
しかし、1階の水道はすべて閉まっている。
台所の蛇口も、洗面所の栓も、問題なし。
それなのに、2階からずっと“水が垂れる音”が続いていた。
「誰か……いるんでしょうか?」
震える声で聞く千堂。
「誰も住んでないな。」
小林は、なぜか楽しそうに言う。
階段を上り、音のする部屋へ向かう。
ドアを開けると、そこは何も置かれていない六畳の子供部屋らしき空間。
だが、天井の一点から、確かに水が落ちていた。
ぽちゃん、ぽちゃん、ぽちゃん……
天井を触ると乾いている。
床も乾いている。
音だけが続いている。
「……気のせい、じゃないですよね?」
「音はしてる。でも水は落ちてない。つまり、そういう物件ってことだ。」
小林はまるで図鑑を読むように淡々と説明し、帰り支度を始めた。
千堂は最後にもう一度振り返り、窓の奥を見る。
そこにいた。
濡れた髪。
びしょ濡れの服。
全身から水を滴らせた小さな子供が、じっとこちらを見ていた。
「ひっ……!」
瞬きをした瞬間、もう姿はなかった。
翌日。
家主から電話が入る。
「昨日、内見していただいた家なんですが……」
声が震えていた。
「今日、誰も使ってないのに、水道メーターが動いてるんです」
背筋が凍った。
千堂は無意識に天井を見上げる。
その瞬間
会社の奥から、ゆっくりと。
ぽちゃん……ぽちゃん……ぽちゃん……
水の音が響き始めた。
「小林さん……聞こえますよね……?」
小林はにやりと笑った。
「霊が、ついてきちゃったんだろうね。千堂さんに。」
◆◆◆
◇◇◇
その夜。
千堂は夢を見た。
真っ暗な“あの空き家”。
2階の子供部屋。
びしょ濡れの子供が、こちらへ歩いてくる。
足元から水が溢れ、千堂の足を飲み込んでいく。
「ま……って……」
子供が顔を上げた。
白い目。
口だけが親指ほど裂け、言葉を落とした。
「お母さん……なんで……
ぼくを……コロスノ?」
その小さな手が千堂の首に伸び
千堂は悲鳴を上げて目を覚ました。
部屋の中は静かだ。
ただ一つだけ。
枕元で、微かに。
ぽちゃん……ぽちゃん……たすけて……おかあさん
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