表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
魂のサウダージ
60/60

エピローグ

 今年の冬は特別に気温が低く、一月から二月にかけて朝晩は随分と肌寒かった。


 午前の遅くに起きた私はシャワーを浴び、左肩と右脚の古傷を確かめた。当時はそこそこの重傷だったが、今は後遺症も残らず、もう痛むことも無くなっていた。朝のルーチンを済ませ、いつもの装いに身を包んだ私は、自宅近くの通りでタクシーを捕まえた。


 岱輿城市ダイユー・シティの政府主流派。それに敵対する香港派。香港派を支援する華南軍閥。彼らの台頭を阻止したいグウィディオン、アメリカ。それぞれの思惑が渦巻くシティの政治的混乱が収束してから、半年が経った。


 夏大偉シァダーウェイは死亡。その支援者は内乱の罪で拘束され、軒並み失脚。香港派はシティからほぼ一掃された。一時は華南軍閥との間で緊張が高まったが、レイ市長の政治手腕により、現在は小康状態にある。


 車に乗り込んだ私は、運転手に空港へと向かってもらうよう頼んだ。十分後、そこで陽花を拾う予定になっている。


窓枠に肘を当て、私はぼんやりと外の景色を眺めた。混乱を過ぎてみれば、市民の生活はほとんど変わっていなかった。いや、むしろ変わらなかったことを喜ぶべきなのだろう。


 私の身辺も、一年前に比べてそれほど大きな変化があった訳ではない。しかしあの時の修羅場を想えば、それもおそらく幸運なのだ。


 平日昼の道路は空いていて、空港へはすぐに到着した。ビル正面のバスターミナルでは、黄色いキャリーバッグを引いた陽花が私に気付き、手を振っていた。私はタクシーを待たせ、彼女のもとへ歩いていく。


「よう」

「月島さん、元気そうだね」


 陽花は以前に比べ髪を伸ばし、服装も少々女性らしくなっていた。ただしハッキングがライフワークなのは、まったく変わっていないようだった。


 彼女とタクシーに乗り、私は居住区アップタウンを目指した。


「ジュリアさんは相変わらず忙しいって」

「だろうな」


 それから陽花は細々(こまごま)とした近況を語った。相変わらずシンガポールに住んでいるが、アメリカやヨーロッパへ何度か行ったらしい。携帯端末で次々と私に画像を見せる。


「兼城さんとチャオさんはどうしてる?」

「兼城は少し偉くなったらしい。だが最近管理職は向いてないと悟りつつある」


 海虎一家が利権を握る貧民街ブロッサム・ストリートの再開発計画は、現在徐々にではあるが進んでいる。暴力と度胸より政治と金がモノを言う局面に移りつつあり、兼城にとっては退屈な時期になっているようだ。


チャオは店を開いた」

「店?」

「ハンバーガーショップ」


 警察組織に戻れるという話も出ていたらしいが、チャオはそれを辞退した。その後何を思ったのか、再開発地区の一角を押さえ、ファストフードの店を始めたのだった。目指す所は良く分からない。今の所楽しそうではある。


タクシーは程なく居住区アップタウンに到着した。私はシティで数少ない生花店の場所を思い出し、その前で降りる。


 我々はこれから、陽花の父親が死んだ現場まで行くつもりだった。ちょうど一年前、瀬田英司はその場所で公安に殺された。事件の関係者全員に責任を取らせることはできない。しかし陽花は自分なりの意志と復讐心で、自らの魂が路頭に迷うことを防いだのだった。


 店で淡いピンクのスイートピーを買い求めた陽花は、キャリーバッグを私に押しつけ、早歩きで道を行く。我々は小さな横路に入り、ビルで陰った曲がり角いくつか通過する。そして車が辛うじて通れる程度の、薄暗い路地に出た。


 私がこの場所に来るのは半年振りだった。陽花は一連の事件が終わった後に一度訪れたらしいが、期間としては私と似たようなものだ。


 陽花は父親が倒れていた辺りに花を供え、手を合わせた。私もそれに倣ったが、陽花は随分と長くそうしていた。


「私、春から大学に行くことにした」

 顔を上げた陽花が出し抜けに言った。


「へえ、そりゃ知らなかった」


 陽花は昨年の夏に高校ハイスクールを卒業している。その当時は進学を迷っていたが、父親にまつわる事件に対して気持ちの整理がついた後、自分の進路をゆっくり考えることができたのだろう。


「仲間を集めてゲーム作ろうと思って。あんまり慣れない分野だけど」


 陽花の興味が遊びに向いたのは良いことだ。彼女の保護者であるレベッカ・リー女史も安心するだろう。


「よし」

 陽花は立ち上がった。


チャオさんのハンバーガー食べに行こう」


「ここからはちょっと離れてるな」

「いいよ。歩いて行きたい」


 キャリーバッグを引いていくと少々大変だが、一時間は掛からないだろう。


「兼城も呼ぶか。あの辺に居るだろ」


 そして私と陽花は事件の始まった薄暗い路地を離れ、表通りを南下し始めた。時刻は午前十一時。少なくとも今日一杯は晴天が続きそうだ。


 これからはまた、平和で退屈な日々が続くだろう。しかしそれは以前に比べ、ほんの少し愛すべきものになるような気がした。


最後までお読みいただきありがとうございました。

感想等いただけると嬉しく思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
感想専門サイト 雫封筒で匿名で感想・評価できます
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ