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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
魂のサウダージ
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オペレーション -4-

 敵、という言葉を皮切りに、構成員達が動き始めた。その場には兼城と同格の者も複数名おり、彼らの指示で役割が決められていく。私とチャオは兼城に手招きされ、支部長室に入った。


「陽花、どうだ?」


 部屋の奥では陽花が端末に張り付いて、淀みない手つきで作業をしている。


「今のところ問題ないよ。誰か来てるの?」

「そうらしい」

「ビルのセキュリティコンソールは呼び出してある」


 兼城が腕を組み、ごく大雑把な指示を出す。

「とりあえず、閉められるところは全部ロックしといてくれ」

「わかった」


 鍵を掛けたところで敵が諦めるとは思えないが、易々と事務所の前まで来られるのは癪だ。準備のために時間を稼ぐこともできる。


 とはいえ、ただ籠城していたのでは、敵の攪乱という当初の目的を達成することができない。今のうちに何人かで脱出して、作戦を続行すべきだろうか。


 私が考えていると、ヘッドセットに通信が入った。ジュリアからだ。


『月島さん、今大丈夫?』

「問題ない。何かあったか」


『悪いニュース。陸軍司令部が攻撃に晒されてる』

「……何?」


 私は思わず聞き返した。第二フェーズ開始にはまだ三十分以上ある。この時点で妨害を受けたということは、こちらの動きが察知されていたか、情報の漏洩リークがあったか。しかしどちらなのかは重要でない、先手を打たれたという事実が私を動揺させた。


「敵は」

『一個中隊規模で所属は不明。けど多分……華南軍閥の部隊よ』


 中隊規模であれば、一〇〇人からの兵員となる。シティ陸軍三〇〇を殲滅することはできないだろうが、準備万端での奇襲となれば足止めには十分だ。夏大偉シァダーウェイの背後に華南軍閥がいるのは周知のこと。しかしここまで露骨な介入をしてくるとは想定外だった。


 それだけではない、とジュリアが畳みかけるように言う。


『どうやらパシフィックのセキュリティが改変されてる。総合的な頑健さは失われてるけど、バックドアが使えない』


 フラガラッハによる攪乱を早め、雷富城レイフーチェンを援護しようとしたところ、想定していた侵入路が無くなっていた、ということらしい。


作戦の前提が崩れ始めている。私は事態がまずい方向に進んでいることを強く感じた。


「少し待て」


 私はたった今ジュリアから聞いたことを、陽花、チャオ、兼城に共有する。行政府の奪還に支障が出そうなこと、サイバー攻撃が既定の効果を発揮できない可能性があること。その上で、ジュリアからの通信を三人に開放した。


「部隊の衝突については、僕らに為す術なしですよ」

 チャオが言った。


「それ以前に俺らの首も危ないぜ。こっちの対処が優先だ」

 兼城が現実的な意見を述べる。


「フラガラッハはまだ使える」

 陽花が端末を操作しながら、力強く答えた。私は彼女の意図を尋ねる。


「この端末を足掛かりすればいい。爪先つまさきだけでいいなら、もうパシフィックに侵入してるから」


「どうだ。ジュリア」

 私に可能不可能は判断できない。ジュリアに指示を求める。

「やってみる価値はあるわね」


 フラガラッハをこの端末で中継し、パシフィック内部に喰い込ませる。海虎一家が保持する電子データは滅茶苦茶になるだろうが、それはこの際どうでもいい。


「何分でできる?」

 私は陽花に尋ねた。


「五分でできる、けど、私達の位置がバレる」


「もうバレてるから問題ない」

 兼城はいつの間にか、愛用のリボルバーを手に持っていた。


「まずはパシフィック侵入までの時間を稼ぐ」

 私は半ば独り言のように、やるべきことを明確にしていく。


「フラガラッハが起動したら、俺達も安全な場所まで退避する必要がある。大量の増援が来た場合に捌ききれない」


「まあ、妥当だな」


「現時点で、それ以上司令部の援護はできない。できることがあれば後で考える」


「仕方ないですね」


 大まかな方針について、異議を唱える者はいなかった。となれば、あとは行動するだけだ。さしあたりは拠点を防衛し、適切なタイミングで脱出しなければならない。


「こっちの人員はお前ら含めて十六だ。別の場所に待機してるヤツらもいるから、間に合うかどうか知らんが呼び寄せておく」


 兼城が指折り数える。こちらへ向かっている相手の人数は不明だが、車三台ということを考えると、大体同程度と考えてよさそうだ。


「エレベーターはシャットダウンするとして、非常階段が中と外に二か所。俺らは外に行くか。見晴らしもいいし、風が気持ちよさそうだ」


 そんな理由で決めていいのかとも思うが、別に明確な判断基準がある訳でもない。


「相手の武装は分かりませんが、拳銃だけだと不安ですね」


 私とチャオが持っているオートマチックの有効射程は、せいぜい二十メートル。五階から地上を狙撃するには少々心もとない。単純な手数としても、サブマシンガン一丁に押し負ける程度のものだ。


「安心しろ。ここは旅行代理店のオフィスじゃない」


 兼城はそう言いながら、部屋の奥にあるロッカーを開けた。取り出したのは煤けた色の四角いケースと、筒状の袋に入った何か。


「これもまた、内戦の遺物だ」


 開かれたケースの中には手りゅう弾が六つ。となれば袋の中身も想像が付く。引き抜かれた無骨な兵器に、私は素直な感想を漏らした。


「まるでゲリラ戦だな」


 それは戦車を破壊するためのロケット弾発射器、いわゆるロケットランチャーだった。かつての中国内戦では、山岳地帯や都市に潜んだ小部隊がこれを使用した。


「まさにゲリラ戦だ」

 兼城はそう応じ、手りゅう弾を私とチャオに手渡した。


「信管は確か四秒だった気がする。あと月島、これはお前にやる」

 ロケットランチャーを押し付けられ、私は困惑した。


「こんなもの撃ったことないぞ」

「俺もない。説明書を読め」


 行き当たりばったりで泣けてくるが、ここまでくれば腹を括るしかない。私、兼城、チャオは陽花を部屋に残し、そのまま事務所を後にした。


 エレベーターとは反対側に廊下を進むと、非常階段に通じる扉があった。外に出ると、強い南風が吹いている。この場所はビルの東側にあたり、屋上まで行けば、広がる商業地区ダウンタウンの向こうに真っ暗な海が見えるはずだ。ただしここは五階なので、隣にあるビルの壁面が眼前にあるだけだった。


 我々が立っている白い金属製の階段部分は、数メートルごとに折り返しながらビルの上下を繋いでいる。非常時でなければまず使用しないため、半ば物置のようになっている所もあった。踊り場はそれほど広くない。我々三人が立てば、スペースとしては一杯だ。


「もう来てるかな」


 兼城が階下の暗がりを覗きながら呟いた。このビルに車が向かっていると通信が入ったのは二、三分前だ。今のところ人影は見えないが、近くまで迫っているのは間違いなかった。


 じりじりと時間が過ぎる。やがて建物を回り込むようにして、四人一組の影がビルの壁際を進んできたのが見えた。狙い澄ました一射で、チャオが牽制する。命中はしなかったが、人影がわずかに後退する。


屍食鬼グールみたいですね」


 屍食鬼グールとあだ名される、夏大偉シァダーウェイ肝いりの特殊部隊。その全員が、顔の下半分を覆う黒いマスクを身に着けている。非公式の実行部隊であり、油断できない火力と戦闘力を備えていた。標準的な司法手続きなど踏むつもりなど、最初からなさそうだった。


 我々が相手の出方を窺っていると、北西の方角から不穏な音が近付いて来た。

「ヘリだな。月島、頼むぜ」


 厄介なことだ。私はいつでも撃てるよう、ロケットランチャーを肩に構える。ヘリが来るとしたらどこから? 何のために?


ヘリのローター音が大きくなる。もう数十メートルの距離にいるようだ。しかしビルの屋上付近で滞空しているらしく、すぐには近づいて来ない。


「おい、屋上で誰か降ろしてるんじゃないか」


 私はランチャーを担ぎながら懸念を口にした。階段の上下から攻撃に晒されれば、とても三人では防ぎきれない。


「おう、やばいな」


 我々が後退を視野に入れ始めた時、ヘリが屋上から離れ、大きく動いた気配がした。私が警戒した次の瞬間、正面やや上、距離十数メートルの位置に、黒と銀でカラーリングされた機体が、強烈な吹き下ろしとともに出現した。


ヘリは我々に対して横腹を見せている形だ。そのドアからは、ライフルを構えた人員が見える。


「伏せて」


 チャオが警告し、兼城とともに頭を下げる。その直後、私の頭を、超音速で飛来したライフル弾が掠めた。衝撃波で鼓膜が震える。


 冷や汗をかきながらも、私はロケットランチャーでヘリを狙った。


 ロケット弾が発射され、ブースターで加速したそれがヘリに向かっていった。しかし操縦手も私の動きを予測していたのだろう。大きく機体を運動させて回避行動を取る。


 結果、ロケット弾は機体の尾部にあるローターをわずかに損傷させ、正面のビルに着弾した。派手な爆発が起こり、我々の場所までその熱風が届いた。ヘリの撃墜にはギリギリで失敗したが、まともに飛行するのは難しくなっただろう。


 しかし安心する訳にはいかない。ヘリの出現で動揺した我々の隙を突き、屋上と階下から敵が迫っている。


後退さがるぞ」


 私はこのタイミングで判断を下した。今の場所で応戦しても時間は稼げず、そうなれば死ぬまで戦ったとしても意味がない。


 階段の上に銃口を向けたまま兼城がドアを開け、まずチャオが屋内へと退避する。私は空のランチャーと、ピンを抜いた手りゅう弾を階下に放り投げた。


 階段を上ってくる屍食鬼グールの隊員が発砲し、銃弾が手すりに命中して金属音を上げる。一瞬遅れて、手りゅう弾の爆発がその残響をかき消した。私と兼城が屋内に滑り込んで扉を閉めると、銃火の音はほんの少し遠ざかった。


 そして我々は追撃を警戒しつつ、海虎一家事務所の正面まで後退した。非常口までは十数メートル。


 敵はもうドアのすぐ外まで来ているはずだ。しかし数秒待っても、突入の動きはない。私は呼吸を整え、拳銃を構え直した。


「来ないな」

屍食鬼グールも死ぬのが怖いんでしょう」


 ロケットランチャーがもう一発あって、それで扉ごと吹き飛ばされるのを警戒しているのかもしれない。あるいは逆に、爆発物で我々を吹き飛ばすつもりなのかもしれない。


私が神経を張り詰めさせていると、陽花から待ちに待った通信が入った。

『フラガラッハ中継の準備よし。起動まで三、二、一……』


 ゼロのカウントとともに、周囲の照明が全てダウンした。送電網が障害され、電力が途絶したのだ。僅かに光を投げかけるのは、内部電源を持つ非常灯のみ。


 かくして岱輿城市ダイユー・シティの脳髄は貫かれた。この都市は停電に対して頑健だが、ネットワークの断絶が加わった場合にはむしろ脆弱だ。今やパシフィックに接続されたあらゆるシステムは、制御不能の混乱に陥った。


 我々の通信は確保されているが、敵が使用している通信機はフラガラッハによる攻撃に晒されているはずだ。屍食鬼グール達の動きや連携に綻びが生じているなら、またとない脱出のチャンスである。


「とりあえず陽花を回収してくる」


 私は二人にそう言い置いて、事務所の中へと駆け込んだ。椅子や机を飛び越えるようにしてオフィスを横切り、奥の部屋に続くドアを開ける。


「おい、逃げるぞ」

 私が声を掛けた時点で、陽花はまだ端末にかじりついていた。


「まだ待って」

「すぐそこまで敵が来てる。早くしろ」

「ちょっと黙ってて」


 彼女は動きそうにない。無理やり連れていくこともできるが、陽花が考えなしに何かしているとは思えない。私は焦れつつも、彼女が作業を終えるまで待った。


「よし、行こう!」


 最後のコマンドを打ち終えると、陽花は弾けたように立ち上がった。私は彼女の意図を聞かないまま、蹴り飛ばすようにして扉を開け、廊下に出る。


チャオと兼城に合流すると、彼らは何故か、近くの屋内消火栓からホースを繰り出していた。


「何してる?」

 私は尋ねた。一瞬、二人の頭がおかしくなってしまったのかと思った。


「これをロープ代わりにして降りるんだ。手伝え」

 兼城が答えた。


 屋内消火栓は、自動のスプリンクラーで消しきれない火に、人力で対処するための設備だ。各オフィスに水が届くよう、そのホースは長い。強度はともかく、五階にあるこのフロアから地上まで、なんとか長さを確保できるかもしれない。


 我々は全員で協力して、近くの窓からホースを垂らす。全長を出し切った時点で、その末端は辛うじて地面に到達していた。


「まず俺が行く」


 兼城は言った。敵がいつ態勢を整え突入してくるか分からない現状、後に残るのは危険だ。しかし先頭を行くのが安全かというとそうではない。ホースが切れたり根本が取れたりすれば、致命的な高さから落下することになる。


 それでも、四人の中で最も体格の良い兼城が無事降りられれば、ロープとしての強度はおそらく大丈夫、と判断できる。彼の言い分は妥当だった。


 そして兼城は窓枠に足を掛け、ホースを伝って窓から降りていく。敵の視界には入っていないようだ。銃撃に晒されながら、ノロノロと移動するのは御免被りたい。


「楽勝だ。どんどん来い」


 少しして、十メートルほど下から兼城が声を掛けてきた。なんとか安全が確認できた所で、二番目に陽花、三番目に私と続く。壁に足を着きながら、汗で手を滑らせないよう慎重に降りる。


 私が最後の五メートルを降りているとき、頭上で銃声と爆発音がした。


チャオ!」


 私は先ほどまでいた五階を仰ぎながら叫ぶ。屍食鬼グール達がフロアに突入してきたのだ。

 そして次の瞬間、銃火を背にしてチャオが身を翻し、軽々とホースを伝ってきた。私も急いで地面に降りる。


「あ」


 しかし最後の数メートルで、根本のホースが切断されたのか、チャオの身体が投げ出された。私と兼城は咄嗟に腕を差し出し、彼が地面に打ち付けられないように受け止める。それでも衝撃を吸収しきれず、三人して路上に転がった。


「ギリギリセーフ」

 脱力したチャオが気の抜けた声を出すが、陽花が我々を叱咤する。


「まだセーフじゃない! 立って!」


 上階からの銃撃があり、砕けたコンクリートが飛び散った。追手はまだ諦めていない。我々は転がるようにしてその場から離れ、狭い路地へと逃げ込んだ。


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