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電海のフラガラッハ  作者: 黒崎江治
泥濘のオートマタ
30/60

糸 -5-

 私とチャオは陽花とジュリアを回収し、入り組んだ貧民街ブロッサム・ストリートの路地を駆ける。騒ぎを不審に思った住民が屋内で明りをつけ、外に漏れた光が我々をわずかに照らした。しかし巻き込まれる危険を冒してまで好奇心を満たそうとする者はおらず、外に誰かが出てくることはなかった。


 防犯カメラが随所に設置されているほかの地区では、追って来る警察を撒くのが難しい。どんな防犯カメラも必ずネットワークに接続されていて、映った犯人の特徴を速やかに解析し、細かな位置を指令所に送るからだ。


 しかし貧民街ブロッサム・ストリートにおいて、個人の粗末な住居にそれらが配置されることはまずなく、街路の錯綜も相まって逃亡は容易である。そうして犯罪者が逃げ込み、治安をさらに悪化させるため、貧民街ブロッサム・ストリートの浄化はいつまでたっても進まない。とはいえそういった事情は、今の私達にとって都合がいい。


 我々は細い路地を左右に曲がり、なんとか追手の目を掻い潜ることに成功した。そのままスラムの奥へと足を進める。


「『昆龍城クンロンチャン』でやり過ごしましょう。屋外だとどうやっても目立ちます」


 小走りで背後を気にしながらチャオが言い、私に拳銃を手渡す。先ほど撃たれた刑事から回収したものだ。


「クンロンチャンって、もしかしてアレ?」

 陽花が一五〇メートルほど先にある大型の建造物を指差した。


 昆龍城クンロンチャンは、貧民街ブロッサム・ストリートのちょうど中央あたりに位置する、大型の商業施設ショッピングモールである。建てられたのは確か、三十年以上前だったはずだ。昔、四つの階層に分かれた施設内には、百を超える小売店やレストランが並び、休日に限らず買い物客や観光客でごったがえしていた。


 ただし昆龍城クンロンチャンがまともに営業していたのは、シティ独立の数年後までだ。中国内戦でシティを訪れる人間が激減し、花咲く通りブロッサム・ストリートがスラム化していくと共に、地区にある観光施設は軒並み閉鎖・倒産してしまった。


 昆龍城クンロンチャンは城が付く名の通りよく持ちこたえたが、やがて入っていたテナントが次々と撤退。兵糧攻めのような形で陥落する。経営母体は消滅し、建物は買い手も付かないまま放棄された。そして住居のない者が入り込んで不法占拠が始まり、今ではほとんど無法地帯となっている。


「そうだ、アレだ。廃墟じゃないぞ。人が住んでる」


 警察の手が及びにくく、隠れる場所も多いため、昆龍城クンロンチャン入り込む犯罪者は多い。私とチャオも、過去に捜査のため立ち入ったことがある。住人は明らかに敵対的という訳ではなかったが、それでも外部を寄せ付けない、独特のコミュニティが形成されているようだった。


「追われる身として行くことになるなんて、ずいぶん皮肉ですよね」

 チャオが乾いた笑いを漏らしながら、我々を先導した。


 ◇


 昆龍城クンロンチャン階層フロアは四つだけだが、それぞれ床から天井までの空間を広くとっているため、実質十階かそれ以上の建築物と同じだけの高さがある。敷地は一辺一〇〇メートル以上の正方形となっており、延べ床面積はシティでも最大級。推計によると、中には数千から一万の人間が住んでいるという。


 見える範囲の外壁は、樹脂パネルがところどころ剥がれている。レリーフのようになっている色とりどりの飛龍も、まるで拷問を受けたように哀れな姿となっていた。情報技術の発達した二十一世紀後半においても、ここは魔境と呼ぶにふさわしい場所であった。


 我々は今、昆龍城クンロンチャンの正面玄関付近に立っている。出入口は広く作られているが、かつてあったガラスは大半が割れていて、付近には廃材のようなものが積み重なり、何やらバリケードのようにも見える。そして建物の内部からは、生温かく腐臭を孕んだ空気が流れて来ていた。やむを得ない事情がなければ、とても入りたいとは思えない場所だ。


 中を覗きこんでみると、意外にも真の闇ではない。所々に照明がある。住民の中には技術がある者もいて、最低限のインフラを機能させているのだ。電気代や水道代は、きっと払っていないだろうが。


 内部はもちろん安全ではない。しかし公安がうろついている外よりはましだろう。いつまでも立ちすくんでいては、状況がまずくなるばかりだ。我々は意を決し、昆龍城クンロンチャンの内部へと侵入した。


 瓦礫を踏む音がいやに響く。


 玄関を入ると、そこは広々としたホールである。破れた窓から風が流れ込み、住人の呼気で窒息しない程度には空気の流れがあるようだ。もちろんそれだけで、澱んだ空気を押し流すことはできない。清掃されていない建物特有の、カビや埃の臭い。多数の人間が無秩序に暮らしているゆえに生じる、汚物と腐敗の臭い。長く住めば慣れるのかもしれないが、不慣れな人間(ストレンジャー)である私は思わず顔をしかめた。


 営業当時は一階から四階のフロアが全て吹き抜けで、回廊の外側に店舗が張り付くような配置になっていた。勝手な増改築が施されているとはいえ、そういう基本的な構造は変わっていないだろう。


 一階フロア中央には、アクリルのチューブに包まれたエスカレーターがあり、十メートル上にある二階フロアに接続されている。エスカレーターには青いLEDライト取り付けられていて、それらが暗い昆龍城クンロンチャンの中、空に浮かんだ道を示すように点灯していた。


 そのほか、強さも大きさも不揃いな光が、それぞれのフロアを囲むようにしてざっと数百は見える。おかげで、最低限移動に困らない程度の視界が確保されていた。真夜中でこれなのだから、居住している人の多さが知れる。事実我々の周囲にも、感知できるかできないかの微妙な気配が無数に蠢いていた。手は出してこない。声も掛けられない。しかし確実にこちらを見ているという、なんとも不気味な気配だ。


「こんな場所があるなんて」


 ジュリアが低い声で呟いた。しかし香港には、かつて九龍カウロン城塞という場所があったと聞いたことがある。文字通り城塞跡に成立したスラムだが、二十世紀末に取り壊されたので、ジュリアはもちろん、私も見たことはない。規模の差はあれど、昆龍城クンロンチャンとも似ていたのかもしれない。


 我々は住民を刺激しないよう銃を隠し、入り口近くの壁沿いに腰を下ろした。見つからないよう、もう少し奥に行きたかったが、無遠慮に立ち入れば要らぬ攻撃を受けるおそれがある。隠れ場所を探すにしても、もう少し落ち着いてから、慎重にした方がいい。


「誰も怪我はしてないな?」


 私は床に落ちた埃まみれのゴミを除け、座る場所を確保する。ここからは玄関が見えていて、追手が来れば、側面や背後から不意打ちすることも可能な位置だ。全員の状態を確認すると、擦り傷以上の怪我をしている者はいなかった。


「ヤツら常軌を逸してますよ。仲間が一人撃たれました。公安のやり方がどうとか以前に、無茶苦茶だ」


 チャオは怒りをにじませながら言い、答えを求めるようにして私を見た。


「一体何が起こってるんです? 月島さん」

「お前、俺達を探してたんじゃないのか?」


「違いますよ。あのあたりで何か起こりそうだっていうのは、通信傍受で知ったんです。まさか月島さんが拉致されてるなんて思ってなかった」


 そこまで話してから、チャオは陽花、ジュリアの存在に意識を向けた。まだ互いの素性を明かしていない。今更ではあるが、互いに最低限の自己紹介がおこなわれる。


「瀬田陽花。それにオートマタですか」


 半年前に瀬田英治が殺害された事件では、チャオが捜査に携わった。頻回の対面はないにせよ、陽花が被害者の娘だということは覚えていたようだ。ジュリアとの関係については、私から説明が必要だろう。彼女の了解を得て、社員の失踪、Xリストの概要について明かす。


「とにかくそういうことだ。巻き込まないようにはしてたんだが」


「とんでもない。むしろ望むところです」

 チャオは拳で掌を叩いた。


「直接撃ってくるなんてのは論外ですが、そうでなくても近頃の締め付けは限度を越えてました。刑事部は誰もかれも爆発寸前です。事件の捜査に妨害が入るたび、課長は机を叩き壊さんばかりでしたよ」


 私も一時期身を置いていたから解るが、現場の刑事は権力闘争と縁遠い、あるいはそもそも想像さえしない人間が多い。高度な政治的判断などと言ったところで納得しないだろうし、度が過ぎれば命令を無視して勝手をする者が出かねない。そして私が知るチャオは、明らかにそういう種類の人物だった。


「だからってマフィアの車列に突っ込もうとすることはないだろ」

「突っ込んではいないじゃないですか。それに公安が背中を撃ってくるなんて、さすがに予想できない」


 口調は軽いが、言い終わって同僚を喪ったことを思い返したのか、チャオは苦々しい顔になって俯いた。


「ねえ、あの人達は公安なの?」


 公安という言葉に反応して、陽花が口を挟んだ。たしかユェンがいた宿に入ってきた男も、先ほど車から降りてきた男達も、皆が特徴的な黒いマスクを身に付けていた。


「普通の公安、じゃない」

 チャオが顔を上げ、神妙な表情で言った。


「月島さん。昔ちょっと噂になったでしょ」

「何が?」

「『屍食鬼グール』ですよ」


 屍食鬼グール。人に化け、夜に出歩き、死体を喰う怪物。


 しかしそういった超自然の存在について、警察官が噂していたという訳ではない。私は古い記憶を呼び起こす。


「特殊部隊か」

「そうです。僕も少し前までは半信半疑でしたが」


 公安に所属する特殊部隊の話は、私が現役の刑事だったころから存在していた。目的のためには手段を選ばない公安警察。その中でも法規の裏付けがない汚れ仕事を請け負う、裏の執行部隊。


 彼らは警察組織の中でも優秀とされる公安から、さらに選抜された精鋭である。彼らは軍隊式の訓練を受け、情報収集よりも襲撃や市街戦闘に特化している。彼らは影に隠れ、夜に潜んで行動する。それらは全て断片的な噂だったが、何か奇妙な迫力と、もっともらしさを持っていた。


 とても正義とは呼び難い、謎の多い彼らを、他の警察官達は畏怖と侮りを込めて『屍食鬼グール』と呼んだ。


「それでXリストの話に戻るんですが、そのグール設立に深く関わっているのが――」


 私が先を聞く前に、陽花が手で話を遮った。次の瞬間、外から車の走行音が近付いてきた。


 急ブレーキ。ガラスを粉砕する衝突音。


 我々が少し前に通った出入口から、一台の乗用車が突っ込んできた。


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