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魔法使いの孫【連載版】  作者: たまさ。
魔法使いの友情
42/43

その3

ドーンが首にきつく巻かれたタイを中指を差し込むようにして軽く緩めて嘆息する。

そんな様子を見ていると、アレとコレが――椎茸嫌いのタエ祖母ちゃんダイスキー星人と生真面目一辺倒の糞真面目怒りんぼう魔人が兄弟であるというのが不思議でしようがない。

 風香はドーンと共に入室していた侍女から新しい茶を受け取り、それを両手で捧げもちつつふーふーと息を吹きかけた。


「何をしに来たんだ、クリストファー」

「何って――ああ、忘れていた」

 クリストファーはとうとうと川の水が流れるか如く良くわからない独り語りをしていた為に、この家に訪問しにきた理由をすっかりと失念していたようだ。

 エサをとられても一瞬後に忘れるスナネズミのように素敵な脳みその持ち主。もちろん褒め言葉だ。


「エリスの件と、風香にこの間の精霊の話をしにきたのだった」

「エリス?」

と、ドーンが怪訝気に尋ねる声に重ね合わせ、風香は「精霊?」と口にした。

「そう。精霊――アレはちょっと面白い。

前回にも言ったけれど、精霊は基本的に図鑑にある精霊らしい格好をしているものだ。だというのに、風香の精霊は風香の望んだ姿になっている。これはすなわち風香の基礎能力が高いのが最大の要因だとは思うんだが――もしかしたら、精霊とは主の望む姿になれるのかもしれない」


 自分の言葉にこくりとうなずく。

「どういうことですか?」

「我々は子供の頃から精霊とは属性にあった形を持ち、そういうものだと理解していたが、実際は違うのかもしれない。つまるところ、私達は古くから根付かせられた強い思い込みでもって精霊は画一化されていたのかもしれない。次の研究発表に使えそうなネタだな」

 ただ、それを証明する為には産まれたての精霊を見つけなければいけないかもしれないが。

 ふむふむとクリストファーは自らの顎先をつまむようにしてうなずいた。


 深刻そうに見えるが、風香的にはどーでもよろしい内容だ。

そしてもう一人、忘れ去られたシンリンオオカミは「エリス?」ともう一度口にする。そのネタは風香にとって更にどうでもいいのだが、ドーンが続けた言葉はちっともどうでも良いものではなかった。


「エリスから届いた夜会の招待の件か?」


風香はぶふぅぅぅぅぅっと盛大に紅茶を噴出した。

そしてそれを受けたのはまたしてもクリストファーであったが、クリストファーは口元を引きつらせつつ、侍女によって大慌てで差し出されたフキンでもって無言でふきあげた。そのさい風香のことをじっと恨めし気に睨みつけていたが、風香は現在それどころではない。


「絶対に行きませんからねっ」

風香はドーンが更に言葉を繰り出す前に、全身でもって辞退を示した。

辞退というより完全なる拒絶だ。


「エリスのトコの夜会? 駄目です。それは絶対に無理っ。行かないったら行かない。死んでもお断りですっ」

それはすなわち、エリスがよからぬことを企んでいるという噂の夜会の筈だ。そんなところに乗り込んだら最後、婚約者の失態にも負けずに愛を貫こうとする悲劇のヒロインの添え物にされてしまう。

 ヘタをするとそのまま祝福されて襲われる。

風香にそんな趣味は絶対に無い。

 一瞬にして全身にぞわりと鳥肌をたて、風香はおびえるようにふるふると首を振った。

「それは当然断るが」

 風香の取り乱しようとは違い、ドーンは呆れたような眼差しであっさりと言い切った。


「招待状はヴィストにあてたものであって、風香にではない。

そして生憎と現在この家に滞在しているのはヴィストはいないのだから断るしかない」

「……あ、そうか」

 あくまでも、エリスが求めているのは椎茸ジジィヴィストであってその孫娘ではない。招待状の名義も当然ジジィ名義に他ならない。そしてヴィストはすでに鬼籍の人であり、この場にいるのはその可愛い孫のみだ。


「だが、相手はエリスだぞ? ヴィスト――いや、風香が欠席したとしても、一人で盛り上がって絶対にこの愛をつらぬくだの一芝居はうちそうだが」

 クリストファーが淡々とそんなことを言う。


「言わせておけばいい。どう言われてもすでにヴィストは居ない。ここにいるのはヴィストの孫である風香だ。エリスがどれ程暴言を吐こうとも、事実は曲げられない。

何より、婚約はすでに白紙に戻されている。騒いだところであの屋敷の奥方が許すものか」

 淡々と返すドーンに、クリストファーは肩をすくめた。


「確かにここにいるのは風香であってドーンではない。だが、あちらの家の人間がそれを納得していないのであれば、風香がヴィストに見えているのは確実だ。風香がヴィストであると思い込んでいるのであれば、風香は間違いなくあちらには結婚相手として相変わらず美味しい魔法使いだ。一旦は白紙になったとしてももともと婚約者であったのだからとごり押しされるのでないか?」


 さらりと怖いことを言ってくれる。

風香は青ざめつつ、ドーンへと救いを求めるように眼差しを向けた。

女同士である現在、そんな恐ろしいことは絶対にありえないと言い切れないのがエリスの怖いところだ。

 男も女も超越するエリス。

風香にとって今まで怖気が走るほどの嫌悪の対象であったのはムチンをてろてろと撒き散らすチャコウラナメクジであったが、いまやその地位はエリスへと変わり果てた。


「って、ナメクジって雌雄同体じゃないですかっ、エリスと一緒だっ」


咄嗟にひぃぃぃぃっと叫んだが、正確に言えばエリスは雌雄同体ではない。単体繁殖ではないし、自己完結もしてくれない。むしろしてくれていたのであればどれほど良かったことか。

 しかし軽く混乱に陥っている風香は一人で勝手に思い違いをした挙句、一人で勝手に恐怖におののいていた。いつの間にか舞い戻ったふかふかカピバラが風香の前に出現した途端、風香はそれをぎゅっと抱き込んだ。


 身を縮めて半泣きの風香を眺め、ドーンはちらりとクリストファーを見た。

「いくらなんでも風香を女性と婚姻させるつもりは無い。あまりおかしな話を吹き込まないで頂きたい」

 クリストファーは肩をすくめ、風香はハっと目を見開いてまさにひらめいたというようにぽんっと手を打った。

「夜会の席で、その場にいる魔法使いに私と手をつないでもらって、私がヴィストではないと証明してもらったら? クリストファーはエリスに信用されないとしても、他の魔法使いにその場で交渉してやれば疑いは晴れますっ」


 ナイスアイデアと嬉々として口にしたのだが、素の表情のドーンと真っ赤に顔を染めたクリストファーによってこの案はあっさりと却下された。

「駄目に決まっているだろう!

お前は変態かっ。人前で、そ、そんなっ、破廉恥なっ」


ぶんぶんと顔を振るクリストファーの取り乱しように、風香は呆気にとられ――どんどんと居た堪れない気持ちを蓄積させた。

「まさかそんな性癖の持ち主なのかっ」

「……クリストファー」

 ドーンは声のトーンを落として、淡々と問いかけた。

「クリストファー、私は魔法使いではないので詳しくはないのだが。

その行為はそこまでのことなのか?」

「うっ」

 淡々としたドーンの口調に、クリストファーの赤ら顔は青ざめ、少しでもドーンから離れるかのように身がソファーの背もたれに押し付けられる。

 きょろきょろと泳ぐ視線は。穴倉から抜け出して辺りをうかがうミーアキャットの如く。その視線が風香とかちあうと、救いを求めるようにすがって来る。


「ドーン、もうすんだことですから。よく判らないけど、もう二度とそんなことにはなりませんし自分で今言ったことも反省します」

 そうとでも言わなければ、クリストファーの命に関わりそうだ。

思わず模範的な生徒が教師に宣誓でもするかの如く片手をあげて宣言してしまった。

ドーンときたら、ただ威圧だけで他人の首を絞め殺せそうで怖い。へらへらとしているクリストファーではなく、ドーンのほうが魔法使いなのではないかという程の奇妙な迫力だ。


「オレも、二度としない。風香の体を探ったりしない。誓う――誓うからっ」

 どこか胡散臭いものでも見るようにクリストファーへと視線をめぐらせたドーンであるが、その話題を打ち消すように軽く手を振った。

「とにかく。風香。エリスの件は私が処理する。お前は気にせずにこの家でくつろいでいればいい」


 やっと無罪放免釈放されたとほっと息をつき、風香とクリストファーはほぼ同時に肩を落としてふーっと息を吐き出した。

 そして、気をとりなおすように風香は愛想笑いを口元にへらりと貼り付ける。


「じゃ、じゃあクリストファー。図書室にでも行こうか」

「は?」

「え?」

 当然のように言い出した風香だったが、クリストファーは素でおかしな顔をする。その意味が判らずに、風香は顔をしかめた。


「魔法使いの勉強を見てもらう約束でしょ?」

「そんな約束したか?」

「したじゃない。イヤだな」

 ド忘れなんて酷いなと嗤う風香であったが、実際にそんな約束はしていない。


風香の中で「便利アイテム」と認定されているクリストファー。挙句、もともと文字の勉強を願い出ようと思っていたこともあいまって、いつの間にか約束を取り付けた気になっていたのだった。


「そうだったか?」

 小首をかしげつつも了承してしまうクリストファー――

祖父と孫娘に彼の人生はほぼ蹂躙されつくすことが確定した瞬間である。


「――風香、お前の世界でどうだかは知らないが、この世界では男と女が同じ部屋で二人で居ることは好まれない。もし二人きりになりそうであれば、使用人を一人控えさせること」

 ドーンは風香にいいつつも、その眼差しはじっとクリストファーに注がれていた。


「とりあえず今日はココで基礎でも学ぶといい」


淡々と言うドーンは、テーブルの上の呼び鈴をつまみあげて振ってメイドに新しい茶を所望し、自らはゆったりと一人掛けのソファで足を組みなおした。


番犬小姑……


風香の頭に浮かんだ言葉は、きっとクリストファーも理解してくれるだろう。




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