その2
風香は引きつりつつ「エリスに会ったんですよね? ちゃんとあたしがヴィストではなくてヴィストの孫だって訂正しておいてくれましたよね?」とある種の期待を込めてひきつり笑いを浮かべてみせたが、クリストファーは茶菓子として用意されている焼き菓子をつまみつつ肩をすくめた。
「そんな面倒くさい話を身内でもないのにいちいち訂正してまわる筈がない」
「クリストファーっ」
「少なくとも、学園のことは私よりもドーンの仕事だろう」
あっさりといわれ、ああと思い出す。
ドーン大叔父さんは老成していて外見だけで言えば三十代近いのに、その実態は十九歳の学生さんで、どうやら学園とやらに通っているらしいのだ。ということは、この場合の中央学園と学園はイコールということになる。
「ただ、今日は運悪くエリスにつかまってしまったために――仕方なくここに忠告に来たんだ」
「忠告?」
小首をかしげる風香に、クリストファーは気まずい様子でふいっと視線を逸らした。
「クリストファー?」
「エリスが私に風香の魔法を解く方法は無いかと詰め寄った」
「いやいや。別に魔法で女になっている訳じゃないですし」
正真正銘純度百パーセント女以外のなにものでもない。クリストファー同様、まじりっけ無し。
多少椎茸ジジイに似ていても、まったくの別物だ。
「判っている。勿論、他の人間にとやかく言うのは面倒――いや、プライバシーの問題で口を挟めないが、さすがにエリスにはおまえがヴィストではないと言ってみたのだが」
面倒でイヤだったんですね。
口元を引きつらせつつそう心の中でのみ風香は突っ込んだ。
しかし、少なくともエリスには進言してくれたのだから、文句を言うことではないだろう。これでエリスもきちんと理解してくれていればいいが――と思ったのもつかの間、クリストファーはあっさりといった。
「無駄だった」
「……」
「言葉を重ねて説得しようとしたが、残念な人間を見るような眼差しを向けられた挙句、こともあろうにエリスが暴走した」
「はい?」
エリスの暴走というやつには思い切り覚えがある。
エリスは人の話をちっとも聞かないし、無駄に行動力もあるので本当に何をしでかすのか判らないのだ。
思わず思い出したくないあれやこれやを思い出してしまい、風香はぶるりと身を震わせた。
もう絶対に思い出したくも無いと思っていたエリスの柔らかな唇とか、「おまわりさんここです!」と痴漢として突き出してしまいたいアレである。
面前のクリストファーは言葉を重ねながらどんどんと死んだサワラの眼差しになった。しかも死にたてほやほやではなく、水晶体が透明になった三日後のそれだ。そろそろハエがたかりだしそうな。
「ヴィストが女になったからって私から奪うつもりねとビンタをくらった」
ああ……その頬が赤いのはエリスの手形でしたか。
当初の疑問が解消されたものの、ゆったりのろんと耳に入り込んだ言葉の意味に、風香は口にしていた茶を思い切りぶふぅっとクリストファーの頬に吹きかけてしまった。
「誰が誰に奪われるとっ?」
思わず素っ頓狂な声をあげたが、クリストファーは吹きかけられた紅茶をハンカチでふきながら顔をしかめ「何故私がこんな目にあわなければならないのか!」と声を荒げた。
「エリスには叩かれ、風香からは茶を噴かれる始末っ」
激昂して語りだすこと一時間……口を挟もうとすると、それを遮るように声を大きくして風香を押さえ込む。
もはやエリスの暴言、暴挙についての突っ込みもどうでも良い。風香の気持ちよりもクリストファーは如何に自分が理不尽な目にあったかを語り続けたのである。
控えていた侍女がクリストファーの延々と続く愚痴にどんよりとした雰囲気をかもしだし、ちらちらと外を――というか自分の仕事を気に掛けていると思われる様子が哀れで、風香はこっそりと侍女を部屋の外へと追い出した。
足元ででろんとしていた白カピバラはいつの間にかその存在がなくなっている――逃げたのだろう。誰だって愚痴を聞かされ続けるのはイヤなものだ。他人の不幸は蜜の味と興味深く聞けるものならまだマシであったかもしれないが、クリストファーから垂れ流される愚痴ときたら、何の楽しみも見出せない。
風香は乾いた笑いを浮かべつつ、内容を考えることすら放棄して適当に相槌だけを打ち始めた。
「――だと思わないか?」
「はー、まぁおっしゃる通りで」
「だろうっ」
まったく何をおっしゃっていらっしゃるのか判りませんが――その、エリスに対しての愚痴からヴィスト祖父ちゃんの理不尽話に飛んで、挙句風香への苦情……はたまた今現在はいったい何の話になっているのか、すでに風香は聞いてはいない。
内容の吟味などまったくしていないというのに、クリストファーは風香が相槌をうって応えてくれることに気をよくして、うんうんとうなずいては爛々と瞳を輝かせ、前のめり気味にぴーちくぱーちくと口を開く。
そのさまはお喋り好きなコザクラインコ。お洒落さんなところもそっくりだ。
「そもそもこうなったのは」
「いったい何の騒ぎだ」
冷淡な言葉が割って入り、風香もクリストファーのぐりんっと首を開きっぱなしの扉へと向けた。
つかつかとやってくるのはこの家の現当主にして風香の大叔父さん、ドーンだ。
すでにくっきりと刻まれた眉間の皺はトレードマークと言ってもいい。冷ややかな眼差しは猛禽類。
「おかえりなさい」
「おかえり」
風香とクリストファーの声が重なった。
「おかえりじゃない。どうしてここにクリストファーがいるんだ」
「友とお茶をしていて何が悪い」
あっさりとした口調でクストファーは至極当然という言葉を吐いた。
だが、風香にしてもドーンにしても初耳だ。
ヴィストの友人であった筈のクリストファーは、いつの間にか風香の友人にもなっていたようだ。もしかしたらこの会話中に友情を確かめ合ったのか? それとも、クリストファーにとっては謝罪をして和解を済ませれば友達なのか。風香はぱたぱたと瞬きを繰り返してクリストファーを見返したが、クリストファーじたいは「な?」とでもいうように風香にうなずいてみせる。
「――みたいですよ?」
ドーンの冷たい眼差しにそう返しておいた。
ここで「知らない」と首を振ることは簡単だが、その後が絶対に面倒くさい。
ドーンの眼差しがいっそう厳しいものへと変貌したが、それをよけるように風香はこっそりと嘆息した。
――つーか、やっぱり友達いないだろう、クリストファー。
もしかして友人と呼べるような相手はヴィスト祖父ちゃんだけであったのかもしれない。なんて不憫な……
唯一の友人がアレであったなどと、人生の大半がはずれである。そう思えば、心優しい風香としては友情の名乗り程度朝飯前。にっこりと微笑がもれた。
「クリストファーとの誤解もとけましたし。これからは仲良くやっていけそうです」
相手は風香が目指す魔法使いの偉大なる先輩だ。
コレほど便利なお役立ちアイテムが世の中に存在するであろうか。
風香が満面の笑みで「ねっ」とクリストファーに相槌をおくると、クリストファーも「ああ」と返す。
――クリストファー・シェイツ。
親友はアレで、友人はコレになった。
彼は人を見る目が致命的に無い。




