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魔法使いの孫【連載版】  作者: たまさ。
魔法使いの試練
39/43

その3

一瞬、ドーンの唇がきゅっと引き結ばれて眼差しが鋭さを増した。

怒りを更に増徴させたかと風香はひきつりつつ身をすくませたが、ドーンはすぐに体の力を抜くようにして唇から呼気を落とすと額に手を当てた。鋭くした眼差しは、一瞬のうちに達観の境地にでも達したようにふっと遠くを眺めやる。それこそ、チベット砂狐のように。

「……大叔父さん?」

「自己嫌悪で死にそうだ……脳みそが腐っているのか」


 ぶつぶつと呟いたかと思うと、未だゴブレットに残っている酒をもう一度あおる。その精神構造がそろそろ心配の域に達すると、ドーンはふるふると首を振った。

「判った。どちらにせよ、風香には魔法使いになってもらわなければこちらも困る」


 こうして風香は加齢――ではなく、華麗なる魔法使いの第一歩を踏み出したのです。

と、言いたいところだが、やはり物事はそう簡単にはいかないらしい。

 テーブルの上にはころりと転がる指輪が一つ。

そう、諸悪の根源。悪魔の申し子、我らが腐れ頭祖父ちゃんの形見であるアノ呪われた指輪だ。


 指輪に触れているものは誰もいない。

ころりとハンカチの上に転がったままの指輪。

 そして面前にいる悪魔の弟にして風香の叔祖父ドーンは、先程から一定の抑揚をつけた謎の言葉を吐き出し続けている。


――意味としては、

「おはよう、風香。今日の天気は少し曇っているけれど、君の気分はどうだい?」という、ナンパですか、そうですか? なドーンらしくない文面の筈だ。


 これに対して、風香は現地語で「おはようございます、ドーン叔祖父さん。天気は良くないけれど、気分は悪くないわ」と返す予定だが、生憎と相手の言葉を理解するところからつまずいている。

 そもそも、どこからどこまでがワンセンテンスなのか判りません。やたら長い。


 おかげで相手の言葉が一拍とまったところで「おはようございます」という言葉だと思われる「ヘ・シャル・ティアナ……」という舌馴染みの悪い言葉をせつせつと話そうとしたところで、べしりと容赦なく丸めた冊子で頭を叩かれ、挙句「違う」という言葉らしき鋭い叱責が飛ぶのだ。

 どうも舌の構造が違うのではないかと思える程に発音が難しい。もともと日本人はしよう言語のオクターブが少ない。


 風香は顔をしかめ、咄嗟に指輪に手を伸ばした。

「確かに言葉を教えて欲しいとは言ったけど、まずは文字が先のほうがいいんじゃない? そもそも、言葉だけなら指輪のおかげで何とかなるのにっ」

「そうか、風香の国では子供は言葉の発音より先に文字を習うのか。それはすごい」

 棒読みできましたね。

風香はぐっと言葉を飲み込み、上目遣いにドーン叔祖父をにらみつけた。

「指輪にばかり頼るべきでは無いというのは理解しているだろう?

もし、その指輪を紛失でもしたら、途端に風香は右も左も判らない子供以下になる。確かに、われわれは家族だ。だが、言葉を理解できずに安穏とした関係を築き続けるのは難しくはないだろうか? 一週間、意思の疎通が満足にできない状態で健全な関係が保てるだろうか? どう思う、風香」


 淡々と問いかけられる言葉に、風香は顔をしかめて子供のように唇を尖らせた。

指輪を失う可能性を考えたことは無い。

呪いの指輪だの、祖父ちゃんの馬鹿だのと色々と悪態はついているが、指輪の恩恵にあずかっているのは事実だ。

 この指輪を失った時――


 風香は言葉を、失う。


その事実に自然とぶるりと身が震えた。

言葉が判ることに胡坐をかいていたけれど、言葉が判らない事実が身に降りかかった時に、果たして自分は正気でいられるだろうか?

 たとえば、アメリカやフランスやドイツ――そういった地球に存在する有名な国であれば、まったく通じないということはないだろう。挨拶程度はなんとか拾えるだろうし、返すこともできる。ジェスチャーや紙に描くなどの意思の疎通をなんとか繰り広げることができるだろう。

 だが、ここは違う。

言葉も理解できず、文字も判らない自分が放り出された時に必死に縋るのはきっと肉親だと知っているドーン叔祖父や、ヘレン曾祖母ちゃん――でも、それでも二人とも言葉が通じない。

 陸生物のスピックスコノハズクと海洋生物のタイヘイヨウアカボウモドキの間でコミュニケーションをとれようはずはない。

 じわりと染み出す闇のような恐怖に、風香の瞳が揺れた。


「風香」

 きつい口調で言いながら、ドーンはぐいっと手を伸ばして風香の指先を掴みあげると、その手から指輪を引き離し、元のハンカチの上にそれを戻した。


「トゥ・ヴィヴァ・ラッセ・トゥア」

もう片方の手で自らの唇を示し、穏やかに緩やかに幾度も同じ言葉を繰り返して示す。

風香は脅えるようにそれを見つめ、やがて意味を理解するように同じ言葉を震える声で繰り返した。

 なれない単語には、日本人には発音のしづらい音が混じる。

それでも必死に繰り返すと、ドーンはいつもの厳しい眼差しを柔らかな色合いのものにかえた。


 しばらく思案する風を見せ、やがてゆっくりとまた違う単語をふわりと口ずさむ。、風香が慌てて今の音を拾い上げようとすると、ドーンは風香の手を離し、ハンカチの上の指輪を中指と親指で拾い上げた。

 その途端に、ドーンの言葉は風香にとって馴染みの深い日本語に変化して耳に届いた。

「もし、私と意思の疎通が図れずに喧嘩になったら、今の言葉を言うといい」

「ごめんなさいって意味?」

 というか、意味も判らずに謝る趣味はないのだが。

風香が複雑な表情をしてみせると、ドーンは片眉を跳ね上げた。

「いや、激高した相手を静める為の言葉だ。私達ときたら、意思の疎通ができる今でさえ喧嘩になるのだから」


その言葉の意味が要約すれば「ママ抱っこ」だと知った時、ドーンへの殺意は倍増した。


 


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