その2
「だからっ、責任はとるとっ」
コモドドラゴンの言葉をさえぎるクリストファーに、風香はやっと体を起こして反論を口にした。
「何を言っているんですかっ。
辱めたなんて――冗談でも言っていいことと悪いことがあるでしょう?」
締め上げられているクリストファーとコモドドラゴンと化しているドーンの間に割って入り、それでも手を離そうとしないドーンの手首を押さえて引っ張る。
ドーンは薄ら暗い眼差しで風香を見下ろし、冷ややかな口調のまま「何があったのかきちんと説明しなさい」と投げかける。
――殺される。
咄嗟にそう感じた風香の背に悪寒が走る。思わず何も悪いことはしていないというのに「ごめんなさい」と謝罪の言葉を述べた挙句、どうせ殺すのであればどうぞ痛みの無い方法でお願いしますと懇願してしまいそうになった。
何故に意味不明に敗北宣言をしてしまわなければならないのか。おそるべし爬虫類。
「私とて、ヴィストにしか見えない女性を抱けるかといわれれば生理的に無理だとは思うが、しかし責任はとる。とらねばならないだろう」
こちらの内心の大騒ぎを無視し、自分の言葉だけを並べ立てるクリストファーは――むしろ全力でドーンに殺されてしまえばいい。できる限り苦痛がある方向で。
「何を言っているんだ、貴様は」
ドーンが更に部屋の気圧を下げる。
ドーンは魔法使いとしての素養が無いなどと言っていたが、嘘ではあるまいか。どこの一般人が気圧変動などできようか。思い返せば祖父ちゃんも気圧変動は得意だった、主に温度をめちゃくちゃ下げてドン引きさせる方向ではあったけれど。
こんなところで兄弟らしさを示さなくてもいいよ、祖父ちゃん弟。
「よもや、結婚前の娘である風香が妊娠したなどという事態ではあるまいな。風香は我が家の身内、身内に対しての下劣な行為は現当主である私が許さん」
「誰が妊娠なんてするかーっ」
クリストファーに対してどのような制裁をしようと大喜びで応援するが、この現状はいただけない。
風香は金切り声をあげて二人をもう一度分断するように割って入り、びしりとドーンに指を突きつけた。
「祖父ちゃん弟っ」
「――」
「こちらの常識がいまだにわかりませんけど、こちらでは何ですか? 手を繋ぐだけで子供ができるなんていう突飛なことはないですよね?」
ドーンのサンショクウミワシのような眼差しがじっと風香をねめつけた。
それを無視して今度はクリストファーへと向き直る。
「勝手に人を辱めるとかおかしなことを言うのは止めて下さい。手をつないだくらいしか覚えはないのにっ」
「何を言っているんだ。むしろお前たちがそれを望んでいるのだろうが」
憤慨するようにクリストファーは顔をしかめた。
「はい?」
「今日の午前中にわざわざドーンが私に出向くようにとやって来ただろう。そのことじゃないのか?」
まったく違う。
まったく違うが――天照大神はドンちゃん騒ぎに心浮き立てさせて顔を出したのではなく、ドーンに首根っこを掴まれるような気持ちで天岩戸から這い出てきたらしい。
三人の間に微妙な空気が流れたが、やがてドーンが眉間の皺を更に一本増やして冷ややかにのたもうた。
「とりあえず――二人とも、座れ」
大叔父さん、慇懃に無礼がくっついていますよ。
***
「だから、あれは不可抗力であって」
少しばかり冷静さを取り戻したのか、サンショクウミワシからコシジロイヌワシに変化したドーンは――それでも十分冷ややかな空気をまとったままクリストファーを促し、あいての言葉にゆっくりと口火を切った。
「つまり、あなたは風香の精神を勝手に覗き見たということか」
「ヴィストだと思っていたんだっ」
「ヴィストならよいと?」
更にすっと眼差しを細めたドーンの姿に、これ以上があるのかと内心で賞賛しそうになる。風香の乏しい知識では、このヒトモドキを例える動物が見つかりません。
「違うっ。ヴィストであれば絶対に私にそんな真似を許さない。自らの身を強固にシールドして私の干渉など簡単にはじき返す……はじき返されると、思っていたんだ」
勢いのあった言葉がゆるゆるとトーンを低く変えていく。なんだかどんどんとイタタマレナイ気持ちになり、風香は愛想笑いを貼り付けた。
「とにかく、別にそのことじたいはどうでもいいから」
ぎんっとドーンの眼差しが風香へと向けられ、風香はクリストファーの擁護をしようとしたことを心底後悔した。
うひぃっと身をすくませつつも、それでもどうにか言葉を捜す。
なんといっても、風香はすでにクリストファーからたっぷりと慰謝料をもらっておりますし。
――もしかして口止め料も含まれていたかもしれないが、少なくとも風香自身がドーンに暴露した訳ではないので、そこのところは是非とも勘弁してやって欲しい。
ぐぐぐっと眉間に力を込めたドーンであったが、諦めたように大きく息を吐き出した。
「クリストファー」
「あ、ああ」
「先ほどの話は聞かなかったことにする。当家としては我が家の身内に対して著しく体裁を傷つけるような真似があるのであればそれなりの対処をするが、風香自身が気にかけている様子も無く――ましてや、結婚などという手段で責任をとってもらおうなどとは望んではいない」
すらすらと言うドーンであるが、冷ややかな雰囲気をそのままに、口角を引き上げるようにして笑みを浮かべて続けた。
「だが、貴方がそれでは気がすまないというのであれば魔石を幾つか分けて頂ければ喜んで受け取ろう」
さらりと言われた言葉に、クリストファーは苦々しいような表情を浮かべてみせたが、やがて脱力するように呼気を落としてゆるく首を振った。
「……あとで届けさせる」
……慰謝料の二重取り。
祖父ちゃんには借金を踏み倒され、祖父ちゃん弟には恫喝される。
他人事ながら、クリストファーのこの先が心配だ。




