その1
「使えないっ」
風香は拳を握って力説した。
何が使えないって、勿論祖父ちゃん作という魔法道具だ。
今現在カピバラの首にリボンでもってくくりつけられているアイテムは、精霊をとっ捕まえた挙句にその能力を根こそぎ綺麗さっぱりと落とす、まさしくトイレのアイテム的存在であるが――喋ることも、消えなることもできないカピバラはただのカピバラである。
「なんであんなことをしたのっ」
と、幾度も拷問――ではなく、尋問してみたが、カピバラはきゅいきゅいいうのみである。挙句の果てには、ただの動物のようにかしかしと短い足で自らの体をひっかき、そのごろんと丸いからだがわざわいしてすっころがる始末。
絶対に自分が可愛いと理解してやっているに違いない。
風香はぎりぎりと歯軋りして地団駄を踏みたい気持ちになったが、だからといって折角くくりつけた首輪をはずす訳にもいかない。
「また、やっているのか」
日当たりの良い居間でふわふわの体毛の生物をげしげしと撫で回し、イライラを解消していると、ドーンは呆れたように片眉を跳ね上げる。
「ドーン大叔父さん、クリストファーには会えました?」
クリストファーと話をして来ると言っていたドーンの帰宅に、風香は期待を込めて言葉を弾ませたが、ドーンは風香によって撫で回されている白い物体をしらじらと見下ろしながら首筋のクラヴァットを軽く緩めた。
「いいや」
「……使えない」
ぼそっと本音が漏れてしまった。
「ほぅ?」
途端にドーンが低音やけどしそうな急降下を見せ、風香は慌ててぱっと白カピバラから手を離して両手を振った。
「ドーン大叔父さんじゃなくて、クリストファーがっ」
風香が手を離したことにより、わたわたとどんくさい動きで逃げようとする白モコを、ドーンの足が普通に踏みつける。
動物愛護団体から思い切り苦情が出そうな悪行だが、ドーン自身は何の感慨もなさそうに平然と風香を見つめている。
それは見事なコチョウゲンボウ並みの鋭い眼差しで。
「クリストファーには一度こちらに顔を出すようにと言伝を残して来た。近いうちに何かしらの返事があるだろう」
淡々と言うドーンだが、その足にどうやら少しづつ体重をかけてはいないだろうか? さすがにおっさん精霊といえどもどうにも可哀想に思え、風香はわきわきと指を動かし、ドーンとカピバラとを交互に見て口を開いた。
「大叔父さん」
「何だ?」
「ソレ、さすがにちょっと……返して下さい」
つんつんと指し示すように言えば、ドーンの冷たい眼差しがゆっくりとその指先を辿るようにカピバラに向けられ、その薄い唇が小さく笑みの形を作り出した。
「いっそのこと売ってしまうというのはどうだ? こんな変わった生物はあまり見かけないし、挙句精霊ということでどこかの見世物小屋が喜んで引き取ってくれるだろう」
能力を封じられ、挙句どっかりと踏まれているカピバラは、それでも人間の言う言葉が理解できるのかきゅぅぅぅぅっと切ない悲鳴をあげた。
あああ、胸が痛い。
外見だけで言えば好みなのだから始末が悪い。風香は両手を伸ばしてカピバラを引っ張るが、ドーンの足は相変わらずどっかりとカピバラを踏みつけたままだ。
「何もそこまで苛めることは無いでしょう」
悲しいかな、三日も飼えば情も移るというものだ。
ドーンが冷ややかな眼差しで、それでもすっと足をあげてくれる。途端に白カピバラは短い足をわたわたと動かして風香の胸に飛び込んだ。
風香の胸元に顔をうずめるようにしてひゅんひゅんと鳴く様子ときたら、実に愛らしく保護意欲を誘う。風香はよしよしとその頭をなでながら嘆息を落とした。
先週までは確かに夜の安眠の邪魔をされていたが、能力さえ封じられてしまえばただの動物だ。むしろ愛玩動物系の白・ふわ・もっさり。でかいぬいぐるみのようなもので、それが苛められていればさすがに心が痛むし、ドーンが非道だと非難もしてしまう。
だが、そんな風香を呆れた様子で眺めたドーンは、まるで信じられないというようにゆっくりと首を振って指摘した。
「風香」
「なんですか」
「喋らないから見た目にだまされるが、中身はおっさんだぞ?」
すんすんと鼻面を胸に押し当ててくる生物――それを壁に叩きつけるのに時間はかからなかった。
***
おっさんを紐で繋いで放置し、今となってはドーンすら忘れているのではないかという絵本をつらつらと眺めていると、突然の来訪を執事が告げた。
告げた、というのも少し違う。
どたばたとして足音と「困りますっ」という執事の声が何かを追いかける。長椅子で本を読んでいた風香の反対側で、同じくなにやら小難しそうな本を読みふけっていたドーンは片眉を跳ね上げ、すっと席を立った。
「下がっていなさい」
風香もおなじように、身をこわばらせつつも立ち上がろうとしたのだが、ドーンが片手を挙げて風香をおさえ、扉へと足を向ける。
手を伸ばしてドアノブに触れようとしたところで、反対側から扉は開かれた。
「ドーンっ」
切迫した様子で声をあげたのは――なんと午前中にドーンが訪問した時には、相変わらず天照大神をしていた筈のクリストファーであった。
勢いよく扉が開き、そのままの勢いで名を呼ばれたドーンが息をつめる。
クリストファーの背後では執事が「申し訳ありませんっ」と声をあげていたのだが、それすら凌駕する勢いでクリストファーは続けた。
「本当に悪かった。
この責任はとる」
「クリストファー?」
ドーンが眉間に皺を刻みつけて名を呼ぶと、クリストファーは泣きそうな顔で食い入るようにドーンを見返して口にした。
「ヴィス――いや、風香を辱めたことは間違いない。きちんと責任はっ」
青白い顔の祖父ちゃん友人は、こともあろうにおかしな台詞を吐き出し、あたしは思わず「はーっ?」と大きな声をあげ、ドーンは咄嗟にクリストファーの胸元に手をかけて、ぐっと締め上げるようにしてクリストファーを引き寄せた。
「辱めた、とは?」
ドーンの低い囁きは、まるでコモドドラゴンを彷彿とさせた。




