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魔法使いの孫【連載版】  作者: たまさ。
魔法使いと精霊
30/43

その3

五日間の寝不足がたたった風香が、すっかりと酸素とブドウ糖のバランスを失ったむちゃくちゃな思考回路で叫んだ言葉は果たしてどのように自動翻訳されたのか。


「壷屋に嫁ぐつもりか?」

「……いや、えっと、壷屋はイヤです」


 ウォシュレットとか翻訳はされないらしい。見たことも無いものを言葉だけで理解しろというのは無理な話なのだろう。

絶対にこちら世界の壷屋には嫁ぎたくない風香だ。

それにしても、こちらでは用足し用の壷は専門で作成されているのだろうか。それとも違うのか。花を飾る壷との区別についてじっくりと尋ねてみたい。

 花を飾る壷とトイレ壷のその運命の分かれ目はいか程に深いのか。そんなことを思い悩んでいるのは風香くらいのものだろうが、壷にだって人生を選ぶ権利があるような気がする。


「……さっきから何を言っているのだ?」

「ああ、口から駄々漏れでしたか? 気にしないで下さい。人生の無常について深く掘り下げていただけですからね」

 

壷の人生を語る女。


はたからみれば頭がおかしなことになっているのではないかとしか思われないであろうが――この時確かに風香の頭は多少おかしなことになっていた。


睡眠不足というのはかくも悲惨なものなのだ。


 ドーンは嘆息すると、鎮痛な様子で軽く自らの額の髪を払った。

「その精霊は確かに風香の精霊なのだろう?」

「……確かめる術はありませんし、何せ相手は性質の悪い嘘つきです。クリストファーに頼ろうにも、クリストファーときたら天照大神もかくやの状態で」

「アマテ?」

「ああ、究極の引きこもりです。

うちの国では部屋に閉じこもって出てこない神様のこと――部屋の前で宴会をするとその賑やかさに騙されて出てくるっていう、ある意味根性の無い神様なんですけどね」

 

ちなみについ先日までドーンもその類のようなもの――引きこもりニート程度に思っていたが、最近ドーンは昼間は出かけているので、少なくとも引きこもりではないことが証明されている。

もしかしてニートでもないのかもしれないが、風香は今のところドーンの傷口に塩を塗る気はないのでその辺りはそっとしておいてあげている。


「ドーン大叔父さんって無職?」

 なんて、口が裂けてもいえない。

少なくとも仕事をしている風ではない。

ドーンとて気にしているかもしれないので風香は絶対に自分から触れるつもりは無い――自分にとって都合の良い時まで。

 他人を貶める時にはタイミングが大事だ。

鉄砲魚が獲物を仕留めるが如く。


「風香の国では神様が根性なしだといわれているのか? いったいそれはどういう神様なのだ」

「えっと、確か天照だから太陽の神様だったかなー。

ああ、別にそんなことはどうでもいいんです。言いたいことは、クリストファーが部屋に閉じこもって出てきてくれないってことだけだから」


――人が良いのは判ったが、果たしてクリストファーよ……風香に顔向けできない程の何をしでかしたのか。

 その真実を知りたいような知りたくないような風香だ。


ひんむいたというが、衣類をひん剥いて中身を覗いた程度で風香という人間が判ったとは思えない。

何といっても、女性だというのは理解していた筈だ。

ただし、ヴィストが精霊によって女性に変えられてしまったと考えていた筈だから、その体が女体化していたところであれほどに動揺する筈がない。そうするとやはり彼が風香をヴィストとは違う風香という人間だと認識するに至った筈のナニか……

 決して覗いてはいけない深淵に触れてしまいそうで、風香はぶるりと身震いした。


そう、決して深く触れることはしないが、あの時半ば無理矢理風香の手に握り込まされた金はおそらく――慰謝料の類とみた。


「判った。クリストファーの許には一度私が行く」

 嘆息交じりのドーンに、風香は礼の意味を込めて手のひらをぱたぱたと上下に揺らした。安心したのかあふりと唇から欠伸がもれ、反射で眦にこんもりと涙の粒が浮かんだ。

「……そこで寝るな。

きちんと寝室に行きなさい」

「だから、一人でいると……」


 あふり。


欠伸が何度も出るのは完全に酸欠だ。

脳に酸素が行き届かずに、大量の酸素を求めて体が反応を示す。そんなことを考えながら、風香は「あー」と呻いた。


「ドーン大叔父さん」

「何だ?」


「一緒に寝よ?」


勿論、軽い冗談で口にした風香だが――後悔とは言葉の通り、後で悔やむことなのだった。







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