その3
「魔法使いと手をつなぐなど、身も心も全裸にひん剥かれるようなものだぞっ。そんなはしたない真似をしては駄目だ」
勢いよく言ったクリストファー。
それを受け取った風香は――たっぷり五秒程の間視線をあわせて、風香が口を開くより先にクリストファーは畳み掛けた。
「とにかく、君自身が魔法使いで無いのであれば無防備がすぎる。
今後そういったことはして誰に対しても……」
「まてい」
「ああ、それと精霊は」
「くぉら。そこでさらりと流そうとしている魔法使い。もう一度言ってみろ。魔法使いと手をつなぐとなんですと?」
低く問いかける風香に、クリストファーは自らの口元に手を当てて視線を逸らし、首筋までも真っ赤に染め上げる。
ひくひくと身を引きつかせ、風香は地の底から這い登るような声を絞り出していた。
「ひんむいた訳ですか?」
「スミマセン……」
***
それまではクリストファーの私室にいたというのに、慌てたクリストファーは風香を居間へと案内した。というか追い出しに掛かった。
何もいまさらと思ったものだが、一回り小さくなった小動物系クリストファーは顔を赤らめながら「男の部屋に女性は入るものじゃない」としどろもどろになりつつもきっぱりと風香を押し出した。
「――ドーンの言うように、封じられた精霊は満月の晩に封じ物を破壊すれば開放される」
「じゃあやっぱり、あの精霊は祖父ちゃんの精霊なんだ」
とりあえずお互いに落ち着きを取り戻し、カピバラ精霊について事の顛末をはじめっから説明した風香にクリストファーは腕を組んで静かに聞き入れていたが、風香の最後の言葉にゆるゆると首を振った。
「封じられた精霊は体現することはできない。風香、さんに嘘を伝えたのは野良精霊だと思う」
野良……って。
野良猫だとか野良犬だとか野良牛とかの野良?
「精霊は嘘はつかないって言っていたのにっ」
「精霊が嘘をつかないなど、それこそ嘘だろう。精霊は基本うそつきだ。他人を騙し、陥れて楽しむ。その野良精霊もほんの遊びで風香、さんのところに出てきたのだと思う」
視線をそらしつつ言うクリストファー小心者。
もうすでに風香は握手についてのことは許していたのだが、いつまでも気にされるのは風香の気に障る。
嫌な顔をしつつ、風香は前髪をかきあげた。
そもそも「ひんむいた」という表現を使いはしたものの、実際どのようなことがあったのかは謎だ。深く追求してはいけないような気がするので、風香はあえて追求していない。だが相手の狼狽っぷりを見ていると激しく苛々するのはとめられそうにない。
絶対に視線を合わせてはなるものかと逸らしまくっている相手に、風香は生来の底意地悪さを発揮して微妙に顔や体をずらして無理やり視線を合わせていこうと動き出す。
クリストファーはつつつっと視線を合わさないようにずらしていくのだが、最終的に我慢の限界が訪れたのか、白旗をあげた。
「君がヴィストでないのであれば借金はもういいから、頼む――少し離れてくれ」
何だか判らないが無理やり金貨を押し付けられ、借金は帳消しとなり、金貨三枚は風香の手元に戻された。
――聞いたらきっと自殺してしまいたいくらいの何かがあるに違いない。風香は自分の羞恥を金で誤魔化す守銭奴になることにした。
受け取らないとアフガンハウンドクリストファーが泣くのでは無いかという探究心を満たすことは彼の尊厳の為に止めておく。
***
「指輪を破壊したら、元の世界に戻るどころか風香は言葉も話せなくなる」
指輪の破壊はしないほうがいいというクリストファーの進言により、指輪破壊計画は中止され、風香の地球に帰ってピンクの墓に椎茸を供えて宴会をしよう企画も頓挫した。
地味にヒットポイントの減少が多い日だった風香は、自宅にてドーンを待ち、その愚痴を洗いざらいぶちまけると最後にぐったりと口にした。
「ということで、クリストファーが振られたのは祖父ちゃんのせいでした」
あらゆるところで他人様を不幸に陥れる大天災は滅びてしまえ。
いや、滅びているが。
「いや、そんなのはどうでもいい」
あっさりとドーンは言うが、もちろん風香にだってそんな話はどうでもいい。クリストファーには同情するので、是非とも「ヴィスト被害者の会」では会計でもして欲しいものである。
風香は落胆しつつ、言いづらそうにちらりとドーンを見やった。
「で、もうしばらくここにおいて下さい」
「それはもちろん構わない。何度も言っているように、ここは風香の家でもある。風香さえ望めば、我が家の当主として」
「望まないですから」
そんなご大層なものはまったくもって必要が無い。きっぱり言い切る風香だが、ドーンは何故か食い下がる。
「風香。もう少し真面目に考えてくれ。
私は魔力値の低い一般人で、風香はおそらくこの先魔法使いになる。そうすると、風香の地位はこの家で第一位だ。ヴィストの孫であるというのを差し引いても、風香は一番――」
「あたしが魔法使いになるのは、地球に帰るからです。
地球に帰っちゃう人間が当主とか、そんなのは無理でしょ? だから当主だとか跡取りだとかは無視してください」
きっぱりとした宣言に、ドーンは眉間に皺を刻んだ。
ドーン自身が当主になりたくないのかもしれないが、だからといってそれを風香に押し付けるのは間違いだ。
風香は地球の日本に帰ってウォシュレットと結婚するのだ。
いや……ウォシュレットの製造担当と。
勿論、墓参りには椎茸を持参するという役割だってある。
「そもそも私には当主になる資格など……」
尚も諦める様子のないドーンに辟易とした風香は、肩をすくめた。
「資格って、ドーン大叔父さんが魔法使いじゃないから? でも魔法使いは人数も少ないって言うんなら、別に当主が魔法使いじゃない家だってある訳でしょ? 祖父ちゃんはぜったいにこっちに戻らないんだから、もっと自信を持って――」
ドーンはますます眉間に皺を寄せ、重苦しい雰囲気をかもし出しつつゆっくりと口を開いた。
「あの日……ヴィストは魔方陣の中にいた」
「――」
「些細な喧嘩で、今となっては何故もめていたのかも覚えていない。ただ、あの日、ヴィストは魔方陣にいて、いつも通り腹立たしいことを何か言った。それに私は……カッとしたのだろう。持っていたものを相手に投げつけ、それが……ヴィストの足元の魔方陣を消した」
ドーンは苦痛を耐えるようにうつむいた。
「魔法は発動し――ヴィストは……二度と帰らなくなった」
しんっと、静まった部屋の中。
風香はごくりと口腔にたまった唾液を嚥下し、相手の言う言葉の意味をゆっくりと精査しながら――何を言っていいのかわからずに、思わず乾いた声で言っていた。
「ド・ドンマイ?」
ちーん……




