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魔法使いの孫【連載版】  作者: たまさ。
魔法使いの母
19/43

その3

書斎には本の香りと明かりとに満ちていた。

こちらで使われている照明は魔法の存在する国らしくそれっぽい石だ。輝石に精霊が魔力を注いで作られるそれは、触れると煌々と輝くようになっている。

 その明かりの下、ドーンは突然風香に指をつきつけられ、怪訝気に眉を潜めた。


「聞きましたよっ。

何が祖父ちゃんの婚約者ですか。

エリスはドーン大叔父さんの婚約者じゃないですか!」

「違う」

「違うって。またまたー。今ヘレン曾祖母ちゃんからばっちり聞いてきたんですよ」


 おうおうおうっ。シラァ切るのはてぇげぇにしろよ。

こちとらネタはあがってるんでぇい。

この近山(きんさん)の桜吹雪を忘れたとは言わさんぜぇぇぇぇぇい。

ばりの風香だったが、片手に薄い本を開いているドーンは、冷ややかな眼差しで「私は魔法使いではないから、この話は絶対にありえない。そんな腐った戯言を吹聴しているのはエリスの父親だけで、母親は反対をしているし、何よりエリスが嫌がっている。もちろん、私もエリスを妻にして人生を棒に振る気はさらさらない」と冷ややかに、なおかつ冷静に口にした。


 大好きな近山(きんさん)な心境で犯人を追い詰めているかのようにたいへん盛り上がっていた風香だが、冷静に言われるとどうにも途端に気持ちしぼんだ。


「……本当に?」

 振り上げた拳のいくあてを失った風香は、眉を潜めて唇を尖らせた。


ドーンが怪訝な様子で見返し、ついで口角を引き上げるようにして笑ってみせる。

「私の結婚について気にかかるのか?」

「そりゃ……」

「ほう?」


 微妙に居心地が悪い気持ちになり、風香は視線をさまよわせ、何故か一歩退いた。

じっと見つめられ、なんとなく舌が乾くようなおぼつかなさがじわりじわりとにじむ。更に体温があがるような奇妙な感覚に、それから逃れるように風香はあわてていった。


「だってドーン大叔父さんが」

「私が?」

「エリスと結婚して手綱をきっちりにぎって制御してくれればあたしの世界は平和なのにっ」


一挙両得――邪魔臭いのがいっぺんに片付く。

その思いで嬉々としてドーンを探していた風香だったのだが、ドーンはすとんとその表情をのっぺらぼうのように平坦に変え――ヒョウモントカゲモドキのような冷ややかさでぱたりと本を閉ざした。


「そうか、おまえが結婚すれば私の世界が平和だと今気づいた。

なに、エリスは風香が女であろうとも気にしないそうだから良かったな」


「ちょっ、なにその論法。

まさかあたしを人身御供に差し出す気じゃないですよね、ドーン大叔父さん」

可愛い兄孫に冷ややかな眼差しを向けるドーンの姿にたじろぎ、はたりと風香は気付いた。


しまった。

風香自身がはじめに相手を人身御供に差し出そうとしたのだ。

もっと穏便に、こっそりと暗躍すべきだったのだ。

有頂天になりすぎて自分から暴露してしまうとは何事か。


「いやだなー……冗談に決まっているじゃないですか。

そんな凶悪な顔しなくても」

「そうか。もちろん私も冗談だ」


――いや、まて、そこのフラットロックススコーピオンよ。

ちっとも冗談っぽくないです。

まさか本気でエリスに可愛い兄孫を差し出す気じゃないでしょうね。


***


 エリスに身売りされてしまうのでは無いかという恐ろしい可能性に身を震わせながら、風香はぱしゃりと湯を指先ではじいた。

 猫足のバスタブという、それはそれは優美なものに鼻から下まで身を沈め――ぶくぶくと泡を出す。


こちらにきて「もしや侍女さんに丸洗いされちゃったりするのだろうか」などとドキドキしたものだが、風呂は一人でゆったりと入れた為になんだかちょっぴり残念に思う風香だった。

 いや、決して洗って欲しい訳ではない。しかも女性に洗って欲しいなどという、そっちの趣味はありません。

 むしろそんな趣味があったらエリスと思う存分いちゃいちゃしてやるさ。

少しばかりやけっぱちな風香だ。


相変わらずぶくぶくと泡を出しながら、風香は指先を湯から出してじっと――まさにじぃっと祖父ちゃんの呪われた指輪を眺め、引き抜き、右手の親指と人差し指でつまみあげた。


「この指輪さえなければこんなことにはならなかったのに」

 という何百回と繰り返した台詞を水中で言葉にすれば、泡はぼふりぼわりと大きくなった。その泡が鼻に直撃し、あわてて顔をあげた風香は顔をしかめて更に悪態をついた。


「祖父ちゃんの馬鹿やろうっ」

 と、これまた何千回と口にしてきた言葉を口にする。

 ぱしゃりと音をさせ、バスタブの淵に両腕をだらりとのせてよりかかると一人だけしかいない筈の浴室に「その通り」と声が木霊した。


「ヴィストはほんとーに馬鹿もんだよ。

どーしょうもない男だった。あんなろくでなしはついぞいない」

 背後からうんうんとうなずきながら言い続ける声に、風香は思い切りばしゃりと激しい水音をさせて振り返った。


「人の祖父ちゃんの悪口を言うなーっ」


 言っておきながら、そういう問題じゃないだろうとはたりと気付いた風香は、濡れた浴室のタイルの上に、奇妙なイキモノを発見した。


……非常におっさんくさい、ヌートリア的ななにか。


 ただし顔と体系は確かにヌートリアとかテンジクネズミとかカピバラだというのに、ふわふわもこもこの素敵なコートのような真っ白な体毛。


「あれ……何でコレ、サングラスかけてる訳?」


混乱した風香は、人差し指でソレを示しながら小さな声で呟いた。


勿論――全裸仁王立ちで。

 


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