その3
「そう、文字を……」
愚痴まがいにヘレン曾祖母ちゃんに相談を持ちかけた風香であったが、結果は曾祖母ちゃんを困らすことになってしまった。
「魔法の素養が高ければ、あなたの指輪のように強い魔術式を使って文字を翻訳させる機能を付けることは可能でしょうけれど、ごめんなさいね……」
優しいヘレンはしばらく考えた挙句、風香の手の甲を親しげにとんとんっと叩いた。
「こうしてはどうかしら?
魔法使いを尋ねてみては?」
「あ、そっか」
風香はぽんっと手を打った。自力で魔法を習得しなければいけないというのはなんとか納得したが、だからと言ってお師匠様をつけてはいけないという訳ではない。むしろ、魔法を学ぶために魔法使いと接触するのは必定。
言葉一つから教わるのは難しいが、もしかしたらその魔法使いに素敵アイテムを作成していただくことは可能かもしれない。
「ヘレン曾祖母ちゃん頭いいっ」
風香は上機嫌になって曾祖母をもちあげ、ぎゅっと抱きついた。
「それで、ヘレン曾祖母ちゃん! 魔法使いの人とはどこで会えるの?」
風香の興奮した声に、しかしヘレンは少し眉を潜めて励ますように肩を叩いた。
「魔法使いは一杯いるのだけれど、なかなかお会いすることはできないのよ……皆さん忙しくしていらっしゃるし。修行中の方は遠い学院にいらっしゃるし」
遠い……
「でも、幸いヴィストのご友人で良い方がいるのよ?
学院からも離れて今はこちらにいらっしゃるし。 馬車の手配をするから、行ってみなさいな」
手紙を書いてあげるから。
曾祖母ちゃんヘレンに悪気は無かったに違いない。
そう信じたい――風香は意気揚々と口やかましい叔祖父ドーンが不在にしているのをいいことに、ヘレンの手紙を携えて祖父ちゃんの友人宅を訪れた。
玄関口では風香の馬車を操ってくれていた下男がヘレンの書いてくれた訪問の手紙を提示し、そして屋敷の執事だか何だかというたいそうな人が風香を室内へと誘った。
こちらに来て他人の家を訪問するのは初めてのことでたいそう勇気のいることだったが、祖父ちゃんの友人でたいへん仲がよかったという言葉に、意味も無い安心感で居間へと通され――
風香は乾いた笑いを浮かべた。
「借金を返しに来たのか?」
「……そっか、友達って、そうか……」
間違ってはいないだろう。
なんといっても、相手は祖父ちゃんからの借金の申し出もきっちりと受け入れてくれた相手だ。たとえ借用書を作成していたとしても、おそらく仲の良い友人だったのだろう――一年前までは。
たとえ友人相手といえども、風香ならお金のやりとりなどしない。
お金は人間関係を破壊する。
それを理解しながらもやすやすとお金を貸すなど、この面前の相手は祖父ちゃんの心からの親友であるのか――もしくは相当な莫迦だ。
風香は途端にぐったりとした疲労感を感じながら、冷ややかなな視線を向けてくる相手に「どうも」とぼそりと口にし、居心地悪くぐりぐりと左手薬指にはまる指輪を動かした。
生憎とここにドーンの助けは期待できない。
なんといっても、風香自身が敵の屋敷を訪れているのだから。
ここであったが夏の虫――あれ、なんか違うぞ。
飛んで火に入る百年目?
「とっても優しい子よ。ヴィストが家出してしまった時にも色々と心配して親身になってくれたのよ。きっと風香の力にもなってくれるわ」
ヘレン曾祖母ちゃんのにっこり笑顔が忌々しい程まぶし過ぎる。
「何とか言ったらどうだ、ヴィスト」
思わず現実逃避をしてしまっていた風香に、男の鋭い叱責が飛ぶ。
ドーンがシベリアンハスキーなら、こちらはジャーマン・シェパードかドーベルマンだ。
どちらにしろ仲良くお茶ができるタイプではない。
「いや、だから、あたしはヴィストじゃないです」
「まだそんな言い逃れが通じるとでも?」
ぎろりと睨みつけられ、風香は思わずぐっと拳を握り締めた。
「あのですね、人間がころころそう性別かわったりすると本気で思ってるんですか?」
「よくあることじゃないか」
ふんっと鼻で笑われ、風香は目をむいた。
よく、ある?
「魔法使いにはありがちな失態だ。
悪戯好きの精霊を御しきれず、性別を変えられてしまうなんてことは。
魔法使いとして大変不名誉なことだがな」
「……へぇぇ」
なんかイヤな世界。
手術要らずで夢の性転換が可能ですってか?
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などという阿呆くさい文字が頭で踊る。
風香は両肩を落として顔に掛かった髪をかきあげた。
もしかしたら需要があるかもしれないが、すくなくとも風香には無いので大変残念です。




