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24 君が怒る理由



 これほど、雪姫の家に行くのに緊張したことはなかった気がする。気分は雪姫を怒らせてしまった恐怖心とともに、憂鬱が相待って、色をより暗くしていく。

 結局、夜は一睡も寝ることができなかった。それがより悪循環になっているきもするが。それにしても、だよ。


(情けない――)


 それだけ、自分の生活のなかで、雪姫の存在が大きく占めているのが、自分でもよく理解できた。だからこそ、怖さがより募っていって。


 それはきっと、先輩やマスター達にも筒抜けだったんだろう。だから、先輩にあんな言葉をかけられる始末で。


 ――ま、お守り代わりだとでも思って気軽に聞きなよ。相手がもし怒っているとしたら、それは君を大切に思ってくれている証拠。だって、どうでも良い人には怒るエネルギーすら無駄だからね。本当にイヤなら愛想をつくすって。


 瑛真先輩は笑って、俺の背中を押してくれた。

 それを思い出しながら、俺はインターホンを鳴らす。まずは、どんなことでも受け入れよう。そのうえで、自分の悪いトコロはなおしていこう。何か雪姫を傷つけていたのおなら、素直に謝ろう。


 ――お礼は文芸部を手伝ってくれたら、それでチャラで良いからね。


 先輩の最後の一言。それで全部、台無しだった。

 でも、勇気はもらえた。


 だから、全て真っ正面から受け止めようと思う。

 俺は、大きく深呼吸して。雪姫に嫌われてしまうかもしれない。そんな募っていく恐怖心を、なんとか抑えて。


 自分の悪いトコロ、ダメなトコロが有りすぎるのを自覚しているから。だから全部、受け止めよう。

 俺は、覚悟を決めた。





■■■



「えっと?」


 上がり(かまち)で正座して待っていた雪姫は、怒っている感情半分――嬉しそうな感情?――を浮かべていた。


(雪姫?)


 が、それ以上に困惑するのは、リビングから時々、チラチラとのぞく3人の影で。あれって明らかに、雪姫の家族だよね?


 でも雪姫はお構いなしのようだ。と言うか、真っ直ぐに俺しか見ていない。俺は彼女の言葉を受け入れると決めた。だから、まずはいったん雪姫の言葉をしっかりと聞こう。怖くても、厳しい言葉が待っていても。それがたとえ否定であっても――。


「冬君、私は怒ってます」

「あ、うん……。それは昨日のLINKを見たら、それは良く分か……でも、俺、雪姫を傷つけることを何かしちゃったんだろうか?」


 恐る恐る聞く。雪姫は視線を逸らさない。ただ、その目に含まれた色は非難でないことは、流石の俺にも理解できて。


「冬君、ココに座って」


 そう雪姫が言うので俺は雪に倣って、上がり框に正座する。雪姫は少し驚いた顔を見せた。それから少し俺との距離を詰める。


「土下座させたいわけじゃないんだよ、冬君?」

「え?」

「それと、傷つけられてはいないよ。むしろ私を支えてくれるし。私は冬君がただ、自分のことも大事に考えて欲しいって思うだけ」

「……どういう?」

「彩ちゃんから聞きました。冬君のお昼ご飯のこと」

「う――」


 これは反論できないヤツだ。以前から海崎にも指摘されていたし、弥生先生には見るに耐えかねて、おかずを分けてもらう始末。栄養面がアンバランスなのを自覚していたが、雪姫にいざ指摘されると反論の言葉も出てこない。


「ゼリーも焼きそばパンも野菜ジュースも、全然栄養足りないからね」

「それはでも一応、他の食事で補うように――」

「じゃ、今日の朝ごはんは何を食べたか教えてくれる?」

「姉ちゃん、笑顔で怒るから怖いよなぁ」


 何か奥から聞こえてきたが、それ所じゃない。冷や汗が流れるとはこういうことを言うのか、と思う。今日はコンビニ寄ってないから、そもそも何も口に入れてないのだ。


「そういうトコなんだよ、冬君。冬君一人暮らしよね? そんな食生活だと、いつか倒れちゃうよ? 冬君から突然連絡なくなって、実は倒れてましたってなったら――その時、私はどうしたら良いの?」

「それは……」


 雪姫の真剣な目を俺は正視できない。と、雪姫が小さく笑みをこぼした。


「だから私は、余計なお節介をやくことにしました」

「え?」


 雪姫は俺の膝の上に、弁当箱を乗せる。


「へ? これ?」

「見ての通りだけど、お弁当を作りました。食べてくれたら嬉しいなぁ。そんな手の込んだモノは作れないし、口に合うか分からないけど」

「あ、でも、いや、そんな。雪姫の負担に――」

「弥生先生のおかずは食べたのに、私のお弁当は食べてくれないの?」

「う……」


 そんなことを言われたら、断れるはずが無い。ただ俺は海崎と黄島さんに、一言物申さないと気が済まない。情報リークしたのは、間違いなくあの二人で――とまで思って、苦笑いが漏れた。


(バカか、俺)


 結局、みんなが心配してくれたってことじゃないか。栄養バランスが最悪なのも、食事が偏っていたのも間違いなくて。人の食事準備ならそれなりに頑張れるが、自分のこととなると、面倒臭くなって手を抜いてしまう。それで雪姫を心配させていたら、どうしようも無い。


「いや、素直に嬉しいよ。ただ雪姫に大変な思いをさせちゃ――」

「これは私のリハビリだから」


 雪姫はにっこり笑ってそう言う。


「家にいると、つい自分を甘やかしちゃうから。でも冬君のためにできることをしたいって思ったら、全然苦じゃなくて。今日、しっかり起きれたしね。だから私的にはありがとうなんだよ、冬君」

「そっか……」


「それに冬君と朝から会えた。それも本当に嬉しい。私ね、冬君。色々な目標ができたの。冬君と学校に行きたいとか。冬君にカフェオレご馳走になりたいとか。それからもう一つ増えたよ? 冬君と学校でお昼ご飯一緒に食べたい」

「うん」

「だから頑張るね!」


 雪姫が笑顔でそう言ってくれたので、俺も大きく頷く。


 雪姫のなかで色々な目標ができているのなら、できるだけ達成できるように俺もサポートしていきたい。カフェオレを雪姫に一番に淹れることは、すぐにでも達成できそうだ。これは午後、もう一度雪姫と相談かな。名残惜しいけれど、時間が少し足りない。


「お弁当ありがとうね、雪姫」

「うん。味の感想教えてね。私、冬君の好みを勉強したいから。他の人からおかずをもらったりとか、イヤだよ?」

「え? あ、うん」


 思わず雪姫の目に吸い込まれそうになって、コクコクと頷く。折角雪姫が作ってくれたのだ。しっかり味わいたいって思う。ココまで一生懸命してもらったのだ。雪姫のその気持ちを蔑ろにするつもりはない。


「じゃ、学校行くね」

「うん」


 雪姫が頷いたのを見て、俺は靴を履く。玄関のノブに手をかけたところで、雪姫も玄関に降りてきた。


「雪姫?」

「いってらっしゃい、冬君」

「え――」


 きゅっと俺の手を小さく握って、それから離した。それだけ、ただそれだけなのに。


「うん、行ってきます」


 まだこの手に残る温もりを感じながら。雪姫が小さく手を振ってくれているのが見えて。俺は、目一杯手を振った。


 一日が始まる。今日は朝から雪姫に会うことができた。昨日のLINKから雪姫を怒らせたのでは、とずっと怖がっていたけれど。結果は、むしろ心配してもらっていて。


 助けたいと思っているのに、むしろ雪姫(ともだち)に助けられ、支えられていて。なおのこと、雪姫のために夕方のリハビリも頑張ろうと思う。

 寝不足で思わず出てしまった欠伸を、噛み殺すのに必死になりながら。


「「「夫婦?」」」


 下河の家から、何か絶叫が聞こえたけれど。あれかな? チャレンジ続ける雪姫に対する、家族の驚きの声かもしれない。


(うん、すごいよ雪姫は。本当に頑張ってる――)


 ほっとしたら途端に睡魔が囁くけれど。頭がぼーっと重いけれど。それでも、妙に爽やかで。この真っ青な空と同じくらい、気持ちが晴れ渡っていた。




■■■




 今日は司書室で、お昼を食べることにした。朝から弥生先生に頼み込んでおいたのだ。


 女の子にお弁当を作ってもおらった。それだけで気恥ずかしいにに。それを教室内で食べるのは、いささか自分に勇気が足りなくて。


 弥生先生や、海崎、そして今日は黄島さんも一緒にお昼を食べることになったわけだが――まだ見知った人だけの方が、耐えられる。そんな気がする。


 理由を知っている、それぞれはニヤニヤ笑っている。


 だから俺たちはそういう関係じゃないから、そう言うのが最近、口癖のようになっていて。雪姫の好意に悪乗りしちゃけないと思っている。あの子は、人と人の距離、その間合いをどう取っていいのか悩んでいる。だからこそ、親しくなった人に無防備で。危ういとすら思う。


 でも雪姫が勇気を出して踏み出そうとしているのなら、そこを指摘するよりも応援するべきで。


 恥ずかしさもある。嬉しさもある。勘違いしそうにもなるけれど、そこは何とか飲み込んで。


 俺は、お弁当箱をゆっくりと開ける。俺は思わず、目が点になった。


 こんな鮮やかで、色合い豊かなお弁当、俺は知らない。

 ご飯には、海苔とフリカケでデコレーション。可愛らしく猫とともにfuyukiと描かれていて。


 おかずもオムレツ、筑前煮、唐揚げ、タコさんウインナー、ウサギカットのリンゴなどなど、所狭しと綺麗に詰められていた。


 これは、教室で食べなくてよかった。今でも、自分の頬が熱いのを自覚している。


 俺は唐揚げが好きなので、まずはそれから箸をつけた。以前、リハビリの途中で聞かれた好きな食べ物、それを雪姫は憶えてくれていたのだ。その時に言ったメニューが全て、このお弁当箱には詰まっていた。


 冷えているのに、唐揚げの旨味が口中に広がって。あぁ、これはちょっと言葉にならない。


「あれ、かなり美味しいみたいだね。私のお弁当のおかず分けた時、あんな顔してなかったわ」

「弥生先生、今後、お弁当による餌付けは禁止です。ゆっきに、『他の人からオカズもらうのイヤだよ』って言われたらしいですからね」

「黄島さん、その話、もっと詳しく」

「はい。ひかちゃん、どーぞ」


 君らに話した俺がバカだったのか。俺はがっくり項垂れる。それを見て、それぞれ可笑しそうに笑顔を浮かべて。


「ずっと気になっていたんだけどね、その後どうなっていたのか。でも着実に前進しているようで、安心したよ」


 と弥生先生。それは俺も本当にそう思う。雪姫にとって外の世界は、怖さで溢れているはずなのだ。それは彼女が何回も見せた呼吸症状が、物語っている。それでも、目標を立てて、前へ進もうとする。


 そんな雪姫だから。

 彼女がこの手を求めるのなら、躊躇なく差し伸べることができる。むしろ俺には、それしかできないけれど。


「まぁ、学校内では気になる噂も出てきたけどね」


 と海崎。噂? この筑前煮も本当に味が染み込んでいて、本当に優しい味付けで――。


「上川に彼女ができたらしい、放課後デートしている姿を度々目撃って」


 俺は思わずムセこむ。な、何、その噂?


「分かってるよ、下河とのリハビリでしょ? でもその事情を知っているのは、俺たちしかいないからね。目撃されたら、そう思われるって」

「無愛想な気まぐれ猫が、あんな笑顔見せちゃね」


 いや、雪姫の前でも表情、そんなに変わってないと思うんだけど?


「そんなに違うの?」

「そりゃ、段違いで。教室でもあんな風に笑ってみろって感じですけど。あれ、ゆっき限定の笑顔ですからね」

「その話も詳しく聞きたいかな」


 聞きたくない、聞きたくない。


 俺は雪姫の弁当を今は満喫するんだ、そう思う。でも、本当に美味しい。お昼を食べて、こんなに幸せな気分になるのは、初めてのことなんじゃないだろうか。

 満腹で、つい欠伸がでる。うつらうつらとする前に、俺はスマートフォンを取り出して、LINKでメッセージを送った。


『本当に美味しくて、幸せでした。毎日、本当に食べたいって思っちゃった。ありがとうね』


 すぐに、返事が返ってきて。

 ありがとう、と猫のスタンプが。


 それを確認すると、すぐに俺は睡魔に誘われてしまっていた。


「それじゃ、ゆっきと再開した日の話から。『海崎、黄島さん、ごめん悪いけれど、しばらく席を外してもらえないか?』そう言ったらね、そこからが早かった。上にゃんは躊躇なく、過呼吸になった雪姫を抱きしめてね――」

【下河家 朝の大混乱ダイジェスト】


「あれが上川君?」

「父さんも母さんも早く仕事行けよ」

「いや、これ玄関から行ける空気じゃないわよ?」

「これ、友達? いや、上川君には一度、ちゃんと会ってお礼したいと思っていたけど、これはちょっと複雑な……」

「そこに正座したら、土下座じゃない?」

「姉ちゃん、笑顔で怒るから怖いよなぁ」

「それは空が雪姫を怒らせすぎなのよ」

「お弁当? 雪姫、上川くんにお弁当作ってたの?」

「そうよ。今日は、5時前には起きて作っていたから。相談を受けたのは昨日だけどね」

「俺だって、まだ作ってもらったことないのに」

「それは、あなた? 私のお弁当、飽きたってことかしら?」

「そこで痴話喧嘩しないでよ、ちょっと静かに」


『うん。味の感想教えてね。私、冬君の好みを勉強したいから。他の人からおかずをもらったりとか、イヤだよ?』


「雪姫、上川君とは友達? なんだよね?」

「ゆき、友達に対する感情越えてるわよ、もうそれ?」

「父さんも母さんも、今更だから。毎回、こんな空気作るからね。それよりちょっと静かにして、聞こえないよ」



『いってらっしゃい、冬君』



「雪姫?」

「ゆき?」

「姉ちゃん」


「「「夫婦?」」」




この日下河さんご夫婦が、遅刻をしたそうで。

遅刻理由

未成年の娘が、もう新妻になっている件について。


勿論、上司に怒られて書類は書き直しになったそうです。

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