閑話 月に魔法をかけられた
これは月に魔法をかけられたせいなんだ――。
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今日の夜から雨。夜間にかけて豪雨となる可能性があります。土砂災害等が発生しやすい地域では早めの避難を心がけて――。
そんな朝のニュースが、やけに耳から離れなくて。今日がスーパームーンだから、か。今日がアルバイトだったら見れたかもしれないが、あいにく休みで。
ま、天気予報通りなら、結局、見ることはかなわない。縁がなかったってだけの話で。それに一人で見たってつまらない。
ちらりと、俺は雪姫を見る。触れるように、手を握りながら。
伝わる温もりを感じながら、俺たちは歩く。呼吸は問題ない。顔色も良い。無理もしていない。これならリハビリを続けても大丈夫そう。そう、確認をしながら。
と、雪姫が俺の視線を感じて、目を向ける。大丈夫、そう言うかのように、ニッコリ笑って。
不覚にも可愛いと思ってしまう。自分でも制御できないほど、胸の鼓動が騒がしい。落ち着けよ。俺は自分に言い聞かせた。
雪姫は、リハビリに真剣に向き合っている。アシストする俺が、ヨコシマな感情で脱線したら、彼女に失礼だ。今、雪姫は自分自身と向き合いながら、勇気を出して外に足を踏み出している。最終目標は俺がいなくても、手を握らなくても外に出ることで。
俺だって、男だから変な期待を抱いてしまうことがある。雪姫は自分自身を地味だと言うが、それはあまりに過小評価だ。特に彼女が微笑んでくれた時の、相貌は思わず引き込まれてしまう。
できればそういう表情は、誰にも見せたくない――と思って、思い止まる。それじゃ、何のためのリハビリなのか、分からないじゃないか。
「――ゆ君、冬君?」
どうやら雪姫が俺を呼びかけてくれていたらしい。
「あ、ごめん。考え事してて」
「むー。最近、考え事が多い気がする。冬君……もしかして私が負担になってる?」
「え? そんなことない! それは違うから!」
俺は慌てて否定する。むしろその逆だから。
「うん、そんなこと無いのはもちろん分かっているよ。私のことをきっと考えてくれているだろうなぁって、分かってはいるけれど」
「……」
雪姫は真っ直ぐ、俺のことを見つめてくれる。最近、俺の考えていることが雪姫には筒抜けで。そう考えると、この隠している感情まで知られてしまっているんじゃないだろうかと、怖くなる時がある。
「もし仮に、冬君が私のことを考えてくれていたとしても。私は目の前にいるよ? だから、もっと私をしっかり見て欲しい、って思うのはワガママ?」
「いや、ワガママだなんて思わないよ。むしろ不安にさせてごめん」
俺がそう言うと、雪姫はゆっくり首を横に振った。
「冬君が学校に行っている間。その時間は他の人は知っていて。私は知らないから。だから、今は私が冬君を独り占めする時間なの。これは絶対、譲らないから」
まるでイタズラを、これからするような笑顔を見せて。俺は呆けたように見とれてしまった。
「今日は何の日だと思う?」
「え……? スーパームーンが見られる日?」
「うん。冬君と見たいなぁって思うんだけれど、ダメ? 冬君、アルバイトお休みだったよね?」
「……ダメじゃないけど。今日、雨だぞ?」
「うん。知ってるけど、見れたら嬉しいなぁ、って」
雪姫がまるでおねだりするように、俺を見るかから。
雪姫に頼まれたら――そもそも断るという選択肢が俺にはないのに、これはちょっとズルい。
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そろそろ時間、か。
俺はいそいそと準備を始める。それを白猫は、呆れたと言わんばかりに、尻尾をパタパタと振った。
――外の天気を見て、言ってるのか?
そう言われた気がして。
それは俺だって、分かっているけど。雪姫が楽しみにしている姿を見たら、断る理由はなかった。家族にもしっかり許可をもらっているという徹底ぶりだ。
ルルは欠伸をする。
まぁ、勝手によろしくやってくれ。
ルルが人間の言葉を喋ったら、きっとそう言うかもしれない。
「雪姫とは、そういう関係じゃないからな」
「おあー」
はいはい、雪姫嬢によろしく。それと帰ったら、煮干しを頼むな。
ルルはおざなりに尻尾を振って。その後は静かに寝息をたて始めた。雨音が眠りを誘ったらしい。
「本当にお前って、自由だよな」
負け惜しみのように呟くが、相棒はもうすでに夢の中で。俺の話なんかとうに聞いていなかった。
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結局、雨なのに雪姫は妙に上機嫌で。
「雪姫?」
「今日は冬君と2回リハビリできた。ちょっと特別って感じがするから」
満面の笑顔を見せる。
空を見上げても、雨雲に厚く覆われていて。肉眼でも雲の厚さがイヤでも分かる。
俺は傘をさしながら、雪姫が濡れないように必死で。
二人で傘をさしていたら、しっかり手を繋ぐことはできない。それが雪姫の言い分だった。
「だって発作がおきたら怖いから」
そう言われたら、俺は何も言えない。俺は傘をさしながら雪姫が濡れないようにするのに必死で。でも雪姫は俺が濡れないように、距離を詰めようとするから。結果、いつもより距離が近くて、妙にドキドキすしてしまう。
最近、雪姫がわざとやっているんじゃないかって思ってしまう。でも、雪姫が嬉しそうに笑うから――結局、何も言えなくて。
距離感を上手くとれない。きっと、そういうことなんだろう。でも、これを他の男子にやるなよ、って思ってしまう。
「誰にでもはやらないよ? 冬君だから、だよ」
「あ、うん」
やはり考えていることは伝わってしまうらしい。
と。
雨音が、弱まって。
思わず、俺は空を見上げた。雨が少しでも、一瞬でも止んで、月を見せてくれないだろうか?
こうやって、雪姫が勇気を出して、歩みだしているんだから。
刹那、ほんの一瞬で良いから。
思わず、祈ってしまう。
(ま、そんあ都合の良い話なんて、無いよな――)
と思っていると、雪姫が俺の腕をゆすった。
「冬君、冬君!」
珍しく、雪姫が興奮した声で。
見上げると。
雲が動いて。月が、まるで自分達に接近するかのようで。
スーパームーン。そして皆既月食が重なった特別な日――。
月とこの星が一番距離が近い日。そして月が地球と一直線に並び影が覆われる、そんなただの現象。ただ事象でしか無いのに。
まるでこの瞬間、この時間を俺たちのために用意してもらったかのような。そんな錯覚すら憶えて。
紅い月が、俺たちを照らす。
それは本当に一瞬で。
雨がまた落ちる。
月は、あっという間に雲の中に隠れてしまった。
「見れた……」
絶対、無理だと思っていたのに。
「スゴイ、冬君! 絶対無理って思っていたのに! ありがとう、冬君!」
「へ?」
「だって冬君と一緒だから、見られたと思ってるよ?」
ニコニコ笑って、そう言う。いや、むしろそれは俺のセリフで。
雪姫と一緒だから見られた。本当にそう思う。
「次に見られるのは、12年後か……」
その時、雪姫が誰か他の人と一緒に見るんだろうか。一抹の寂しさをどうしても感じてしまう。
このリハビリが終わってしまったら。それをつい考えてしまって。それが意味のない想像だと分かっているのに――。
「12年後も絶対一緒に見たいね、冬君」
雪姫は、迷いなくそう言ってくれて。俺は思わずポカンとして、間抜けな表情を浮かべていたと思う。そして、つい俺も笑みが溢れていた。
先も未来も将来も。まだ決まっていない明日なんか、どうでも良くて。
もしもリハビリが終わったとしても。
そうしたら、もっと違うことをたくさん二人で楽しんだら良い。それだけのことで。
自分が雪姫に抱く感情の意味が分からず、混乱してしまうけど。
雪姫は俺にとって大切な人。その事実は変わらないから。今はそれだけで良いんじゃないか。そう思う。
「冬君ってお月様みたいだね」
唐突に、雪姫が言う。
「え?」
「ずっと寄り添ってくれて。影に隠れても、裏側に隠れても。必ず、傍にいてくれて。必要な時に私を照らしてくれているもの」
「それは過大評価過ぎじゃないか、って思うけれど?」
苦笑しながらも、悪い気はしない。それも良いなって思う。誰にもはできない。みんなを照らす太陽の光にはとてもなれない。ただ雪姫だけを照らす、そんな月光なら。それなら有りかもしれない。
雨に濡れながら。
肩を濡らしながら。
つないだ手の温もりは、やけに暖かくて。
「私も冬君を照らしてあげること、できるかな?」
「むしろ、いつも照らしてもらってるよ」
そう俺が言うと、心底嬉しそうに雪姫が微笑んで。そして、俺に体を預けるように距離を縮めようとして。
月に魔法をかけらたように。いつも以上に距離が近くて。
ほんの少しだけ、素直な気持ちを晒しても良いかな、って思う。だって、これは月に魔法をかけられたせいだから。
「この先も、雪姫を照らすのは俺の役目だからね 」
「うん。私もしっかりと冬君を照らすから」
雨音に抱かれながら。あと少しだけ、もう少しだけ――。
今日はやけに自分の気持ちに素直で。今だけは気持ちに抗うことを、少しだけ止めて。
あともう少しだけ、雪姫とこうしていたかった。
これも全部、月に魔法をかけられたせいだから――。
2021.5.26 スーパームーンに合わせて書いてみました。雨が降っていようが、スーパームーンだろうが、ブレないバカップル事情(笑)
2021.5.28
ご指摘を受けて微修正。勢いで書き、下調べが足りず(^^;;
ありがとうございました! でもまた書ける時はしっかり書くスタイルでがんばります!




