137 君がいるから呼吸ができる
「何を勝手なことを! どうして学生がココにいる?!」
芦原議員が喚くが、滑稽でしかない。だって後ろには、アップダウンサポーターズがいる。そう思うと、こそばゆいが、頼もしいって思う。
――上にゃんと下河の恋路を徹底的に応援する。それが私たち!
――アップダウンサポーターズ
(……)
世の中には知らないままでいた方が良いこともあるんだと、そう思った瞬間だった。正直、COLORS時代のファンクラブよりもこそばゆい。それでも、今までのことを思い出しながら、みんなに助けてもらっていたって実感が――。
『アップダウンサポーターズ!』
未だに、耳の奥底で、みんなの声が反響する。
うん、これは恥ずかしさしかないよね。この会場の8割が、サポーターズ。言ってみれば、クラスメート、町内会の有志、クソガキ団をはじめ、空君や天音さんにまで見守られていたと知り、耳朶の先まで火照るのを自覚す――。
「つまみだせぇぇぇっ!」
芦原が吠えると同時だった。舞台袖から、そして体育館内四方に控えていた黒服達が飛び出してくる。空気が一気に緊張する。この公衆の面前で、醜態を晒すほど議員は追い込んだことになる。
俺は雪姫の手を優しく振りほどいて護身用スティックを取り出そうと――その指が、振りほどけない。むしろ、さらに絡めるように、雪姫が俺の指に力をこめる。
「……ゆ、雪姫?」
「離さないよ?」
「いや、雪姫さん? そんなことを言っている場合じゃ――」
「大丈夫、私が冬君を守るから」
「それは、むしろ俺の台詞で――」
「おちょくっているのか?!」
「「「「「この状況でイチャつくな!?」」」」」
芦原の激昂と、サポーターズの容赦ない言葉が同時に巻き上がる。あれ? アップダウンサポーターズって、俺たちを応援してくれていたんじゃないの?
「この状況で説明会なんかできるかっ! 部外者をつまみだせっ!」
その声に応じるように、黒服達が一歩前に出る。
一触即発の空気。
何がなんでも雪姫は守る。そう唾を飲みこだ瞬間だった。
「「ミュージックスタート!」」
明らかに聞き覚えのある、煽るような声。スポットライトを浴びる、二人。そして耳馴染みのある曲。そりゃ、そうだ。COLORS初期の楽曲「LIKE MUSIC」俺が作詞曲だから、印象深いのも当然で――じゃなくて!
(……芥川さん、猫田さん……? 何やってるの?)
文芸部のトラブル――いやムードメーカー、芥川姫夏さんと猫田クララさんだった。
「ムサいおっちゃんの時間はもうお終い! ココからは私たちの時間だよ!」
「Don't talk because your breath smells. It's a promise to a beautiful girl, right?(息が臭いから喋らないでね。美少女との約束だよ?)」
芥川さんもひどいが、猫田さんはその上をいく。翻訳した内容は、心のうちに収めることにした。
「それじゃ、張り切っていきましょ〜!」
「Let*s Dance‼︎」
芥川さん、猫田さんは状況がわかっているんだろうか。今も黒服達がにじり寄り――。
「冬君、他の子を見過ぎっ」
「痛いっ、痛っ、痛い!」
雪姫に手の甲をつねられる。確かに見ていたが、そんな目で見ていないし。そもそも、この状況じゃイヤでも視線を向けちゃうし。見るなって言う方が無理難題だから。そんなことを思い巡らしているうちに、黒服達が手を振り上げ――《《踊り出した》》。
(……何だって?)
音楽に合わせて、黒服達全員が踊り出したのだ。それを見て、会場内も――ステージ上の弥生先生も校長先生まで踊り出すのだ。
「……なんなの、これ……」
「……なんなんだ、これ……」
呆然と目の前の光景を見やる俺と芦原の声が重なったけれど。別に意気投合したワケじゃないからね?
見れば雪姫は、見よう見まねで、片手だけでダンスをしようとしている。人を見ながらだから、どうしてもテンポが遅れてしまうのが可愛いけれど――いや、そうじゃなくて!
「さぁ、我らがサポーターズダンス第3弾、踊ってみた動画ランキング1位、現在100万PVを達成したんですよ! 校長先生がセンターというのがウケたみたいですね」
「Exactly❤」
「いやぁ、黄島さんのダンス指導が鬼すぎて、寿命が縮むかと思ったわい」
「それ、間もなくご臨終?」
「違いない」
三人、楽しそうに笑っているが。色々、情報過多で俺は頭が追いつかない。
「いや、それより……なんで?」
芦原が呻くのを見て、ふふっと、芥川さんが笑んだ。
「黒服さんのことですか? それじゃ音無先輩、解説をお願いします!」
ぽいっとマイクを放り投げる。キャッチしたのは音無先輩だった。
「音無財閥の……? いや、だが……すでに飼い慣らしたと、総司が……」
「改めてご挨拶させていただきますね。音無家の長女、雪です。以後、お見知りおき……はしなくても良いですよね? ご質問に対してですが、父は権力には頼らず、自分の力で解決するようにと常々仰せつかっていました。だから、音無の名前は今日を除いて、行使したことがありません。それがこのざま。下河さんにも大変ご迷惑をおかけしたと、深く反省していますけどね」
音無先輩は、深々と頭を下げた。俺の隣で、雪姫は首を横に振る。それが見えたのか、音無先輩は俺達に向けてふんわりと微笑んでみせる。
「それと、黒服さんですが。当家で雇用させていただきました」
「は?」
「制服は引き続きブラックですが、労働環境がホワイトだと、皆さん喜ばれてましたよ?」
そう言いながら、隣の瑛真先輩にマイクを渡す。
「えーと本日、ご来場の新聞社の方々。色々とご質問があると思いますが、もうしばしお待ちくださいね」
俺は目を丸くする。保護者対象と言いながら、ジャーナリストまで紛れ込んでいたの? 絶対に逃がさないという瑛真先輩の意志を感じる。そんな俺の心の声を察知したのか、瑛真先輩はにんまりと笑む。
「生徒会執行部――音無ちゃんから委託を受けて、文芸部は広報を担っているからね。ニュースリリースは基本でしょ?」
ニッと笑んで――マイクを放り投げた。
くるくると回転して。それを黄島さんが掴む。
さらに放り投げる。
放物線を描いて。軽やかに蒼司が掴んた。
そして、大地さんへ。タコさんが――あ、落とした。そしてマスターから、大國へ。そして空君へ。無造作に放り投げて、さらにクルクルと回る。そして――雪姫の手に、マイクがおさまった。
ぷつん。
マイクの電源が入る。陰で音響を操作しているのは光だ。見れば、舞台袖から腕だけ突き上げる姿が見えた。
壇上の芦原議員。
舞台下の雪姫、そして俺。そして、その後ろにアップダウンサポーターズ達が控えている。ようやく俺たちは対峙することができたんだ。
「私、芦原さんにちゃんとお話したくて、ここまで来ました。少しだけ、よろしいですか?」
マイク越し、反響する。
声は穏やか。いつもの雪姫だった。
敵愾心や反発する感情はまるでない。
呼吸も正常。平静通り。
ただ、指が絡む。
緊張を隠せないのか、汗ばんで。だから、俺も少しだけ力をこめて。
もっと深く繋がるように絡める。
深呼吸。
マイク越し、深く息を吐く。そんなノイズが音が聞こえたかと思えば――雪姫は意を決したように言葉を紡ぎ始めた。
■■■
「正直、どうでも良いって思っています」
「は?」
狼狽する。毒気を抜かれたというのは、こういうことを言うのだろうか。
「どんな人なんだろうって、ずっと思っていました。人に指示を出すけれど、自分では何も言いに来ない。聞けば人任せ。ようやく会えたと思ったら、ただのおじいちゃんじゃないですか。こんな人がお父さんって、生徒会長さんが純粋に可哀想って単純に思いました」
「小娘が、ほざけ――」
芦原のマイク、その電源をオフ。相変わらず、光はその仕事っぷりが優秀で。絶妙すぎるタイミングだった。
雪姫は気にもとめず、まっすぐ前を向く。
「だから、誰かに恨みごとをとか、そんなこと、言うつもりはありません。ただ、これだけは言わせてください」
くるっと、雪姫は振り返る。手を引かれ、俺も雪姫に倣った。当たり前だけれど、目の前にサポーターズのみんなの熱い視線が注がれている。
「お父さん、お母さん。今までずっと待っていてくれてありがとう。無理強いせずに待ってれていたことが、本当に心強かったの」
「雪姫……?」
春香さんが、呆然と俺たちを見る。そして、大地さんは言葉なく、ポカンと口を開けたままで。
「空、ありがとう。ずっと、空は私の味方でいてくれたよね……もう、すぐ泣かないの」
「泣いてない!」
空君はゴシゴシと腕で、目元を拭うのが見えた。本当に空君は感激屋さんだ。隣で天音さんが、ハンカチを差し出すのが見えて、すっと俺は視線を逸らした。
「弥生先生、一番最初に行動してくれて。ずっと心配してくれていましたよね? 本当にありがとうございました」
ペコリと、やっぱり雪姫は頭を下げる。
「でも、冬君を誘惑しないでくださいね?」
「されてないよ?」
「してないからね! 各新聞社の人がいる前で、そんなこと言わないで?!」
俺と弥生先生の反応を見て、クスリと笑みを溢す。そういう所、やっぱりクソガキ団の雪ん子だって思う。
「それから、彩ちゃん、瑛真先輩、海崎君。ずっと私のことを考えてくれていたの、伝わったから。本当にありがとう」
あぁ。
あれは、黄島さん……泣いてるな。舞台袖にいる光には、あえて言及しない。だって、ずっと光が悩んでいたことを俺は知っているから。
「……あ、あのゆーちゃん? 俺もいるんだけれど……?」
大國の声。やっぱりクスリと笑んで無視する雪姫は良い性格を――いや、強くなったんだと思う。
「もちろん、大國君も、ね」
雪姫が笑む。本当に強くなった、そう思う。
全部、真っ正面から一人で受け止めない。誰かに頼ることを、雪姫は学んだんだ。それを証拠に、みんなと相談するし、一人で抱え込まない。むしろ、抱え込みすぎは俺の方だって思う。
「苦しいこと、辛いこともありました。正直、どうして私が? って思うことも。あの時のことを笑って許すことも、なかったことにもできないけれど――」
しぃんと静まり返る。
「傷ついた代わりに、たくさんの幸せを冬君からもらいました。冬君は、一緒に歩もうって言ってくれたんです。冬君がいないと外にも出られない私に『それなら一緒に出よう』って言ってくれました。私の隣は冬君が先約だって。私のことが一番って。弱い私が嫌いって弱音をこぼしたら……『弱さを見せてくれるぐらい、信頼してくれたってコトでしょ?』って。あげたら切りがありません。冬君の言葉も想い出も、全部私の宝物なんです」
「雪姫……?」
雪姫が、俺の手を離す。両手でマイクを持つ。雪姫の呼吸が浅くなるのを感じる。肩で息をするのが見えた。
「お、おかしいでしょ? 冬君の温度を感じなくなっただけで……こ、こんなに息が上手くできないの――」
俺が手をのばす。
でも、それを拒否するかのように、雪姫は両手でマイクを持ち、立ち続けた。
「あの時は、冬君から言ってもらったから。今度は、私から言うね?」
「……雪姫?」
「大好きです、冬君。貴方がいるから私は呼吸ができる。足枷になるような、重い女かもしれないけれど。好きなの。貴方と一緒にこれからも歩みたいの。冬君の全部、私が独占したい。これからの学校生活、冬君と一緒に過ごしたい。私の願いはそれ、だけだか、ら――」
ポロンとマイクが落ちる。
雑音が鳴り響くが、構ってられない。雪姫の呼吸が限界なのは、イヤでも分かる。どれだけ一緒にいたと思っているんだ。無理をし過ぎだから。
芦原も、他の奴らもどうでも良くて――。
俺は全力で、雪姫に駆けよる。
左腕を伸ばして。
そして、過呼吸になった雪姫を抱き寄せる。
体が小刻みに痙攣して、唇は紫色で。
誰が見ていても良い。
俺は、彼女の唇を啄む。
息を送る。ただ、それだけを思った。
足枷だなんて、思ったこと無い。むしろ、雪姫に何度も救われたのは俺だから。
(まいったね、うちのお姫様には)
正直、芦原なんてどうでも良かったんだ、雪姫は。
みんなに、今の自分を伝えたい。
学校に行きたい。
そして俺に気持ちを――。
(バカだ、君は本当にバカだ)
――これは、私にとっての区切りなの。
そう会場に着く前、雪姫はにかんで俺に笑った。
過呼吸になってまで、決行することじゃない。まるで二度目の告白。しかも、まさかの公開告白。
日頃、好きという言葉を伝え合っていったけれど。でも、それじゃ足りないと雪姫は言いた気で。
雪姫は、こんなに想っているから任せてって。母さんやCOLORSのメンバーに伝えたかったんだと思う。
――冬君は自覚が足りないと思うの。私、こんなに冬君のことが大好きなんだよ?
そうだね。
本当にそうだ。
でも自覚が足りないのは、雪姫だってそうだから。
COLORSを脱退して、もう一人で良いと思っていたのに。諦めていたのに。世界が、こんなにも賑やかだって知らなかった。初めて、息ができたって思った。それもこれも、全部――雪姫のおかげだから。
真冬でも、上川小春の息子でもなくて。
上川冬希として、君は最初から俺を見てくれていたから。
(ねぇ、雪姫?)
足りないようだったら、何度だって言うから。
俺ね――。君がいるから呼吸ができたんだよ?
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「芦原議員、安芸新聞社です。今回の件について、議員からご説明をお願いします!」
「毎夕新聞です。今回の説明回のなかで、かなり暴力的なご指示があったようにみられますが。議員、そこのところは如何ですか?」
「ニュース・kakuyomuです。今回の件、学校での集団いじめを議員と教育委員会がもみ消すという解釈もできでしまいますが、実際のところは?」
「町内会、広報部です。上川君と下河君のキスシーンを一面で、回覧板回しますね」
「「「「「是非!!」」」」」
遠くで聞こえる雑音が耳障りで。
雪姫の髪を撫でて。
それから――。
雪姫に、言葉ごと唇を奪われた。




