118 幸せな時間。そして閉められたカーテン。
「「「わかったか、上川?」」」
「はい……」
まぁ、そう言われたら頷くしかない。目の前でニコニコ笑っている弥生先生と保健室の朝倉先生が、腹立たしい。志乃さんは、明らかに興味本位でしょう?
「本人も反省しているようですし。下河さんか諭されたみたいですいし。私からも、しっかりと伝えますので」
弥生先生にそう言われること、そのものが腹立たしい。(2回目)
「分かりました。もともと、上川は真面目な生徒ですからね。ただ、あのテンションに我々も戸惑っただけですので」
「それからな、上川」
「……はい?」
上杉先生、武田先生、毛利先生の目力が強い。いや、先生方、なんで目を潤ませているの?
「「「上川、下河って良い子だな!」」」
「は、い……そうですね……」
雪姫が良い子――優しい子だっていうのはわかっている。でも、おっさん三人に迫られたら、こっちがドン引きである。
「上川、聞いてくれ!」
「は、はい」
さっきから聞いているってば。
「下河はさ『私のために時間を作ってくれて、ありがとうございます』って言ってくれたんだよ」
「僕には『このテストの後、分からなかったらところを先生に聞いても良いですか?』って」
「俺は『先生の時間を無駄にしないためにも、精一杯頑張ります。冬君にも応援してもらったから――』って、君は下河に冬君って呼ばれているの?」
いいよ、そこは反応しなくても!
「……生徒のこと、分かっていなかったんだぁって改めて思ったよ」
「授業をするの、教師だから当たり前って思っていたけれど。生徒から『ありがとう』って言われるの、こんなに嬉しいって思わなかったんだ」
「「「だからさ、上川――」」」
ずいっと、先生三人が俺に距離をつめてきた。圧が。暑苦しいほど、圧を感じてしまう。
「「「「「ちゃんと下河を幸せに(するんだぞ)(するんだよ)(しんちゃいよ)(するんだよ?)(なってね)」
混声5部合唱。さり気なく、うちの担任と養護教諭が混じっていた。志乃さんには言いたくないが、うざい、うざい。最大級にうざい!
「……あ、あの。雪姫と友達を待たせているから、お昼食べに行っても良いですか?」
「あ、おぅ。悪かったな、呼び止めて。でも、もう廊下は走るなよ?」
「……上川君は一人暮らしだったよね? その肩じゃ、作るのも食べるのも大変でしょ。どうしても、コンビニ弁当か学食になりがちだけど、栄養のバランスもしっかり考えなよ?」
「あ、そこは大丈夫だと思いますよ。真冬く――上川君のお食事は、下河さんが担当だもんね?」
「「「「な、な、な、な――?」」」」
三先生と俺の声がハモる。志乃さん、さり気なく【真冬】って言ってくれるし。今の一時的な同居が問題になったら困るから、ナイショだって前にお願いしたじゃんか!
「し、下河の料理は美味いの……か?」
ゴクリと喉を鳴らしてもあげないぞ、武田先生。
「ま、まさか――」
「どうしたの、上杉先生?」
「上川、下河に『冬君、今日のご馳走はわ・た・し』とか、言わせているんじゃないだろうね?」
「なぁにぃぃぃ?!」
「ブチまわすぞ、上川?!」
なんでだよ、と反論する気力も湧かない。脱力感が半端なかった。
「……それぐらいにしておかないと、先生達が下河さんに嫌われちゃうんじゃないかな?」
「「「え?」」」
弥生先生の今度は三先生の言葉がつまる。
「だって、雪姫ちゃんは、真冬君至上主義だもんね」
志乃さん、もはや隠す気なくなっただろう? さらに脱力感、疲労感が増していくのを感じていると――三先生の顔から、血の気が引いていくのが、見てとれた。
「上川、これは違うんだ。そ、その教師として、やっぱりお前達を心配してだな」
「そう、僕ら下河さん親衛隊としては、 清い交際をお願いしたいじゃないか」
「下河に嫌われたら、ぶちしんどい」
不穏のワードが聞こえてきた気がしたが、とりあえず無視をすることに決め込んで。
一刻も早く、この生徒指導室から立ち去りたかった。
■■■
「はい、冬君。あーんして」
「いや、雪姫。自分で食べられるから――ん、もぐ」
「冬君は、毎食その台詞を言わないと、ダメなの?」
「いや、だってね」
図書室の奥。いつもの司書室で、繰り広げられる光景に、周囲が呆れ半ば。もう半分は、そんな優しい眼差しで。寛容に自分達を受け止めてくれているのが、分かる。口いっぱいに広がる、ハンバーグが、逡巡する感情をぜんぶ攫っていってしまう。
光、黄島さん、大國。それから瑛真先輩、音無先輩という、いつものメンバーだった。
「上川、あんまりデレデレするな。飯がまずくなる」
「それは、大國君がどっかに行けばいいんじゃない?」
「ゆーちゃん、ごめん……」
雪姫の一言で、大國撃沈。いや、なんか、ごめん。本当にごめん、だから大國、そんなに落ち込まないで。
「あのね、雪姫。左手で箸も使えるようになったし――」
「でも、やっぱり右手を使っちゃうでしょ?」
「無意識に使うこともあると思うけれど、それぐらいなら。包帯で固定してるし――」
「ダメ。絶対、安静です」
「そ、それなら、俺も骨折しているワケだし!」
大國、復活。でも、俺からは見えない雪姫の視線に、その表情が凍りつく。
「うん、気をつけて食べたら良いと思うよ?」
にっこり、笑顔。それから、今度は箸でご飯をつまんで、俺の口へと運んで、ん、もぐ。お米も本当に美味しい。俺の研ぎ方と何が違うのか、まるで分からない。でも、本当に美味しいと思ってしまう。
「雪姫ちゃんって、本当に上川君に激甘ですよね」
と音無先輩は、サンドイッチを頬張りながら微笑む。
「周囲への被害が、ひどいけどね」
「でも『あーん』は仲を深めるために、良い手だと思いますね。はい、瑛真ちゃんも、あーん」
「音無ちゃんは、私のお弁当が食べたいだけでしょ?」
「ひどいです、瑛真ちゃん! 私はみんなのお弁当を平等に味見がしたい!」
「おいっ!」
「それは良いですね。みんなで、シェアですね?」
ニコニコ笑って、雪姫は言う。俺はそれを不思議な感覚で見ていた。
つい、この前までは一人で食べていたのに。雪姫と一緒に、食卓を一緒にして――最初は、お菓子だったけれど。
誰かと一緒に食べるのこと。こんなに味がするなんて思わなかった。
今じゃ、昔からクソガキ団の一員だったかのように、みんなの輪に入っている。
時々、大國から剣呑な視線が送られてくるのは、ご愛敬としても。
「冬希には、これあげる」
弁当箱の蓋に光が乗せたのは、チンジャオロース。ほぼ、ピーマンだった。子どもか?
「ひかちゃんは未だにピーマンダメなんだね」
「……う、うるさいなぁ。仕方ないだろ?」
「やっぱり、ハンバーグが一番好きなのも変わってない?」
「そうだね。でも、最近は唐揚げも好きかな。前に冬希と食べた、デリバリーの唐揚げ。あれ美味しかったよね?」
なぜ、俺に話を振る? ほら、黄島さんと雪姫の機嫌が傾くじゃんか。黄島さんは、お弁当の具材をリサーチしているんだから、そこはちゃんと答えてあげてよ。幼なじみだからといって、全て知っているワケじゃないってことだよね。
「そうなんだ。冬君は、お店の唐揚げが好きなんだ。ふーん」
そして微妙に拗ねている雪姫さんだった。人に作ってもらったお弁当を食べながら、店の話題をしたら、それは気分が悪くなるに決まってるじゃんか。そういうトコなんだぞ、光!
「――これは、もっと修行しなくちゃ」
「へ?」
なぜか、雪姫が拳を固める。やる気がみなぎっていた。
「……お店にはかなわないかもだけど、もっと冬君を虜にするお料理、研究しなくちゃ」
気合いを入れる雪姫を見て、思わず苦笑が漏れた。
「ごめん、正直に言うとさ」
俺は雪姫の耳元に囁く。「雪姫のが、一番好きだから」
もちろん、雪姫のことが一番好きだからね。そう、追い打ちをかけるように囁いて。
「え、あ、ふ、冬君――」
「雪姫の作ってくれた唐揚げ、本当に一番好きだから」
何度かお弁当で食べた唐揚げ。あれに勝る逸品はないと思ってしまう。
(それにしても――)
狼狽えている雪姫を見やりながら、思う。
散々、距離を詰めてきたクセに、いざ自分が距離を詰められると、途端に狼狽するから、不思議だって思う。結局、相手には一生懸命になるけれど。自分に与えられる愛情には、どうしても疎くて。免疫がない。そういうところ、本当に似た者同士だと思ってしまう。
「そうだ、帰りにみんなで唐揚げ屋さんに寄ってみようか」
「下校中の買い食いはダメだって――」
良い子の雪姫さんが、そんなことを言う。どうも雪姫の良識は、中学校で止まっている気がした。変なところで、真面目なのだ。
「特に校則では定めてませんし、みんなしていることですよ。この前、瑛真ちゃんは、激辛ハバネロクレープを購入したんですけど。唇がたらこさんになって、それはそれは可愛かったですけどね」
「今、その情報提供いらないよね?! ちょ、ちょっと、音無ちゃん! みんなに写真、見せるなし――」
司書室内は、それは賑やかで。思わず、笑みが零れると、また箸が差し出された。俺好みの甘さの厚焼き卵が、口の中に広がっていく。
「……みんなと一緒にいられるのも嬉しいけれど、私もちゃんと見てくれなきゃイヤだからね」
「うん」
コクンと頷いて。今日、一番頑張ったのは雪姫なのだ。そんな彼女にどう応えてあげたら良いのだろうと思い巡らす。でも色々、考えてみたけれど、やはり思いつかなくて。
「冬君、あのね」
「え?」
「今から、私は少しワルい子になります」
「は?」
「におい消しも兼ねていますから」
進路指導室での先生達との応酬が長引いたことを――いや、違うか。暗に、弥生先生や志乃さんと一緒にいたことを咎めているのだ。俺が悪かったとも言えるし、どうにもならないとも思うけれど。でも、雪姫としては、キモチが不消化らしい。
「それに、一石二鳥かなぁ、って」
「へ?」
言っている意味が分からず、首を傾げると、唇の端に――雪姫の唇が一瞬触れる。みんなは、ワイワイ言い合っていて、まるで気付いていないけれど。
「ご飯粒、ついていたからね」
ニッコリ笑って、頬を朱色に染めながらそう言う。
これは確かにワル子だ。ワルい子達だ。俺は、体の芯まで熱くなりながら、雪姫の隣に肩を寄せる。授業が始まっても、きっと雪姫しか考えられないくらい、思考が雪姫で満たされた。
■■■
俺の席から、北校舎の図書室が見える。当然、雪姫が司書室でテストを受けているので、目をこらしても、雪姫の姿が見えるワケがないのだけれど。
「はい、上川君。海崎君が読んでくれた、その続きを読んでもらえるかな?」
弥生先生は、俺が授業に集中できていないのお見通しと言わんばかりに、ご指名してくれる。
「This kind of certainty comes but just once in a lifetime――」
パンパンと、弥生先生が手を叩いた。
「はい、上川君。ありがとう。でも、それ英語の教科書だからね。今は私の授業。現国だから。教科書、95ページから、もう一回読んでもらっても――」
弥生先生の言葉が、途中から頭に入らなかった。
視界の向こう側。
図書室の窓――カーテンが勢いよく閉められたのが見えて。
雪姫が閉めたんだろうか?
え? でも?
――寝る時、常夜灯はつけても良い? 真っ暗はやっぱり怖くて。
そう言いながら、狭いベッド。自然と抱きしめあって、昨日は寝た。
雪姫が俺の肩に触れないように、気にかけてくれることを感じながら。
――真っ暗はやっぱり怖くて。
何度も、雪姫のその声が、脳裏に反響する。でも、動けない自分がいる。
「先生!」
声を上げたのは光だった。
視線の向こう側の変化に弥生先生も気付いたようだった。目を大きく見開く。
「冬希、お腹が痛いみたいで。朝から調子悪そうだったから、保健室につれていきますね」
「ひかちゃん、私も行くよ」
「うん。彩音、ありがとう」
「先生、俺も――生理みたいで」
大國、お前は何を言ってるんだ? 教室に笑いが渦巻く。落ち着けって。いや、落ち着くのは俺だ。今は、ココで呆けている場合じゃない。気持ちを切り替えなくちゃ――。
「行くよ、冬希」
「ごめん、みんな」
「バカだな。そこは『ありがとう』でしょ」
「後悔は、もうしたくないからね。何もなかったら、一緒に怒られてね、上にゃん?」
「そうなったら、俺が一番恥ずかしいヤツじゃない?」
「後でナプキンあげるね、Kゴリ」
「うっせーよ!」
そう言いながら、廊下を全速力で走る。
今度は、校則を考える余裕なんか、まるでなくて。
風を切る。
全力で、全速力で走りぬける。
階段を駆け下りて。ターンして。それから、北校舎の階段をまた駆け上がって――。
(雪姫――)
心臓が早鐘のように打つ。でも、お構いなしに俺達は、全速力で校舎を走り抜けたのだった。
本文中の英文は
This kind of certainty comes but just once in a lifetime.
こんなに確かな愛には、一生に一度しか出会えません。
語学をもっと身近に「ECCフォリラン!」TOPKNOW(知る)英語で告白するときに使えるフレーズや例文を紹介!
より引用しました。
https://foreignlang.ecc.co.jp/know/k00068d/




