99 大國君と海崎君と上川君……と?
「ごめん、待たせた」
上川が駆けてきたのは、光が電話をしてから40分も経過してからのことだった。
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言葉にしないけど、遅いって思ってしまう。腹いせかワザととしか考えられない。本当に良い性格をしてやがる、と悪態をつきたくなるのをぐっとこらえた。
と、上川が俺の顔を見て首を傾げた。自分でも分かる。きっと、上川から見てもヒドい顔にななっている。
と上川がショルダーバッグから、器用に左手で取り出したのは、ハンドタオルだった。
「ねぇ、光?」
「ん?」
「この近くで、水はある?」
「それなら、神社に手水舎があるよ。あそこは井戸水から引いているから。絞ってきたら良い?」
「この手だからね。素直にお願いをするよ」
そう言うや、俺の隣りに座ってスマートフォンを弄りだす。LINKを送信しているようだった。覗くのはあまりに野暮と思ってしまうが【yuki】というアカウント名がイヤでも飛び込んできて、胸が苦しくなる。
と、光が戻ってきた。濡れたハンドタオルを俺に渡してくる。
「は?」
「話の前に、目を冷やして。いくらかマシになると思うから」
「い、いらねぇよ!」
ついムキになってしまう。
「でも流石に、再三、高校生同士がケンカしたって言われるのは、ちょっとマズいでしょ?」
上川の物言いに、目が点になる。
「俺の次に、光とケンカしたってなったら、流石に学校も見逃してくれないんじゃない? ちょっと、冷やして。それから話を聞くから、さ」
そう言われたら、反論すらできない。俺は素直にハンドタオルを受け取って――。
「それじゃ、ちゃんと冷やせないでしょ?」
ふんわり、アイツが微笑む。疑問符を以下ベル余裕もなかった。体がぐらりと揺れて。俺は寝かされる。――上川の膝を枕に。
「お、お前?! な、な、何をして――」
「ちゃんと冷やさないと、腫れがひかないでしょ?」
「骨折しているヤツが何を言ってやがる!」
「それは大國もでしょ?」
ああ言えばこう言う上川は、何を言っても聞きやしない。
「あらら」
光、タオルで見えないけれど、分かるから。そこでニヤつくな!
「下河が、ヤキモチ妬かなければ良いけどね」
言っている意味が分からないんだけど?
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「だいたい……なんで、そんなに遅くなるんだよ?」
気まずくなった俺は、やっぱり八つ当たりに近い態度で、声を荒げてしまう。
「あぁ、いや。えっとね……これ、言わなくちゃダメ?」
途端に気まずそうに、上川の目が宙を泳ぐ。光はお見通しと言いた気に、ニヤニヤしながら頷いている。まったく、意味がわかんねぇ。こっちは、自業自得とは言え辱めを受けたのだ。これぐらいの雪辱は、きっと許される。
「えっと、まず雪姫を説得するのに時間がかかってしまったんだよね」
「は?」
悔しいけれど、ゆーちゃんと上川が特別な関係だっていうのことは分かる。分かってしまったんだ。でも、説得の意味が分からない。ゆーちゃんは、自分の想いを押しつけたりする子じゃない。
――圭吾君がそうしたいのなら、そうすれば良いんじゃない?
そう淡白に言い捨てて。でも、本当に困っていたら、躊躇なく手を差し伸べようとしてしてくれる。ゆーちゃんは、そんな子だった。
「まぁ、でも下河はそうだろうね」
「え?」
光は納得したように頷くから、つい困惑の声を漏らしてしまう。
「ん。それから……やっと納得してもらって。一応、5分おきにLINKするって約束が、一応落とし所というか……ごめん、ちょっとLINKするね」
そう断りを入れてから、スマートフォンを操作、フリックしてタップをする。え……っと? コレはいったい、誰の話なんだ? 思考が全く追いつかない。
「下河、こじれてるねぇ」
クスクス光は笑う。上川が送信したのを見計らってから
「ねぇ、冬希。これはスケベ根性なんだけどさ。下河とどんな会話してるのか、ちょっとだけ見せてよ?」
「へ?」
上川が目を点にさせる。
「いや……そりゃ、見られておかしなことは何もないけど……ないけどさ……」
「ほんのちょっとだけ、ね。圭吾も見たいでしょ」
「勝手に見てろ! 誰が見るかよ!」
そう言いながら、どうしても視線は、上川のスマートフォンを見てしまう。
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【16:17】
fuyu:今、大國と光といるからね。
yuki:圭吾君に何かされてない? 大丈夫?
fuyu:大袈裟すぎるよ。大丈夫だよ。
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【16:14】
fuyu:もうちょっとで、神社につくからね。
yuki:冬君、肩は 大丈夫?
fuyu:うん。動かさなければ、ね。それに熱も下がったし。
yuki:それは調子が良いワケじゃなくて、解熱剤の影響だからね! 本当はそんな状態の人、外に出ちゃダメなんだから!
fuyu:ムリしないようにするよ
yuki:もう今の時点でムリしている自覚ないよね?
fuyu:えっと……帰り、コンビニでプリン買ってくるからさ
yuki:寄り道しないで、まっすぐに帰るの!
:
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スクロール。スクロール。フリック。そしてスクロール。
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【16:02】
yuki:やっぱり冬君は、海崎君のお願いを優先するんだね。ふーんだ。
fuyu:だから、そうじゃなくてさ。出る前にしっかり、お話したじゃんか。
yuki:(イジケタ猫のスタンプ)
fuyu:このスタンプ、可愛いね。
yuki:(グレている猫のスタンプ)
fuyu:そうやって、不満な時にスタンプ攻撃してくるよね。そういうトコも可愛いって思うけどさ。
yuki:可愛くないもん。そんなこと言っても、誤魔化されないから。
fuyu:ごまかしてないよ? だって、雪姫のことだから。なおさら、うやむやにしたくないの。
yuki:どういうこと?
fuyu:大事な幼馴染でしょう? こんなことで拗れて欲しくないよ。
yuki:冬君、こんなことなんかじゃないよ? 私にとって、冬君が最優先だから。冬君を傷つける人は誰だって、絶対に許せないよ。
fuyu:(犬がハグをしてくれるスタンプ)
fuyu:(犬が寄り添ってくれるスタンプ)
fuyu:(犬がキスをするスタンプ)
yuki:冬君だって、そうやってスタンプ攻撃でごまかす!
fuyu:雪姫のことが大切だからだよ。大國は傷つけたかったワケじゃなくて、雪姫を守る方法を一生懸命、考えていたんだって、今なら思うんだよね。
yuki:でも!
fuyu:今見ている以外は、どうでも良いって切り捨てちゃったら、絶対後悔するから。COLORSの時の俺みたいに、ね。
>>音声で送信。
「どうせなら、みんなにちゃんと認めて欲しいって思んだ。だって、俺もクソガキ団なんでしょ?」
だから、と囁く。
「――雪姫が大好きだから、なおさら思うんだ。有耶無耶にしたくないんだよ」
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「ちょ、ちょっと! そこまで見るのは、プライバシーの侵害だって!」
「何言ってるのさ、君らの日常でしょ?」
上川が真っ赤になって必死の抵抗を試みて、光がニヤニヤ笑っている。
そんな、二人のやりとりすら、非現実的に見えてしまう。
この子は誰だ?
下河雪姫。昔から俺がゆーちゃんって、呼んでいた子。みんなの頼れるお姉ちゃんでいつからか、【雪ん子】って呼ばれていた。恋愛なんか興味がなくて。誰よりも曲がったことが大嫌いで。クールで。だから恋愛も、人に甘えるということも全く想像できない子だった。
(だから、俺が振り向かせたい――)
そう思っていたのに。
意地を張っていたのが、バカらしくなる。
思わず体の力が抜けていくのを感じる。
この今、現時点で。上川が自分のことよりも、ゆーちゃんを最優先に考えているのが、流石の俺にも分かって。
――あまりに、お人好しだ。バカなんじゃねぇの?
と、上川が深く息を吸い込む。
「あのさ、大國。改めてなんだけど、俺も言いたいことがあったんだ。色々思うことはあるけれど。結果的に痛い想いをさせてしまったから。もっと上手いやり方もあったと思うのに、本当にご――」
それ以上の言葉を上川に言わせたくなくて、衝動的に言葉が出る。
「ごめん!」
唇を噛む。感情が溢れそうだ。でも、しっかりと伝えないといけない。そう思った。それなのに湧き上がってくる言葉はまったく真逆で――。
「今でもまったく納得できない。俺はお前のことが嫌いだ。勝手に、俺たちの中に割り込んできて。かき乱して。本当に嫌いだ。大嫌いだ!」
「……うん」
コクンと上川は頷く。何でだよ? これだけ、酷いことを言っているのに、何でそうやって受け入れちゃうんだよ。それじゃまるで、どんなヤツだって、無関係な人も放っておけない、ゆーちゃんみたいじゃないか――。
「うん。俺もね、色々考えたの。何で、俺がこんな目にあわなくちゃいけないんだろうなぁ、って。でも、よくよく考えたらさ、努力が足りなかったんだよね」
のんびりとした口調で、言う上川に俺は目を丸くする。
「何を言って……」
「だって、雪姫がみんなにとって大切な【雪ん子】で。言っても俺は部外者なわけでしょ? 知ってもらう努力をしていなかったし、認めてもらう努力もしていなかった、って思うんだよね」
「お前、バカなの?」
そう言い放ちながら、上川の言葉が俺の胸に突き刺さる。何の努力をしていなかったのは俺だ。ゆーちゃんのことを考えていなかったのは俺で。結局、俺はゆーちゃんの気持ちも、置かれた状況も、何もかも知らなかったことに気が付いて――愕然としてしまう。
でも、ようやく絞り出した言葉は、なんてマヌケなんだろう。
「……俺は今でも、ゆーちゃんのことが好きだから。お前なんかに負けないくらい、ずっとゆーちゃんが好きだから!」
「うん、俺は大國に負けないくらい、もっと雪姫が好きだから。そこは誰にも負けないし、雪姫の隣は譲らないよ」
「お前が思う以上に、ゆーちゃんは面倒臭いんだよ。お前なんかに彼氏がつとまるか、ボケ」
「俺は雪姫が面倒って思ったことは一度もないけどね」
「それは、お前がゆーちゃんのことを何も知らないからだよろ」
「大國よりは、今の雪姫を知っているからね。どれだけ可愛いか、教えてあげようか?」
「うるせぇ、それにウゼェ」
そう吐き捨てるように言いながら、俺は首を被り振る。唾を飲み込む。そうじゃない、そんなことが言いたいワケじゃないんだ。本能が飲み込もうとする言葉を、かろうじて無理やり吐き出す。
「悪かった――」
ようやく、その一言が言えて、脱力する。たった、これだけのためにどれだけ時間をかけてしまったのか。
「うん。俺もごめん」
「ば、バカ。お前は悪くないんだって。俺が、ただ上川のことを認めたくないって意地を張っていただけだから――」
「うん。だから、大國に認めてもらうように頑張るね」
そう上川が笑った。その表情に、俺は思わず見惚れてしま――違う、あまりのバカ加減に、呆れてしまったんだ。見れば、光が楽しそうに笑ってやがる。
「俺、本当に雪姫のこと好きだから。中途半端な気持ちじゃなくて、本気だから。雪姫がいないと息ができないって思うくらい、自分にとって半身だって思っているから」
「そういうセリフはゆーちゃんのお父さんに言えって」
「パパ?」
「うぜぇ!!」
自分はなんて身勝手なんだと思う。まだ認めたくない気持ちがある一方で、昔からクソガキ団としてふざけあっていたかのような、そんな錯覚を憶えてしまう。
でも、と思う。
(……まだ、肝心なことを話していない)
――病原菌。
確かに俺は、アイツの声を聞いたんだ。
「上川、あの時――」
そう言いかけた、その刹那だった。
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「おあー!」
猫の鳴き声が。それから風が凪いで、影が横切った。
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「冬君!」
躊躇うことなく、上川の胸に飛び込んでいく女の子。
目を疑う。
それは紛れもなくゆーちゃんだった。上川は目を白黒させながら、でも左手でしっかりと彼女を抱きしめる。ゆーちゃんの肩には上川の家でみた白猫が当たり前のように、乗っていた。
――世話が焼ける。
そう言いた気に、猫はゆーちゃんの肩からポンと降りた。切り株の上で体を丸くして、満足そうに尻尾だけをパタンパタンと振る。
「冬君、冬君! ケガしてない? 肩を、あれ以上痛めてないよね? 本当に大丈夫?」
「大丈夫だって」
上川が苦笑を浮かべる。
「……すぐに帰るって言ったじゃん。雪姫こそ、無理しすぎだからね」
そう上川がゆーちゃんの、髪を優しく撫でる。その姿を見て、俺の胸にチクリと痛む。まるで楔を打ち込まれたかのように。
ゆーちゃんの浅い呼吸が、少しずつ落ち着いていく。そんな姿を見れば、見るほどに。
何度も、学校で見た苦悶の表情。促迫する呼吸。でも、結局、あの時も今も俺も何もできなかったの。
今この瞬間、あっという間にゆーちゃんの表情が和らいでいく。それが、何より痛いと思ってしまう。
「これからカチコミだよね。冬君だけに戦わせないよ? 私も一緒だから」
「女子高生がカチコミとか言わないの」
こつんと、拳骨でゆーちゃんの頭を叩く。そんなことしようものなら、冷たい視線で射抜く【雪ん子】の反撃があるものだが――嬉しそうに、頬を緩めるゆーちゃんの表情が、俺には信じられない。
「ゆ……ゆっき、早すぎ。は、早すぎだか……ら」
と、遅れて息を切らせながら駆けてきたのは、黄島彩音だった。
「彩音?」
「ひかちゃん……ごめん、ゆっきを止められなかった……」
と光の前で、肩で息をしながら、俺を見て――それから苦笑を浮かべる。
「……ははっ。なんて顔してんのよ。上にゃん、良い人だもんね。ゆっきに続いて、大國君も溶かされたって感じ?」
「うるせぇから。それからその呼び方気色悪すぎだろ!」
「イキがってるトコは相変わらずだよね、ケイゴリは」
「ゴリって言うなっ!」
黄島の変なネーミングセンスは相変わらずだった。
名前が圭吾。クソガキ団のメンバーのなかで、一番運動神経が良くて――特に木登りがうまかったから。ケイゴリラ。略してケイゴリ。一字しか縮んでないし、何ならイジメかと思えるネーミングセンスだった。
光との落差が、ひどすぎる。
「あのね、雪姫。でも、ちょうど良かった」
と上川がゆーちゃんに囁く。
「これから大事な話をするから、一緒に聞いて欲しいんだ」
コクンとゆーちゃんが頷いて。その瞬間、心底嬉しそうに微笑む。まるで向日葵が咲き乱れるように。
(かなわない――)
そう思ってしまう。
だってゆーちゃんを守りたくて、格好つけて、イキがって。強く見せようとしていたのに。いつかゆーちゃんを守れるくらい、もっと強く強く強く強く、強くなって――。
いつか、ゆーちゃんを自分が笑わせるんだと、強く強く強く強く、そう思っていたのに――。
(もっと強く強く強く強く……)
ぐっと拳を握る。
それなのに、上川は自然とゆーちゃんの笑顔を引き出してしまった。
あんな笑顔、見たこともなくて。その笑顔を見れば見るほどに――胸に楔が打ち込まれていく。
それが。
痛くて。
痛くて。
痛くて。
本当に痛かった。




