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99 大國君と海崎君と上川君……と?



「ごめん、待たせた」

 上川が駆けてきたのは、光が電話をしてから40分も経過してからのことだった。





■■■




 言葉にしないけど、遅いって思ってしまう。腹いせかワザととしか考えられない。本当に良い性格をしてやがる、と悪態をつきたくなるのをぐっとこらえた。


 と、上川が俺の顔を見て首を傾げた。自分でも分かる。きっと、上川から見てもヒドい顔にななっている。

 と上川がショルダーバッグから、器用に左手で取り出したのは、ハンドタオルだった。


「ねぇ、光?」

「ん?」

「この近くで、水はある?」

「それなら、神社に手水舎(てみずや)があるよ。あそこは井戸水から引いているから。絞ってきたら良い?」

「この手だからね。素直にお願いをするよ」


 そう言うや、俺の隣りに座ってスマートフォンを弄りだす。LINKを送信しているようだった。覗くのはあまりに野暮と思ってしまうが【yuki】というアカウント名がイヤでも飛び込んできて、胸が苦しくなる。

 と、光が戻ってきた。濡れたハンドタオルを俺に渡してくる。


「は?」

「話の前に、目を冷やして。いくらかマシになると思うから」

「い、いらねぇよ!」


 ついムキになってしまう。


「でも流石に、再三、高校生同士がケンカしたって言われるのは、ちょっとマズいでしょ?」


 上川の物言いに、目が点になる。


「俺の次に、光とケンカしたってなったら、流石に学校も見逃してくれないんじゃない? ちょっと、冷やして。それから話を聞くから、さ」


 そう言われたら、反論すらできない。俺は素直にハンドタオルを受け取って――。


「それじゃ、ちゃんと冷やせないでしょ?」


 ふんわり、アイツが微笑む。疑問符を以下ベル余裕もなかった。体がぐらりと揺れて。俺は寝かされる。――上川(アイツ)の膝を枕に。


「お、お前?! な、な、何をして――」

「ちゃんと冷やさないと、腫れがひかないでしょ?」

「骨折しているヤツが何を言ってやがる!」

「それは大國もでしょ?」


 ああ言えばこう言う上川は、何を言っても聞きやしない。


「あらら」


 光、タオルで見えないけれど、分かるから。そこでニヤつくな!


「下河が、ヤキモチ妬かなければ良いけどね」

 言っている意味が分からないんだけど?






■■■





「だいたい……なんで、そんなに遅くなるんだよ?」


 気まずくなった俺は、やっぱり八つ当たりに近い態度で、声を荒げてしまう。


「あぁ、いや。えっとね……これ、言わなくちゃダメ?」


 途端に気まずそうに、上川の目が宙を泳ぐ。光はお見通しと言いた気に、ニヤニヤしながら頷いている。まったく、意味がわかんねぇ。こっちは、自業自得とは言え(はずかし)めを受けたのだ。これぐらいの雪辱は、きっと許される。


「えっと、まず雪姫を説得するのに時間がかかってしまったんだよね」

「は?」


 悔しいけれど、ゆーちゃんと上川が特別な関係だっていうのことは分かる。分かってしまったんだ。でも、説得の意味が分からない。ゆーちゃんは、自分の想いを押しつけたりする子じゃない。


 ――圭吾君がそうしたいのなら、そうすれば良いんじゃない?


 そう淡白に言い捨てて。でも、本当に困っていたら、躊躇なく手を差し伸べようとしてしてくれる。ゆーちゃんは、そんな子だった。


「まぁ、でも下河はそうだろうね」

「え?」


 光は納得したように頷くから、つい困惑の声を漏らしてしまう。


「ん。それから……やっと納得してもらって。一応、5分おきにLINKするって約束が、一応落とし所というか……ごめん、ちょっとLINKするね」


 そう断りを入れてから、スマートフォンを操作、フリックしてタップをする。え……っと? コレはいったい、誰の話なんだ? 思考が全く追いつかない。


「下河、こじれてるねぇ」


 クスクス光は笑う。上川が送信したのを見計らってから


「ねぇ、冬希。これはスケベ根性なんだけどさ。下河とどんな会話してるのか、ちょっとだけ見せてよ?」

「へ?」


 上川が目を点にさせる。


「いや……そりゃ、見られておかしなことは何もないけど……ないけどさ……」

「ほんのちょっとだけ、ね。圭吾も見たいでしょ」

「勝手に見てろ! 誰が見るかよ!」


 そう言いながら、どうしても視線は、上川のスマートフォンを見てしまう。





■■■





【16:17】

fuyu:今、大國と光といるからね。

yuki:圭吾君に何かされてない? 大丈夫?

fuyu:大袈裟すぎるよ。大丈夫だよ。



【16:14】

fuyu:もうちょっとで、神社につくからね。

yuki:冬君、肩は 大丈夫?

fuyu:うん。動かさなければ、ね。それに熱も下がったし。

yuki:それは調子が良いワケじゃなくて、解熱剤の影響だからね! 本当はそんな状態の人、外に出ちゃダメなんだから!

fuyu:ムリしないようにするよ

yuki:もう今の時点でムリしている自覚ないよね?

fuyu:えっと……帰り、コンビニでプリン買ってくるからさ

yuki:寄り道しないで、まっすぐに帰るの!


スクロール。スクロール。フリック。そしてスクロール。


【16:02】


yuki:やっぱり冬君は、海崎君のお願いを優先するんだね。ふーんだ。

fuyu:だから、そうじゃなくてさ。出る前にしっかり、お話したじゃんか。


yuki:(イジケタ猫のスタンプ)

fuyu:このスタンプ、可愛いね。

yuki:(グレている猫のスタンプ)

fuyu:そうやって、不満な時にスタンプ攻撃してくるよね。そういうトコも可愛いって思うけどさ。


yuki:可愛くないもん。そんなこと言っても、誤魔化されないから。

fuyu:ごまかしてないよ? だって、雪姫のことだから。なおさら、うやむやにしたくないの。


yuki:どういうこと?

fuyu:大事な幼馴染でしょう? こんなことで拗れて欲しくないよ。


yuki:冬君、こんなことなんかじゃないよ? 私にとって、冬君が最優先だから。冬君を傷つける人は誰だって、絶対に許せないよ。


fuyu:(犬がハグをしてくれるスタンプ)

fuyu:(犬が寄り添ってくれるスタンプ)

fuyu:(犬がキスをするスタンプ)


yuki:冬君だって、そうやってスタンプ攻撃でごまかす!


fuyu:雪姫のことが大切だからだよ。大國は傷つけたかったワケじゃなくて、雪姫を守る方法を一生懸命、考えていたんだって、今なら思うんだよね。

yuki:でも!


fuyu:今見ている以外は、どうでも良いって切り捨てちゃったら、絶対後悔するから。COLORSの時の俺みたいに、ね。


>>音声で送信。


「どうせなら、みんなにちゃんと認めて欲しいって思んだ。だって、俺もクソガキ団なんでしょ?」

 

 だから、と囁く。


「――雪姫が大好きだから、なおさら思うんだ。有耶無耶(うやむや)にしたくないんだよ」






■■■





「ちょ、ちょっと! そこまで見るのは、プライバシーの侵害だって!」

「何言ってるのさ、君らの日常でしょ?」


 上川が真っ赤になって必死の抵抗を試みて、光がニヤニヤ笑っている。

 そんな、二人のやりとりすら、非現実的に見えてしまう。


 この子は誰だ?


 下河雪姫。昔から俺がゆーちゃんって、呼んでいた子。みんなの頼れるお姉ちゃんでいつからか、【雪ん子】って呼ばれていた。恋愛なんか興味がなくて。誰よりも曲がったことが大嫌いで。クールで。だから恋愛も、人に甘えるということも全く想像できない子だった。


(だから、俺が振り向かせたい――)

 そう思っていたのに。


 意地を張っていたのが、バカらしくなる。

 思わず体の力が抜けていくのを感じる。


 この今、現時点で。上川が自分のことよりも、ゆーちゃんを最優先に考えているのが、流石の俺にも分かって。


 ――あまりに、お人好しだ。バカなんじゃねぇの?

 と、上川が深く息を吸い込む。


「あのさ、大國。改めてなんだけど、俺も言いたいことがあったんだ。色々思うことはあるけれど。結果的に痛い想いをさせてしまったから。もっと上手いやり方もあったと思うのに、本当にご――」


 それ以上の言葉を上川に言わせたくなくて、衝動的に言葉が出る。


「ごめん!」


 唇を噛む。感情が溢れそうだ。でも、しっかりと伝えないといけない。そう思った。それなのに湧き上がってくる言葉はまったく真逆で――。


「今でもまったく納得できない。俺はお前のことが嫌いだ。勝手に、俺たちの中に割り込んできて。かき乱して。本当に嫌いだ。大嫌いだ!」

「……うん」


 コクンと上川は頷く。何でだよ? これだけ、酷いことを言っているのに、何でそうやって受け入れちゃうんだよ。それじゃまるで、どんなヤツだって、無関係な人も放っておけない、ゆーちゃんみたいじゃないか――。


「うん。俺もね、色々考えたの。何で、俺がこんな目にあわなくちゃいけないんだろうなぁ、って。でも、よくよく考えたらさ、努力が足りなかったんだよね」


 のんびりとした口調で、言う上川に俺は目を丸くする。


「何を言って……」

「だって、雪姫がみんなにとって大切な【雪ん子】で。言っても俺は部外者なわけでしょ? 知ってもらう努力をしていなかったし、認めてもらう努力もしていなかった、って思うんだよね」

「お前、バカなの?」


 そう言い放ちながら、上川の言葉が俺の胸に突き刺さる。何の努力をしていなかったのは俺だ。ゆーちゃんのことを考えていなかったのは俺で。結局、俺はゆーちゃんの気持ちも、置かれた状況も、何もかも知らなかったことに気が付いて――愕然としてしまう。


 でも、ようやく絞り出した言葉は、なんてマヌケなんだろう。


「……俺は今でも、ゆーちゃんのことが好きだから。お前なんかに負けないくらい、ずっとゆーちゃんが好きだから!」


「うん、俺は大國に負けないくらい、もっと雪姫が好きだから。そこは誰にも負けないし、雪姫の隣は譲らないよ」


「お前が思う以上に、ゆーちゃんは面倒臭いんだよ。お前なんかに彼氏がつとまるか、ボケ」


「俺は雪姫が面倒って思ったことは一度もないけどね」


「それは、お前がゆーちゃんのことを何も知らないからだよろ」


「大國よりは、今の雪姫を知っているからね。どれだけ可愛いか、教えてあげようか?」


「うるせぇ、それにウゼェ」


 そう吐き捨てるように言いながら、俺は首を被り振る。唾を飲み込む。そうじゃない、そんなことが言いたいワケじゃないんだ。本能が飲み込もうとする言葉を、かろうじて無理やり吐き出す。


「悪かった――」


 ようやく、その一言が言えて、脱力する。たった、これだけのためにどれだけ時間をかけてしまったのか。


「うん。俺もごめん」

「ば、バカ。お前は悪くないんだって。俺が、ただ上川のことを認めたくないって意地を張っていただけだから――」


「うん。だから、大國に認めてもらうように頑張るね」


 そう上川が笑った。その表情に、俺は思わず見惚れてしま――違う、あまりのバカ加減に、呆れてしまったんだ。見れば、光が楽しそうに笑ってやがる。


「俺、本当に雪姫のこと好きだから。中途半端な気持ちじゃなくて、本気だから。雪姫がいないと息ができないって思うくらい、自分にとって半身だって思っているから」


「そういうセリフはゆーちゃんのお父さんに言えって」

「パパ?」

「うぜぇ!!」


 自分はなんて身勝手なんだと思う。まだ認めたくない気持ちがある一方で、昔からクソガキ団としてふざけあっていたかのような、そんな錯覚を憶えてしまう。

 でも、と思う。

(……まだ、肝心なことを話していない)


 ――病原菌。

 確かに俺は、アイツの声を聞いたんだ。



「上川、あの時――」

 そう言いかけた、その刹那だった。




■■■




「おあー!」

 猫の鳴き声が。それから風が凪いで、影が横切った。





■■■






「冬君!」


 躊躇うことなく、上川の胸に飛び込んでいく女の子。


 目を疑う。


 それは紛れもなくゆーちゃんだった。上川は目を白黒させながら、でも左手でしっかりと彼女を抱きしめる。ゆーちゃんの肩には上川の家でみた白猫が当たり前のように、乗っていた。


 ――世話が焼ける。


 そう言いた気に、猫はゆーちゃんの肩からポンと降りた。切り株の上で体を丸くして、満足そうに尻尾だけをパタンパタンと振る。


「冬君、冬君! ケガしてない? 肩を、あれ以上痛めてないよね? 本当に大丈夫?」

「大丈夫だって」


 上川が苦笑を浮かべる。


「……すぐに帰るって言ったじゃん。雪姫こそ、無理しすぎだからね」


 そう上川がゆーちゃんの、髪を優しく撫でる。その姿を見て、俺の胸にチクリと痛む。まるで楔を打ち込まれたかのように。


 ゆーちゃんの浅い呼吸が、少しずつ落ち着いていく。そんな姿を見れば、見るほどに。


 何度も、学校で見た苦悶の表情。促迫する呼吸。でも、結局、あの時も今も俺も何もできなかったの。


 今この瞬間、あっという間にゆーちゃんの表情が和らいでいく。それが、何より痛いと思ってしまう。


「これからカチコミだよね。冬君だけに戦わせないよ? 私も一緒だから」

「女子高生がカチコミとか言わないの」


 こつんと、拳骨でゆーちゃんの頭を叩く。そんなことしようものなら、冷たい視線で射抜く【雪ん子】の反撃があるものだが――嬉しそうに、頬を緩めるゆーちゃんの表情が、俺には信じられない。


「ゆ……ゆっき、早すぎ。は、早すぎだか……ら」


 と、遅れて息を切らせながら駆けてきたのは、黄島彩音だった。


「彩音?」

「ひかちゃん……ごめん、ゆっきを止められなかった……」


 と光の前で、肩で息をしながら、俺を見て――それから苦笑を浮かべる。


「……ははっ。なんて顔してんのよ。上にゃん、良い人だもんね。ゆっきに続いて、()()も溶かされたって感じ?」


「うるせぇから。それからその呼び方気色悪すぎだろ!」

「イキがってるトコは相変わらずだよね、ケイゴリは」

「ゴリって言うなっ!」


 黄島の変なネーミングセンスは相変わらずだった。


 名前が圭吾。クソガキ団のメンバーのなかで、一番運動神経が良くて――特に木登りがうまかったから。ケイゴリラ。略してケイゴリ。一字しか縮んでないし、何ならイジメかと思えるネーミングセンスだった。

 光との落差が、ひどすぎる。


「あのね、雪姫。でも、ちょうど良かった」


 と上川がゆーちゃんに囁く。


「これから大事な話をするから、一緒に聞いて欲しいんだ」


 コクンとゆーちゃんが頷いて。その瞬間、心底嬉しそうに微笑む。まるで向日葵が咲き乱れるように。


(かなわない――)

 そう思ってしまう。


 だってゆーちゃんを守りたくて、格好つけて、イキがって。強く見せようとしていたのに。いつかゆーちゃんを守れるくらい、もっと強く強く強く強く、強くなって――。


 いつか、ゆーちゃんを自分が笑わせるんだと、強く強く強く強く、そう思っていたのに――。


(もっと強く強く強く強く……)

ぐっと拳を握る。


 それなのに、上川は自然とゆーちゃんの笑顔を引き出してしまった。

 あんな笑顔、見たこともなくて。その笑顔を見れば見るほどに――胸に楔が打ち込まれていく。




 それが。

 痛くて。

 痛くて。

 痛くて。

 本当に痛かった。

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