魔女の先見
めちゃくちゃ遅くなりました……!
楽しんで頂けたら幸いです……
リンフの頭を片腕で押さえ込みながら、カンザキは目下から向けられる強い睨みを真っ向から受け止める。その碧の双眸には強く反発する意思と激しく訴える怒りがあった。
「……っ、責任ってなんだよ……何の責任だよ!」
テーブルに両の前々腕部をつき、カンザキの膂力に耐えながらもリンフは睨み上げるその眼差しを揺らがすこと無くカンザキの言葉に噛み付いてきた。その目力にカンザキは、この様子だと話すまで引き下がりそうに無いな……、と見越して──すぅ……、と己の氣を収斂させ──感情の温度を下げ──零にした。
そうして冷たい目でリンフを見下ろし──
「お前は知らなくていい」
と、冷えた低い声で言った。
切るように──斬るように。
突き放すように──吐き離すように。
お前に話すつもりは無い、という意志を込めて。
それが伝わったのか、それまで抗っていたリンフの身体から引くように力が抜け、カンザキの右手からリンフの頭が離れた。碧色の目から先程までの激しさは消え、代わりに怯えるような揺らぎを見せて、リンフはそのまま食卓に顔を突っ伏せる。カンザキは食卓から降り、倒れていた椅子を立て直して座った。
突っ伏したまま動かなくなってしまったリンフを少しの間眺めてからカンザキは、何も言わずゆっくりと椅子から立ち上がり、食卓を迂回して焜炉へ向かった。リンフの後ろに回る形でそこへ移動すると、カンザキは既に作り終わっていた目玉焼きと焦げ目をつけた食パンを用意していた皿に盛りつけ、まだ温かさを保っているスープをマグに注いだ。無言のままでそれらを整えると、食卓に二人分の朝食を設えた。いつのまにか猫の姿をしたクロが伏せるリンフの傍らに寄り添っている。
「……先に顔を洗ってこい」
食卓に就きながらカンザキはそう声を掛けるが、リンフは全く反応しない。
「朝飯食ったら実習始めんぞ」
匙の先をスープに沈めながらカンザキはリンフに向けて言う。だが、尚もリンフは頭を抱えるように伏したまま身動ぎ一つしない。
カンザキは小さく一つ溜息を吐いた。
「リンフ。今、お前がするべきことは何だ」
ぴくり、とリンフの肩が動いた。
「アタシは前言を撤回するようなことはしたくないんだが」
その言葉が含む意味を察したようで、リンフが緩慢な動きで卓上から身体を起こす。伏せがちに視線は卓上に向けられたままのその顔には、眉根が寄せられて眉間に皺を作り、目尻はやや下がって影が差して口元は固く結ばれて何かを堪えているようだった。やがて、リンフは黙ったまま立ち上がると洗面所へと向かっていった。水を扱う音が聞こえた後、しばらくしてリンフは戻ってきた。その顔にはまだ少し影が残っていたものの、先程より表情の厳が落ちてよくなっていた。リンフが椅子に着くのを待ってから、カンザキは「いただきます」と言ってからスープに差された匙を手に取った。リンフも同様に食膳に一礼すると、目玉焼きの乗ったトーストを囓り始めた。その様子を窺いながらカンザキは匙で掬ったスープを口に運んだ。
静かな食事。
その食卓の真ん中でクロがごろんと寝転がった。
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その日一日のリンフとの会話は日頃以上に数が少なく、夜の座学を終えて尚も口数は少ないままだった。
就寝の身支度を整えたリンフが自室へ入るのを見送ってから、カンザキは臙脂色の羽織を手に外に出た。
住処の天辺──傾いだ鉄筋コンクリートビルの最上──に上がる。大樹に抱き留められるような格好のコンクリートビル。かなりの傾斜がついているので、屋上と呼ばれていた場所は天を仰がずあらぬ方へ傾き、代わりに天を向いているのは窓が並んだ側面だ。その側面を這うように大樹の枝葉はビルに絡みついていて、そろそろビル全体を覆ってしまいそうである。カンザキは中でも一際複雑に絡み合っている所へ羽織を投げて敷き、その上に身を預けた。いつもならクロにクッションになってもらうのだが、そのクロはリンフにくっついて一緒に部屋へ入ってしまった。
「…………」
カンザキは溜息をつくと同時に目を閉じた。
今朝のことを思い出す。
『地球』がリンフの夢の中で言っていたというあの──取引の言葉。
聞いたカンザキは、それに対してさほど驚きはしなかった。
代わりに心中にあったのは、あぁ、そういう手段を取るのか、という『地球』の出方に対する感嘆だった。
明確な取引……否、恐喝紛いの交渉案──地球上の人間全てを人質にしてカンザキを囲うという案──を用意しているという『地球』。
カンザキがそのことに冷静でいられたのは先んじて──そういう予見──先見があったからだった。
それはこれまでの『地球』の態度……その変化から見て取ることが出来た。
『地球』はカンザキに接触する度、その内にある『好意』を真っ直ぐに伝えてきた。それはもう、口説いくらいで──
カンザキはぼくを救ってくれた。
カンザキはぼくを助けてくれた。
カンザキはぼくを生かしてくれた。
カンザキはぼくを蘇らせてくれた。
だから。
ぼくはカンザキが好きだ。
ぼくはカンザキに惚れた。
ぼくはカンザキを慕うよ。
ぼくはカンザキと居たい。
そういった言葉や態度で示される『地球』の、カンザキに寄せる『好意』は何も含むところの無い純粋なものであることは、声から溢れ出ている気持ちが物語っていたし、面と向かって直接と言われたこともある。「人口が減ったお陰で僕は人間たちの仕打ちから解放された」のだと。
しかし、カンザキにしてみれば、それは──数百年前の魔力の暴走は──多くの人の命を奪ってしまった、謂わば背負うべき『大罪』だ。人口が大幅に減少したことで『地球』が言う人間の仕打ち──エネルギー搾取による衰弱──から免れたのは、結果としてそうなっただけに過ぎない。『地球』の観点とカンザキの観点には明確な違いがあり──好意を露に近づいてこようとする『地球』に対し、カンザキは心中で顔をしかめながら一定の距離を取っていた。
そうした『地球』の、一方的に好意を伝えてくる様子に変化が見え始めたのが──五年前。
カンザキがリンフを拾ってからだった。
あの人間をどうするの? と訊かれ、カンザキは、とりあえず大きくなったら人里に帰すつもりだ、と答えたのだが、リンフが成長していくにつれ、『地球』は「大きくなったらってどのくらい?」「いつになったら人里に帰すの?」と度々訊いてくるようになった。『地球』がカンザキと関わりのある人間に興味を持ったのはこの時が初めてで、『地球』の意外な反応にカンザキは珍しいなと思いつつ、『地球』のそれが、まるで弟ができて構ってもらえないお兄ちゃんのように見えたので、あぁそういうことかと納得して特に違和感を持たなかった。
──だが。
リンフがカンザキと一緒に居たいという意志を明確にした日。
カンザキは『地球』が見せた明らかなおかしさに眉をひそめた。
不機嫌を露わにした『地球』が「あの人間は人里に帰すんじゃなかったの?」とカンザキに詰め寄ってきたのだ。リンフが人里に帰らないことに対しての不服──厭悪──の意をむき出しにした『地球』。これまで見たことの無い『地球』のその剣幕にカンザキは、あぁ、これは違うな、と『地球』に対する印象を改めた。
これは──構って欲しいお兄ちゃんのそれじゃない。
『地球』にあるのはもっと深い──独占欲。
そう察してカンザキは『地球』を宥めるように言葉を選びながら──リンフの気持ちを無視することは出来ないこと、保護したことの責任もあるから全うすると決めたこと──をはっきりと伝えた。これを聞いた『地球』は、更に不機嫌そうに表情を歪めたが、少し考えるように黙ったあとに、それまでの表情を一変させてにこりと笑い、「わかったよ」と言って納得したように頷いてみせた。この時察した『地球』の独占欲と、それまでの不機嫌から一転して笑ったその態度の温度差に、カンザキは訝しみを持った。そして『地球』の不審な様子に、何か言い知れないざわつきを覚えた。
そうしてリンフに『喚起』を行った日。
この日を境に『地球』は、リンフに関してのことには全く触れてこなくなった──というか。
カンザキの元へ来ること、それ自体がなくなった。
あれほどカンザキへ好意の言葉を述べ、リンフのことを訊いてきた『地球』が、手のひらを返すようにぱったりと──全くの沙汰無しになったのだ。
どうしてなのかその理由を知りたかったが──何せ相手は『地球』──向こうから接触することは出来ても、こちらから接触することは出来ず、『地球』の真意は分からず仕舞いだった。
『地球』から一切の接触なく時間は過ぎ──リンフが実践的に『魔法』を学び始めた──一昨日、『地球』は現れた。
その言葉と素振りから歪んだ独占欲が見え──これが極まって至った先は、カンザキを独占するために何かしら仕掛けてくるだろうな、という予見染みた考えがカンザキの中に生まれた。
言い知れぬざわつきが──明確になった。
予見──或いは──先見。
故に、カンザキは『地球』が夢でリンフに明かした腹積もり、その内容を聞いてもさほど驚かなかったのだ。
むしろ、仕掛けてくる確証を得て、カンザキに対する出方の詳細を得て、『地球』の──その真意を得た。
そしてそれは避けられないもので──避けてはならないものである。
「……子離れなり親離れなり、しておかねぇと、だな……」
カンザキは目を開けて、独り言を夜の空気に吐いた。
夜闇に慣れた目に映るのは天に散りばめられた星の光。カンザキは暫くそれらの星を眺めた──星占いでもするように。
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