少年の疑念
楽しんでいただけましたら幸いです……
座学は内容を切りのいいところまで進め、夜中に差し掛かる頃合いでもあったので、リンフはカンザキと一緒に勉強道具を片付け、すぐに寝る支度を整えて自室の寝床に入った。
だがしかし、リンフは悶々としてなかなか寝付けない。
頭の中を占めているのは──カンザキがリンフに『影』の魔法をどうして教えてくれないのかという疑問。
リンフの魔力と相性がいいと分かっている『影』の魔法。
相性がいいなら習得も早いであろうその魔法を、カンザキは──「お前には早い」と言って教えてくれない。
確かにリンフはまだ魔法について習い始めたばかりだ。知識も経験もゼロに近い。
ただ、魔力の相性が良いというだけでは──教えられないのだろうか。
『影』の魔法とは、それほど難しい魔法なのだろうか。
しかし、ただ難しいと云うだけであんなに厳しい態度をとるのだろうか。
あんな過剰な反応。
難しい──それ以前の問題があるのだろうか。
例えば。
『影』の魔法、それ自体が危険な魔法である、とか。
「…………」
教えてくれない理由を思いつく限り考えていると、ふと、こんな疑念が湧いてきた。
カンザキは、己を置いていこうとしているのではないか──と。
自ら考えておいて嫌な疑念だったが、この現状、ありえそうなことだった。
いつ始まるとも分からない二つのコロニー同士の戦争。このままの指導進捗であれば、リンフが一人前に戦力として成る前に対立しているどちらかのコロニーが動き出し、カンザキはリンフを置いて行かざるを得えなくなる。そして、カンザキはそうなることを計算しているのでは──
ぎり、とタオルケットを拳に握り込み、リンフは寝床から身体を起こしてその考えを振り払うように頭をぶんぶんと左右に振る。その様子を見ていたクロ(猫姿)が傍らで、ぴっ? と鳴いた。
(カンザキがそんなことするわけ無い)
(そんな、俺を騙すようなことは絶対にしない)
しない……はずだ。
そう否定するものの、その考えはリンフの脳内から消えてはくれなかった。
否定……しきれない。
何故なら、それは、その方が。
(カンザキにとってはその方が……)
その方が……カンザキにとっては都合がいいからだ。
リンフを大切に思っているカンザキなら当然、考えないはずはないだろう。
どうしたらいいだろうか。
疑念が不安に変わりつつある。
このまま、二つのコロニーが争いを始めるその時まで、このもやもやしたものを抱えたままでいなくてはならないのだろうか。
疑いたくはないけれど疑ってしまう。
カンザキはどうしようとしているのだろうか。
煩悶としながらリンフは、身体を起こしたままベッドの上で握る拳に更に力を入れた。
いっその事、カンザキに訊いてしまおうか。
そんなもやもや解決法が浮かんで、ちらりと部屋のドアを見る。ドアの隙間からは明かりが漏れ入り、この向こうでカンザキはまだ起きていることが窺えた。
リンフは寝床から立ち上がり、ドアへと向かって行きその前に立つ。割と近くにある気配に少し怖じ気づいたものの、ドアの向こうの様子を耳で探る。紙をめくる音がした。どうやらカンザキは本を読んでいるようだ。
(…………)
訊いたところでカンザキは何と思うだろうか。
変なこと考えやがって、と呆れられるだろうか。
そうしてドアの前で逡巡していると。
「──やあ」
急に聞こえてきた知らない男の声。
気軽に挨拶をしたその声に、リンフは驚きつつも息を殺してドアの向こうの気配を探る。
一体誰だ。
「なんだか面白いことをしているね」
楽しそうな声で男は言う。
「……何のことだ?」
特に驚いた様子もなく、カンザキは普通に応じた。
リンフは眉根を寄せる。
男はカンザキの知り合いなのだろうか。
「何って、リンフ君のことさ」
男の口から己の名前が出てきたことにリンフは驚く。
「意地悪してるのかなって思って」
「……意地悪?」
「うん」
頷いてから男は、だって、と何故か嬉しさを滲ませた声で続ける。
「今すぐに教えてもよさそうなものを教えないなんて意地悪でしょ」
男が言った言葉に、リンフはぎくりとする。
『影』の魔法……のことだろうか。
「別に……意地悪してるワケじゃねぇよ。アイツに教えるのはまだ時期尚早ってだけだ」
カンザキはリンフに答えたように、男にそう答えた。
「ふぅん、でも、相性がいいことは確かなんだし、習得の早いものから教えた方がいいんじゃないの? いまの君たちが持ってる時間は、あってないようなものなんだし」
こちらの事情を知っているのか、男はそんなことをいう。
カンザキは何と返すだろうか。リンフはカンザキの答えが気になって傍耳を立てる。そんなリンフの行動に興味を持ったのかクロが猫の姿のまま足下に寄ってきたので、リンフは慌ててクロに向けて口の前に人差し指を立てて見せた。クロが分かったと言う風に尻尾を左右に振るのが夜目にも見えたので、リンフはドアの向こうに向き直った。
しばらくあってから。
「──時間があろうが無かろうが……アタシは慌てて雑に教えるようなことはしたくない」
聞こえてきたカンザキの言葉は、意志の込められたはっきりとした声だった。
だが、男はそんなカンザキの言葉を笑う。
「ふっ、ふふっ、それさぁ……聞きようによってはこう聞こえるよね──“教えるのを出来るだけ遅らせたい”ってさ」
男のセリフにリンフは一瞬、呼吸を忘れた。
まさか。
本当に?
やはり──カンザキはリンフを置いていこうとしているのか。
その為に『影』の魔法を教えない──?
リンフはカンザキの否定する言葉を待ったが、カンザキは何も言わない。
(どうして何も言わないんだ、カンザキさん)
肯定とも取れるその沈黙に、リンフは疑念を募らせる。
「君ってさ、本当に臆病だよね」
何も言わないカンザキに、男はまるで見透かしたように言う。
「別の言い方をすれば慎重とも言うけれど。でも、君のそれは明らかに臆病からくるものだよね。そんなにあの子が──リンフ君が『闇落ち』するのが怖いのかい?」
男がそんなことを問う。
──やみおち?
リンフの知らない言葉だった。
「あぁ、怖ぇよ」
カンザキは短く答えた。
「ふぅん……はっきりと答えるんだね。……あー、なんっか、むかつくなぁ」
空気が変わった気がした。
そして、男がカンザキの方へに移動するのが分かった。
「君さ、僕に対しては感情を見せたりしてはくれないのに、少年が絡むと感情をはっきり見せるよね──」
声に不穏な響きを漂わせて男は言う。
「少年が『闇落ち』したらさ、僕が少年を殺してあげようか?」
ぱんっ
と。
勢いよく本が閉じられる音がして──空気に圧が生じた。
身体が重くなり、全身に力を入れなければその重さに負けそうだ。
見えない重圧。
リンフはこれがカンザキの怒りなのだと知っている。
けれど、ここまでの怒りを感じたことはない。
あまりの圧力にリンフは耐えきれずに片膝をついた。
「ふふっカンザキ、少年が辛そうだよ」
男が言うのが聞こえたかと思うと、ふっと身体が軽くなった。
少し浅くなっていた呼吸を整えてから──リンフは部屋の扉を開けてキッチンに出た。
キッチンの椅子に座っているカンザキと──そのカンザキを後ろから両腕で抱くようにしている男。
目に映ったその光景にリンフは怒りでもって顔色を変える。
「なにしてんだお前!」
男に向かって叫ぶリンフ。
カンザキに触れている見知らぬ男に、リンフはこれまでにない怒りを覚えた。
「おっと、今度は少年が怒るのか」
言いつつも、男はカンザキから離れない。
笑ってすらいる。
リンフは怒りのまま床を蹴って男に向かって拳を振るった。が、それは空振りに終わる。拳が当たる前に男がそこから消えたのだ。リンフは呆気に取られながらも空を振った拳の勢いで流れる身体を足で堪え、男の位置を捉えようと室内を見回す。すぐにその姿を玄関前に見つけ、その顔がまたにやにやと笑っていたのでむかついた。
更に増した怒りに任せてリンフは男へめがけて突進しようとしたが、カンザキに腕を取られて止められた。
「落ち着け」
短い言葉でカンザキに宥められる。
振り返るとカンザキがリンフを真っ直ぐに見つめていた。
カンザキと目と目が合って──お互いに暫く見つめ合ってから、リンフは身体の力を抜いた。
リンフが臨戦態勢を解くとカンザキは溜息を一つ吐いてから玄関に立つ男を睨む。
「出ていけ。今日のお前は不愉快だ」
家から押し出そうとするような不機嫌な声でカンザキは言う。
「ふふふ、僕としたことが。君の機嫌を損ねてしまうとはね──失敗失敗」
意に介した様子もなく男はそんなことを言って笑う。
それから笑みの種類を変えて──男は不敵に笑った。
その目はリンフを見ていて──リンフはその不敵な笑みが己にのみ向けられていることに気付いた。
「少年。君の成長を楽しみにしているよ」
そう言って男は玄関の戸を開けて出て行った。
暫く呆然と男が去って行った玄関を見ていると、腕からカンザキの手が離れたのでそちらに目を移す。カンザキは息と共に力も抜いて椅子の背もたれに身体を預け、軽く仰け反っていた。
「……今のヤツ、誰なんだ?」
リンフが問うとカンザキは小さく「あー……」と唸ってから、
「──『地球』、だ」
と、思いも寄らない答えを寄越した。
「ち、ちきゅう?」
これにはリンフも戸惑った。
「あぁ、お前もよく知ってるこの星、地球だ。人の姿で来たのは久しぶりだけどな。んー、それにしてもアイツ………今回は様子が変だったな」
急にこっちの逆鱗にタッチしてくるから驚いたぜ──とカンザキは更に仰け反って天井を仰いだ。
そんなカンザキを見て、リンフはよく分からないもやもやとしたものが胸の中に湧き出てきたのを感じた。
「カンザキさん」
「ん?」
「カンザキさん、立って」
「あ?」
「いいから」
有無を言わさずリンフは煽るようにカンザキを立たせた。
「なんだよお前、一体どうし──」
言いながらゆっくりと椅子から腰を上げたカンザキが、それを言い終わらないうちにリンフはカンザキを抱きしめた。
細い。
柔い。
丸い。
カンザキの身体を腕の中に収めて、リンフは胸の中にあるもやもやが消えるのを待った。
しかし、暫くしても、もやもやは消えなかった。
どうしたら消えるだろうか。
ぐ、と腕に力を入れる。
もっとカンザキに触れたら消えるだろうか。
眉間に皺を寄せながらリンフはカンザキを更に抱きしめた。
──す
と。
リンフの背中にカンザキの腕が回される。
その腕は一つながらにリンフを包むように抱きしめ返す。
優しく背中に触れる手に、リンフの中にあったもやもやが少しずつ消えていった。
リンフは緩やかに身体の力を抜く。
「ん、落ち着いたか?」
宥めるようにカンザキが背中をとんとんと優しく叩く。
「……うん」
小さく頷いて、リンフはゆっくりとカンザキから身体を離した。
お互いの顔を見合う。
「……カンザキさんは俺を置いていきたいのか?」
口から滑るようにその言葉は出てきた。言った本人であるリンフが驚くくらいに。
聞かれたカンザキは一瞬、きょとん、としたがすぐにその意図に思い当たったようで、そんなワケ無いだろ、と即答で否定した。
「お前を置いていかないために魔法を教えてるんだ。置いていくことは……考えて無ぇよ」
「でも、もし今コロニーの状況が変わったら」
「その時はその時でそのまま連れて行く。一緒に行けば見取り稽古にはなるしな」
そう言ってカンザキはリンフの腕をぽんぽんと軽く叩いた。
リンフはカンザキの言葉を聞いて安堵する。
置いて行かれるわけじゃ無い。
懸念していたことが無くなってリンフは、ほっ、息を漏らすと共に緊張が湧き上がってきたが──それに勝る嬉しさがリンフの顔を緩ませる。
「さて、明日のために寝るか」
言ってカンザキはキッチンテーブルに備えてある水差しに手を伸ばす。
リンフとカンザキは水を飲み終えると、洗うのもそこそこにそれぞれ寝室に入り、寝床に就いた。
楽しんでいただけましたでしょうか?
気になるところがあれば御一報くださいませ……




