029「カノコ、一億総中流を疑う」
少し、シビアでシリアスな話をしよう。
トウマくんがお義兄さんと一緒にお風呂に入っているあいだに、私とお姉ちゃんは、私学入試について話し合っていた。キッカケは、テレビで、八時前からお受験に奮闘する母子の特集をやるという予告が、コマーシャルの前後に何度もしつこいくらいに流れていたことだ。
「共働きだと、お受験ではいい顔されないのよ」
「今どき、専業主婦の方が少ないのに?」
生まれた家庭の経済力によってスタートラインが異なるのに、全国一律の学習指導要項で満足に教育できるはずがない。
ベビーシッターや家庭教師を雇える富裕層、三世代で同居している中流層、母子または父子だけで暮らす低所得層が、同じ服を着て同じ机に向かい同じ文房具を使ったとしても、ウエストミンスターの鐘が鳴った途端に、教室には歴然とした格差が浮き彫りになる。
「ブランド校ほど、保守的なものよ。名指しは避けるけど、このあたりの私立小学校だって、公立校で教育を受けてきた私たちからすれば、時が止まった特殊な世界のように感じるわ」
「ふーん。令和になっても、そこのところは昭和のままなのね」
働き者で頼り甲斐のある父、内助の功で支える母、そして言いつけを守る良い子。そんな家庭像を理想として信じて疑わない人間が、令和になっても少なからず存在するらしい。いや、そういう人間がいるというよりも、そういう校風を守ろうとする一派がいると言った方が正しいかもしれない。
勘違いして欲しくないのだが、別に私学入試に反対している訳ではない。子供が勉強好きで、私学進学に魅力を感じていて、経済的にも余裕があるのなら、受験してみるのもアリだと思う。ただ、子供が嫌がっているのに親が強制して受験させたり、家計が苦しいのを無理してまで進学させたりするのは、ちょっと間違ってるんじゃないかと思う。
「うちは受験しない予定だけど、トウマには、私学へ行く子とも、小学校に上がったあとにも仲良くしてほしいわ」
「まだ一年以上も先じゃない。保護者同士で、もう、そういう話が出てるの?」
「どっちかといえば、遅いくらいよ。トウマのお友だちの中にも、受験対策講座へ通ってる子がいるくらいだもの」
「へー、そういうものなのね」
二十年後は、学校や企業に下駄を預ける時代では無くなってる可能性が高い。ブランド校に進んだからといって、必ずしも一流企業に入れるわけではないし、もっと言えば、学校や企業の力を借りるのは、自分一人では何をして良いか考えられないからだというマイナスイメージが定着していないとも限らない。
何がどうなるか分からない時代だから、みんな同じでないことを認め、一人一人が自分らしい生き方を模索する必要があるに違いない。
「トウマは、冬場に短パンは寒いんじゃないかって言うんだけど」
「論点、そこ?」
高尚な理論を捏ねるより、卑近な例を出した方が分かりやすい。
大人がアレコレ気を揉むより、子供の方が本質を見抜いているものだ。




