28.ゼリックの大切なもの
『エルシャ起きなさい』
『いったいなにをしているんだ!』
『殺して! 私たちの敵を討ちなさい!』
『ジルヴィロスキー王国の唯一の後継者を殺しなさい! おまえの命に代えても!』
頭の中で現世の両親の声がする。
(大声で叫ばないでよ)
頭がキンキンするんだから。もうずっと、毎日こんな調子なんだもの。本当に嫌になってしまう。
『リビー』
だけど次の瞬間、名前を呼ばれるとともに、割れんばかりだった痛みがスッと溶けて消えていく。優しくて温かな声。ゼリックの声だ。両親とはちっとも違う、わたしを思う心が伝わってくる。
『大丈夫だよ』
そんな言葉とともに、肩のあたりがポンポンと撫でられた。さっきまで燃えるように熱かった体が少しずつ平熱へと戻っていく。と同時に、失われていた体の感覚が戻ってきて、なんだか自分が重たく感じた。
(眠いよ、ゼリック)
もうずっとまともに眠れていない。夢と現実の区別がうまくつかないんだ。
だけど、本当はそれだけじゃない。辛くて苦しくてたまらない。なんのために頑張っているのか――どうして頑張らなきゃいけないのかわからなくなってしまった。
『今は眠って』
ゼリックの子守唄が聞こえる。大きな手のひらがわたしを包み込んでくれている感覚も。
(……うん)
今は両親の声が聞こえない。手のひらがとても温かい。だから久しぶりにぐっすり眠れる気がする。
それからどのぐらい経っただろう? わたしはゆっくりと目を開けた。
「おはよう、リビー」
枕元にはゼリックがいた。夢で見たのと同じように、わたしの手を握ってくれている。
一瞬だけここはどこ……?って思ったけど、よく見たら普通にわたしの自宅の部屋だった。多分、ゼリックが連れて帰ってくれたんだろう。しばらくは普通に授業も受けられないだろうし……というか、わたしは学園に戻れるんだろうか? アインハードを危険な目にあわせてしまったし。
「もう! リビーったらまた考え事をしてる」
ゼリックがわたしの額を指で小突く。痛みはまったくないんだけど、わたしは思わず唇を尖らせた。
「今はなにも気にせずお休み」
「そんなの無理だよ。だって、アインハード殿下は無事だったのかとか、学校にはなんて説明したのかとか、知りたいことが山ほどあるんですもの」
起き上がろうとしたわたしをゼリックが制する。それからギュッと力強く抱きしめられた。
「心配したんだよ」
「……うん。絶対そうに違いないって思ってた」
だってゼリックだもん。ゼリックはわたしのことが大好きだもの。わたしはゼリックを抱きしめ返した。
「どうしてわたしが危ないってわかったの?」
「わかるよ、リビーのことだから」
「……いや、それはさすがに嘘ですよね?」
双子とかならまだしも、わたしたちには血の繋がりすらないし。だけど、ゼリックならあるいはって思ってしまうぐらい、日頃の行いがすごすぎるんだよなぁ。
「だって、十日間も僕が側にいなかったんだよ? 当然寂しかっただろうし、眠れていないだろうって思ったんだ。だから、遠征が終わったあと急いで演習会場に向かって、リビーのことを探したんだよ」
ゼリックがわたしの頭を撫でる。わたしは思わず目を細めた。
「寂しかったし眠れてなかったのはお兄様のほうでしょう?」
「もちろん、僕だってリビーに会いたくて会いたくてたまらなかったよ。だけど、僕と同じぐらい、リビーも僕のことを想ってくれているって自負があるから」
「ええ〜?」
ああ――ゼリックは変わらないな。純粋無垢で、愛おしい。
「そんなの、当たり前じゃないですか」
わたしの言葉にゼリックが笑う。それだけで、心が綺麗に浄化されたような心地がした。
「お兄様、今は何時ですか?」
「夜の二十時だよ。ただ、演習から二日経ってるけど」
「は……え?」
二日経ってる? そんなまさか。まさか……と思うけど、心当たりがないわけでもない。
「人間、そんなに長時間ぶっ続けで眠れるはずが……」
「それが、実際眠ってたんだよ。ものすごい寝不足だったんだね。ごめんね、リビー。僕がもっと早く帰ってこれていたら、こんなことにはならなかったのに」
ゼリックが申し訳なさそうに眉を下げる。
「お兄様が気にすることじゃありません。わたしの自己管理不足ですから」
「言っただろう? リビーの体はリビーだけのものじゃないって」
真剣な表情でゼリックが言う。と、わたしはあることに気づいた。
「お兄様、お仕事は? もしかして、ずっとわたしについていたんじゃ……」
「お休みをもらったから大丈夫だよ。それに、僕が離れたらリビーが眠れないと思ったから」
「そんな……」
つまりこの二日間、ゼリックは片時もわたしの側を離れなかったのだろう。だからこそ、わたしは悪夢を見ることもなく、何時間も眠り続けることができた。だけど――。
「そんなの、あまりにも自分を犠牲にしすぎじゃありませんか?」
妹のために二日もお休みを取るなんて、普通の人間はしない。……そりゃあ、ゼリックは普通の人間じゃないかもしれないけど! わたしのせいでいろんなことを我慢したり諦めるのはすごく嫌だ。
「犠牲にしているだなんて思わないよ。全部僕が好きでやっていることだ。僕にとって一番大切なのはリビーだから」
「……知ってる」
そう言うんだろうなって思ってた。
「だから、リビーはもっともっと自分を大切にして。週末は毎回ここに戻ってくるように。そうしたら、僕が手を握ってあげられるから」
「……うん」
返事をしながら、涙がじわりと浮かんでくる。ゼリックはそっと目を細めた。
「それから、平日の休み時間はできるだけ僕の講師控室においで。短時間、仮眠が取れるだけでも違うだろう?」
「だけど、それじゃお兄様が……」
「リビー」
ゼリックはわたしの名前を呼びながら、わたしのことを見つめてくる。それはとても愛しげな表情で、彼がなにを言わんとしたいのかはすぐにわかった。
(ゼリックにとって一番大切なのはわたしなんだ)
だから、わたしはゼリックに頼っていい。甘えてもいいんだ。
「……うん」
もう一度「うん」って言いながら、わたしはゼリックに抱きつく。
「ありがとう、お兄様」
そう伝えたら、頭上でゼリックが微笑む気配がした。




