25.ゼリックの子守唄
「リビー」
(出たっ)
わたしはビクッと体を震わせ、アインハードが去っていったのと反対側を振り返った。
「お兄様!」
絶対現れると思っていた! いや、会話に割って入られなかっただけマシかもしれない。わたしは半ばげんなりしつつ、こちらに向かってくるゼリックへと向き直る。
「さっきアインハード殿下となにを話していたの?」
ニコニコと微笑みながらゼリックが尋ねてきた。加えて、さっきアインハードが撫でた箇所をこれでもかというほど念入りに撫でている。わたしは思わず苦笑いを浮かべた。
「わたしがフラフラしているからと声をかけてくださったんですよ」
「なるほどね……だったらあとで、僕からも殿下にお礼を言わなければいけないな。僕のリビーを気にかけてくれてありがとうって」
ゼリックはそう言いながら、わたしのことを颯爽と横抱きにする。わたしは思わず目を見開いた。
「ちょ、お兄様!? いったいなにをしているんですか?」
「ん? 顔色がとても悪いからね。このまま自分で歩いたら危ないだろう? 寮まで運ぼうと思って」
「そんなことありません! わたしは大丈夫です! というか、これからまだ授業が残ってますし!」
ゼリックの胸を必死に押して降りようと試みる。が、ゼリックはビクともしないしわたしの希望を聞き入れてくれる様子がない。こうなったゼリックは頑固だから、諦めるしか道はないだろう。わたしは渋々ゼリックの胸に顔を埋めた。
「昨日は? お友達と話していたの?」
「はい。シャルロッテっていうんです」
「知ってるよ。リビーの前の席の生徒だろう? 授業の前に話していたのを見てたよ。寮で話をするほど仲良くなったんだね」
ゼリックは微笑みながら寮までの道をスタスタと歩く。
「友達ができてよかったね、リビー」
「……そうですね。これまではどこかの誰かに過保護に囲われていたからね」
どこかの誰かっていうのは当然ゼリックのことだ。少しぐらい嫌味を言ってやらなきゃ。だけどゼリックはクスクス笑いながら「それはすまなかったね」って目を細める。
「リビーを独り占めしたかったんだよ。だけど……そうだね。こんなに嬉しそうなリビーを見たら、僕が間違っていたって気持ちになった。ごめんね、リビー」
ゼリックはそう言ってわたしの額にキスをする。わたしは思わず唇を尖らせた。
(なによ。そんなふうに謝れたらこれ以上怒れないんですけど)
本当にゼリックは素直で純粋なんだから。すっかり毒気を抜かれつつ、わたしは静かにため息をついた。
「だけど、睡眠時間はきちんと確保しなきゃいけないよ。そうじゃなきゃ、移動のたびに僕がリビーを運ぶことになる。僕は嬉しいからいいけど」
「それはわたしがダメです!」
他の人ならさておき、ゼリックが言ったら冗談にならない! 移動のたびに兄(=講師)に運ばれる生徒なんて、あり得なさすぎる。というか、そんな人間が王太子妃に選ばれるなんて夢のまた夢だろう。
ゼリックは慌てるわたしを見つめつつ目を細めた。
「だったら、ちゃんと睡眠時間は確保すること。いいね?」
「……はい」
わたしは渋々そう返事をした。
(わたしだって、眠れるものなら眠りたいよ)
だけど、眠るたびに現世の両親が夢に現れるから、ちっとも疲れが取れないんだもの。
しかも、最近は実家にいた頃より症状がひどくなっている。夢と現実の区別がつかなくなってきた感じがするというか、すぐ側に両親が立っていて常に『殺せ』って囁かれているような状況なのだ。
それが枕が変わったせいなのか、疲れがたまっているせいなのか、その両方なのかはわからない。だけど、わたしだって困っているんだ。
「大丈夫だよ、リビー。僕がついているからね」
ゼリックが言う。わたしを運ぶ小刻みな揺れが心地良い。
「……そういえば、赤ちゃんの頃はこうやってお兄様にしょっちゅう抱っこしてもらってましたね」
なんだかとても懐かしい。……って、もう十五年も前のことだから当然だ。
「ちょうど今、僕も子供の時のことを思い出していた。リビーも覚えてくれているなんて嬉しいな」
「え? ええと……そんな気がしただけです。だってお兄様ですもの。わたしが生まれたときから当然溺愛してくれていたでしょう?」
危ない危ない。普通の子供は赤ん坊の頃のことなんて覚えていないもの。わたしが転生者ってこと――というより、エルシャとしての記憶があることをゼリックに知られたらとてもまずい。誤魔化さなきゃ、だ。
「生まれたときから、ね」
ゼリックはそう言って目を細める。それからわたしを大事そうに抱え直した。
「そうだね。僕が誰よりも一番、リビーのことを愛しているよ」
「……うん」
ゼリックの愛情は疑いようがない。だけど、もしも現世の両親が生きていたら、どうだっただろう? どちらのほうがわたしを愛してくれていただろう? ……ついついそんなことを考えてしまう。
(わからない)
悲しかった前世の記憶を塗り替えてくれたのは、現世の両親だ。二人が大きな愛情をわたしに注いでくれたのは間違いない。だけど、そんな二人はわたしの夢に毎日現れ『復讐をしろ』と囁いてくる。
「リビー、考えるのはやめて少し眠ったら?」
ゼリックが言う。それから小さく子守唄が聞こえてきた。幼い頃になんどもゼリックが歌ってくれたものだ。
(ああ、落ち着く)
本当に、とても懐かしい。ゼリックの温かな腕に小刻みな振動、それから子守唄まで聞かされたら耐えられない。……体は数倍大きくなったし、歌声はあの頃と違って低くなってしまったけど。それでも、ゼリックはゼリックのままだって。わたしも幼い頃のままでいいんだって思えて、すごく嬉しいんだもの。
まぶたが段々重たくなっていく。心地のいい睡魔がわたしを襲う。
その日、わたしは久しぶりに両親の悪夢を見ず、ぐっすり眠ることができたのだった。




