18.世界を敵に回しても
「いったいなにをしているんですか、フランソワーズ嬢?」
ゼリックが言う。これまで一度も聞いたことのないようなドスの利いた声だ。
「なっ……どうしてここが?」
「家からリビーがこちらに向かっていると報告が入ったので、迎えに行くところだったんです。けれど、途中で信じられない光景が目に入りまして……これはどういうことでしょう?」
言いながら、ゼリックはフランソワーズ様の手首を捻り上げる。フランソワーズ様は「痛い!」と大声で叫んだ。
「離して! わたくしを誰だと思っているの!」
「シュベリーヌ公爵家のご令嬢でしょう? 存じ上げていますよ」
ゼリックが笑う。けれど、目がちっとも笑っていない。
(ゼリック、本気で怒ってる)
わたしにはわかる。これ以上ゼリックを怒らせたら本当にまずい。先程まで感じていたのとは別次元の恐怖を感じながら、わたしは背筋を震わせた。
「こんなことをして、ただで済むと思わないで!」
「その言葉、そっくりそのままお返しいたします。僕の大切なリビーを傷つけようとして、無事でいられると思わないでください」
フランソワーズ様の脅しにもゼリックはまったく怯んでいなかった。むしろ、ギリギリと腕を掴む力を増しながら、怒りを深めていっている。
「お、お兄様! あの! わたしはもう大丈夫ですから!」
「大丈夫じゃないよ!」
ゼリックはそう言ってフランソワーズ様を解放したかと思うと、わたしを力強く抱きしめてきた。
「怖かっただろう? あんなことをされて平気なわけがない。……それに、リビーが傷つけられたら僕がちっとも大丈夫じゃないよ」
「あ……」
ゼリックの心臓がわたしと同じぐらいバクバク鳴っているのが伝わってくる。ゼリックが本当に怖かったんだってことも。そしたら、不思議とすごく安心できたし涙が込み上げてきて、わたしはゼリックを抱きしめ返した。
「お兄様……」
「来るのが遅くなってごめんね。もう大丈夫だから」
ゼリックがわたしをよしよしと撫でてくれる。我慢しきれず、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
「いい加減にしなさい! わたくしを馬鹿にしたこと、後悔させてあげる!」
と、フランソワーズ様が口を挟んでくる。彼女は口の端を吊り上げながら、わたしたちを見下してきた。
「あなたに傷害を加えられたとわたくしが訴えたら、ゼリック様はどうなるかしら? 当然、王太子殿下の側近候補からは外されるし、王宮魔術師への道は閉ざされるでしょうね? それに、ご両親にも迷惑がかかるでしょうし、最悪の場合は爵位を剥奪されるかしら?」
「構いませんよ」
「……は?」
勝ち誇ったような表情を浮かべていたフランソワーズ様は、ゼリックの返事を聞いて顔を歪める。
「構わないって……脅しじゃなく、わたくしは本気よ?」
「そうでしょうね。ですから、それで構わないと言っているんです」
ゼリックはわたしを庇うようにしてフランソワーズ様との間に入る。フランソワーズ様は腹立たしげに唇を尖らせた。
「嘘でしょう? こんなつまらないことで、あなたの出世や貴族としての将来が絶たれるのよ? 構わないわけが……」
「そもそも、僕が殿下の側近候補になったのはリビーがそう望んだからです。辞められるならば今すぐ、喜んでそうします」
ゼリックの言葉にフランソワーズ様は雷に打たれたかのような表情を浮かべる。わたしはゼリックの背中に隠れつつ、袖をぎゅっと引いた。
「たとえ王宮魔術師になれずとも、貴族としての身分を失っても、僕は一向に構いません。両親とてリビーを守るためならば爵位などいらないと笑うでしょう」
「そんな……そんなバカな話がある? わたくしには、その子にそれほどの価値があるとは思えないわ!」
(おっしゃるとおり)
ようやく平静を取り戻したわたしは、フランソワーズ様のセリフに激しく頷いてしまう。が、ゼリックは怒りがぶり返したようで、目を見開きながらフランソワーズ様に詰め寄っていく。わたしは慌てて二人の間に入った。
「お兄様、もうやめましょう? フランソワーズ様のおっしゃるとおりです。わたしにはそこまでの価値はありません。なにより、わたしのせいでお兄様たちが犠牲になるなんて嫌です」
……いや、よくよく考えたらこんなことになったのはゼリックがフランソワーズ様の求婚を断ったからなんだけど! 今はこの場を丸く収めたい。フランソワーズ様、ちょっとだけ怯んでいるし。今ならなんとかできる気がする。
「価値がない? リビーは世界で一番可愛いし、尊い存在だよ! 僕のなによりの宝物なんだ!」
ゼリックはそう言うと、わたしを思い切り抱きしめる。
(ゼリック……)
わたし、復讐のことばかり考えている人間なのに。これまで、アインハードに近づくためにゼリックを利用してきた。復讐の邪魔だからとゼリックを無理やり婚約させようとしたし、自分から遠ざけるためにひどいことを言おうと思っていた。そんなわたしに、あんなふうに言ってもらえる資格はない。
――ないはずなのに、わたしはゼリックから大事に思ってもらえることがたまらなく嬉しい。
(ゼリックのバカ)
こんなことされたら邪険にできない。嫌いになんてとてもなれない。どれだけ復讐を邪魔されても、ゼリックならいいかって思ってしまう。
「それに、前にも言っただろう? 僕はリビーのためなら世界中の誰を敵に回しても全力で戦うんだって」
ゼリックがそう言って満面の笑みを浮かべる。
「……うん」
ゼリックならきっと、本当にそうしてくれるに違いない。
「お兄様、大好き」
わたしがゼリックを抱きしめると、フランソワーズ様から「ふん!」と苛立たしげな声が聞こえる。
「なによ! 兄妹同士で気持ち悪い!」
(あ……うん)
それはそうかもしれない。一応わたしたちは血が繋がっていないんだけど、ゼリックはわたしがその事実を知らないと思っているはずだし。否定の余地がないなぁと思いつつ、わたしはフランソワーズ様をおずおずと見上げた。
「そちらが構わないと言ったのだから、わたくしは好きにさせていただきますからね!」
「ええ、もちろん」
ゼリックがそう言って微笑むと、フランソワーズ様は顔を歪めながら立ち去っていく。
「お兄様……」
「大丈夫だよ、リビー。なにがあっても、僕がリビーを守ってあげるから」
「でも……」
その瞬間、ゼリックはわたしの額に口づけていたずらっぽく笑った。
「なっ……ちょっ……!」
なんてことをするんだ、この兄は! ……そう思うんだけど、不安とか恐怖とかどうでもよくなってきて、わたしも思わず笑ってしまう。
「本当に、お兄様が大好きです」
「僕は愛してるよ、リビー」
先ほどとは打って変わって真剣な表情でそう言うゼリックにドギマギしつつ、わたしはゼリックに抱きつくのだった。




