15.ゼリックの願い
「どうしてお兄様がここに? 学園はどうされたのです?」
つい先日似たようなやり取りをしたことを思い出しながら、わたしはゼリックに問いかける。さすがに神出鬼没過ぎだ。……いや、ここはゼリックの自宅ではあるけども、どうしてこうもタイミング悪く現れるのよ。
「週末だからね。リビーに会うために戻ってきたんだよ」
ゼリックはそう言って身を屈めたかと思うと、なんと! わたしの額にキスをしてきた。
「ええっ!?」
これにはわたしも、お茶会の参加者たちもびっくりで、会場は一時騒然となった。
(いやいやいや! なにしてくれてんのよ、ゼリックは!)
これまでキスなんてしてこなかったじゃない! そりゃあ、赤ん坊や幼少期はそういう触れ合いもあったかもしれないけど、わたしもう十一歳だし。っていうか人前! しかも、ここにいるのは全員ゼリックのお嫁さん候補なわけで、こんな場面見られたら引かれるし、困るんですけど!
「ああ、数日ぶりのリビーが本当に可愛い。ずっとずっと会いたかったんだ」
しかも、ゼリックはキスだけじゃ飽き足らずわたしのことを抱きしめてきた。
「お兄様、やめてください! 皆様がびっくりしているでしょう?」
「……そう?」
ゼリックはそう言って令嬢たちを流し見る。その瞬間、彼女たちはまるで心臓を撃ち抜かれたような表情で頬を真っ赤に染めた。
(ああ、なんて気の毒な)
耐性がない人間がゼリックに遭遇するとこうなるのか……。美しいって罪だなぁなんてことを思う。
「っていうか、わたしもびっくりしました! こんなこと、人前でしないでください!」
「わかった! 人前じゃなかったら大丈夫なんだね」
ゼリックはそう言って、わたしをどこかへ引っ張っていこうとする。思わずドキッとしつつ、わたしは大きく首を横に振った。
「そういうことでもありません! まったく、これから婚約者を選ぼうという大事な時期に、変なことをなさらないでください」
「変なこと? そんな……」
ゼリックは傷ついたような表情を浮かべると、シュンと肩を落とす。
(うっ)
そんな顔しないでよ。なけなしの良心が疼くじゃない。おまけに、ゼリックの純粋さに感化された令嬢たちまで、わたしを責めるような表情で見はじめる。
「へ、変なことっていうのは言いすぎかもしれませんけど! キスやハグは妹ではなく愛する人にすべきことです」
「……だったらなんの問題もないね」
ニコリ、とゼリックが笑う。その瞬間、令嬢たちが「きゃー!」と黄色い悲鳴を上げた。
「なんて一途な!」
「美しい兄妹愛!」
「リビー様が羨ましい!」
「これはわたくしたちに付け入る隙なんてありませんわね」
「えっ、ちょっ……待って!」
お願いだからそんなこと思わないでほしい! みんなにはゼリックとの結婚を望んでほしいし、わたしのかわりになってほしいんだってば!
「せ、せっかくお兄様が帰ってまいりましたので、このまま同席させてもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん」
参加者たちはそう言ってニコニコと微笑んだ。
(まだよ)
今ならまだ挽回できる。ゼリックのほうだって、話をしているうちに「この子いいかも」って女性が見つかるかもしれないし。
わたしの隣に腰掛けるゼリックをちらりと見つつ、わたしは満面の笑みを浮かべた。
「ゼリック様はアインハード殿下の側近候補でいらっしゃるんでしょう?」
「本当に素晴らしいことですわ。神童現ると話題でしたもの!」
「わたくしの両親など『ゼリック様を見習え』と毎日のように兄へ申しておりましたのよ?」
お茶会が再開されると、令嬢たちはゼリックへ質問や賛辞を投げかけはじめた。
(これよ、これ)
これなら視野の狭いゼリックだって、わたし以外の女性に目を向けようと思うに違いない。どんどん会話して、どんどん褒めて、めちゃくちゃ好感度を上げてほしい。わたしが令嬢たちに期待の眼差しを向けていると、ゼリックがそっと目を細めた。
「ありがとうございます。けれど、僕が殿下の側近候補になったのは、リビーがそう望んだからですし、大人になってから本格的にお仕えするつもりもないんです」
「まあ、そうですの?」
「せっかくの才能が」
「もったいないですわ」
令嬢たちは上目遣いでゼリックを見つめつつ、複雑な表情を浮かべている。そりゃあ、誰だって結婚相手には安定したいい職業についていてほしい。王太子の側近なら絶対に食いっぱぐれることがないし、社会的なステータスも金銭面も優れているんだもの。こういう反応をされて当然だ。
「王太子殿下の側近の座を辞すならば、将来はお父様と同じ王宮魔術師になられるのですか?」
令嬢の一人がそう尋ねた。そういえば、わたしもゼリックが今後どうするつもりか聞いたことがないので、どんなこたえが返ってくるかとても気になる。
「そうですね……それも考えてはいるのですが、実は王家の直轄領のなかで欲しいと思っている領地があるんです。ですから、まずはなにかしらの手柄を挙げなければと……」
「まあ……!」
「どんな場所ですの?」
ゼリックらしからぬ野心的な発言に、参加者たちは興味津々で身を乗り出す。一緒になってわたしも見つめると、ゼリックはニコリと微笑んだ。
「僕は旧サウジェリアンナ王国の領主になりたいんです」
「え?」
わたしは思わず目を見開いた。
(どうしてゼリックがサウジェリアンナ王国を?)
あそこが今、王家の直轄領になっていることはわたしだって知っている。王家主導で攻め落として得た土地だから、当然っちゃ当然だ。だけどわたしは、それが歯がゆくてたまらなかった。
いつか復讐を成し遂げたら、あの土地に戻って静かに眠ろうと思っていた。それがわたしの生きる目的なんだって――。
「旧サウジェリアンナ王国領はまだ街道や河川の整備、資源の開発が不十分で、もっと豊かになる可能性を秘めた土地です。けれど、直轄領のままではどうしても手が行き届かない。それでは、国民のためという名のもとに滅ぼされた王家の方々に顔向けができません。ですから、僕が貰い受けたい。責任を持って治めたいと思っているんです」
ゼリックが言う。わたしはだんだん目頭が熱くなってきた。
(知らなかった)
ゼリックがそんなことを考えていたなんて。サウジェリアンナ王国や滅ぼされた王家のことを覚えている人間なんて、わたしぐらいしかいないんじゃないかって思っていた。それがあまりにも悲しくて悔しくて、考えないようにしていた。だけど、誰かの口から語られるのを聞いてしまうと、胸がとても苦しくなる。
「……途方もない夢だね」
しばらくしてから、わたしはそうつぶやいた。今ゼリックの顔を見たら、きっと泣いてしまう。うつむいたままのわたしの頭を「そうだね」とゼリックがそっと撫でた。
「だけど、絶対に叶えるよ。僕にとってこれは二番目に大切な願いなんだ」
「二番目?」
わたしとお茶会の参加者たちが一斉に首を傾げる。かなりだいそれた願いだというのに、この上があるというのだろうか?
「一番目は?」
「もちろん、リビーを幸せにすることだよ」
ゼリックが笑う。あまりにも清らかで無邪気な笑みに、涙が滲んでしまうのだった。




