29 あの人
「わー! 凄い……私たちの向かっているお城を改装した宿って……あれですよね?」
銀竜セドリックの背に乗っている二人は、短い休暇を取ることになったキースたっての希望で隣国イルドギァにある、大昔の大貴族が造らせたという古い城を改装した高級宿へと向かっていた。
「ああ。そのようだ」
久しぶりに何日かの休みを得る事になり、とてもご機嫌なキースの紫色の瞳はキラキラとして輝いている。
彼がこうして仕事の時の顔を脱ぎ捨てて、何の壁も作らない素の表情に戻っている瞬間を見ることが出来るのは、オデット一人しかいない。
「なんだか……すごく、豪華じゃないです? 王様が住んでいる城なのかと、思ってしまいました……」
二人が住む王都中央にある贅を尽くした御伽噺に出てくるようなヴェリエフェンディにある王城は、一目見て国の最高権力者が住んでいる事が見て取れてしまう程に絢爛豪華で美しい。
二人の居る位置からまだ遠く山の峰に見えているのは、それと同等程度にも思えるほどの美しさを持つ城で、オデットは思わずほうっと感嘆の息をついた。
「なにやら……経営者が世界でも有数の裕福な商人と言う話だが。俺は、その人本人の事は良くは知らない。一見では決して入れぬ紹介予約制だし、どうやら店側が利用する客を選んでいるようだ。まあ……俺としては、そういう情報はどうでも良くて。可愛い恋人に美しい宿を喜んで貰って、久しぶりの長い休みを快適に過ごせればそれで良い」
これから向かう宿の説明に時折頷いていたオデットは、あるひとつの単語に引っかかった。
「……紹介制? ということは、キースも誰かに紹介して貰ったんですか?」
キースがあの宿に予約を取り自分たちがこれから宿泊客になれるのなら、彼をあの宿に紹介した誰かが居るはずだとオデットは思った。
「あー……まあ、この前にめんどくさいお願いをして来た、この国のとある権力者が、俺のご機嫌を取るべく用意した何個かの貢ぎ物の内のひとつだ。あいつは俺が喜びそうな事を、どうやって調べているのか知らないが、折々に的確な物を贈ってくるんだよなー……誰か、近くに諜報員でも居んのかな」
キースは少し嫌な顔をしたままで、不思議そうに首を捻った。
「ふふ。単にキースをその人が理解して、欲しがりそうな物を、わかっているだけなんじゃないですか?」
きっとその人と仲が良いから、キースの欲しい物を察することが出来るのではないかと微笑み振り向いたオデットに、彼は目に見えて嫌な顔をした。
「俺の事を? あいつが? どうだろうな。別に、ある程度の年齢まで、お互いをどうこう思う事もなかったのに。似たような立場に居るから、自然と周囲が比べて来て、なんだよめんどくせー関わりたくねえくらいの間柄だけどな。俺もそこそこしんどいけど、あっちもしんどいだろなとは。思うけど」
「キースと、似ていて比べる事が出来る……? そんな人、本当に存在しているんですか?」
彼ほどに何もかもを持っている男性を他に知らないオデットは、見え透いたお世辞など一切含ませずに心からそう思った。
やむを得ずとは言え、王族に籍を置く竜騎士団長のキースは美麗な容姿を持つ上に、人柄も良い。
部下には厳しく接し恐れられている一方で、彼が居れば大丈夫だと思われるほどに頼りになるから、非常に慕われている。
そんな完璧とも例えられる男性と、何処か一部分だけだとしても張り合う事の出来る男性が何処か他に居るのかと、オデットは素直に驚いた。
「はは……それは、少し言い過ぎだろ。まあ、オデットは俺に対しては恋をしているという、高下駄を履いているという前提で言うと、一応はそんな奴は存在している。そして、最初はお互いはどうこう思っていなかったんだが、面白がった周囲から比較され何かと対抗していると思われることも多い。よく分からない現象だが、部下同士も自然と張り合っている」
「部下の人も……」
「向こうも、騎士団長だからな。お互い、部下は騎士なんだよ。そういう現状は、正直めんどくさくはある。本人はなんとも複雑な性格の持ち主だが、俺に対しては一応年上なのもあって敬意を持って接してくれてはいるようだ。たまに可愛い時があって面白くなって揶揄うこともあるが。特に俺は、嫌ったりはしてないな」
その人を思い出すように、キースは空を見つめて顎を触った。
「キースに、良く似た立場……その人も、大変そうですね」
オデットの素直な感想に、キースは苦笑して答えた。
「まーなー……昔、そいつとお互いの王の前で御前試合した時に、目測を誤って腹に傷を負わせたのも、良くなかったな。あいつ自身は、正々堂々とした勝負の最中の出来事だと、何も言わなかったんだけど、取り巻きから非難轟々だったから。まあ、俺も悪かったとは思ってはいたんだが。いろいろと、めんどくさかったわ」
「取り巻き……なんか、すごい……」
「なんか前王が寵愛していた美しい妃の、特別な息子でさ。今は、王弟だ。臣下に下りたくても、それは出来ないんだと。同性の俺が言うのも気持ち悪いけど、めちゃくちゃな美男子だから、居るんだよ。そういうよく意味の分からない取り巻きたち。また、そういう人に限って国の有力者の夫人だったりするから。怪我を負わせた俺は何も言えずに、黙るしかなかったわ」
「なんだか……凄い人ですね。私も一度見てみたいです」
貴族婦人の信奉者を集めてしまうほどの美男子とは、どれほどのものなのだろうかと微笑みオデットが首を傾げれば、キースは目に見えて嫌な顔をした。
「ダメだ。絶対、会わせないわ。俺も、この年になって、ようやく嫉妬するという、新しい感情が心に芽生えた。こういう意味だったか。確かに嫌だ。あいつは、絶対に危険だから会わせない。ダメ。結婚式にも、来るなって言っとくわ」
彼ほどの立場にある人が隣国の同盟国の王族を式に招待しない訳にはいかないのにと、オデットは苦笑した。
「……私はキースと婚約しているし、別に姿を見るだけなら良くないです?」
「ダメだ。あれはどう考えても歩く危険物だし、行く先々で奴が何も言わなかったとしても、女がらみの騒動を起こしている。真面目な俺とは、全然違う。ダメ」
「キースは……私の事を信じてないんですか?」
「俺が、全部悪かった。だから、ちょっとしたこういう言葉のあやで、そうして泣きそうな顔になるのはやめてくれ……本当に困るから。セドリック、宿行く前に景色が良いところに行こう。お姫様のご機嫌を直す方が先決だ。マジか。この辺の情報を知らないなら、その辺飛び回って早急に探すぞ」




