24 私を信じて
風景の中に浮き上がるような大蛇のような巨大な黒い生き物がいきなり現れて、くねるような素早い動きでキースたちの居る砦へと向かい始めた。
「えっ……何……あれは、なんなの」
信じ難いものを見て呆気に取られて目を見開き驚いている間に、予期せぬ事象への対応を決めるためか砦の外へと闘うために出ていた竜騎士たちが一斉に砦へと戻り出した。砦に居る指揮官からの指令が、あったのかもしれない。
(きっとキースが、皆を呼び戻したんだ。あれは、大蛇……? ううん。大蛇のようにみえるだけで、周囲に何か浮かんでいる? 良くわからない真っ黒な何か。あれもきっと喚び出したんだわ……あの、禍々しい鉄巨人だけではない。きっと、あれも異世界の生き物……あんなものも、自分たちのために利用しようと言うの……)
これまでガヴェアの権力者たちに利用され続けて来た過去を持つオデットは、あまりの自分勝手なその企みに寒気が出てゾッとした。
ガヴェアに居る召喚術を使うことの出来る魔法使いたちは、異世界から召喚する術を開発して自分たちに都合の良い存在を操って使役することを研究していた。何度も何度も、きっと公開することも憚られるような実験を繰り返して来たはずだ。あの鉄巨人は、それをした上で自分たちには逆らわない存在として重宝されているのだから。
(あれは……きっと、物凄く良くない存在だわ。こうして遠くから見ているだけで、気持ち悪くなって吐きそう……あんなものを、こんな風に利用しようとするなんて……)
オデットが観察している間に大蛇が砦に近づき、何らかの魔法を掛けようとしているように見える。
(いけない。絶対に、これは良くない方向に行ってる。どうにかしないと……でも、どうしたら良いの?)
オデットの心の中には、焦燥が溢れた。
異世界から未知の生き物の何かに対応する術を、砦に居る彼らはきっと知らないはず。今、下手に動くのは危険として、大蛇がどうするのかを慎重に見極めているはずだ。
けれど、その時間がこれでは命取りになってしまうのかもしれない。
(キースや、あの砦に居る皆を救いたい。私を守ってくれた人たち、いつか救いたいとあの時に言った。それは……もしかしたら、今なのかもしれない)
オデットにとって、キースも彼らも掛け替えのない存在だった。自分はどうなったとしても、絶対に彼らを救いたいという強い気持ちがあった。
「……セドリック。私に、考えがある。心が読むことが出来る貴方なら、何を思いついたかわかるよね? 行こう。もう、きっと……あまり、時間は残されていない。やってみないとわからないけど……上手くいくかなんて、わからないけど。とにかく……今は、これに賭けてみるしかないと思う」
あまり鳴き声を聞いたことのなかったセドリックなのにオデットの決意を込めた言葉に肯定するようにキュウっと大きく一声鳴いて、先程自分たちが飛行してきた方向へと向きを変えた。
セドリックは、オデットの言いたい事を正確に理解していた。すぐそこにある大きな草原に立ち尽くしているのは、どうにかして逃げようとしたオデットを何度も何度もその大きな手で捕らえたことのある鉄巨人。
「……セドリック! あの鉄巨人に、雷を落として!」
オデットが叫べば、セドリックはすぐにそれを叶えてくれた。濃い夕闇に、激しい稲光が光る。けれど、立ち尽くす鉄巨人は沈黙したままだ。
(どうして……お願い。どうか、息を吹き返して! お願い!)
オデットがこうしてもしかしたらセドリックの雷で停止したのならば、もう一度雷を当てればまた動き出すのかもしれないと思ったのは理由があった。
この鉄巨人の身体が、わかりやすいくらいに機械で出来ていたからだ。知識を増やすために読んだ本の中には、一度動きを止めても強い電気を与えることによりまた動き始める機械の話があった。
それを読んだのは偶然だったが、何の知識も得ないままに、ただ安穏としてキースに守られているだけで満足していては、こんな方法は思い付かなかったはずだ。
「何よ! 私のことを玩具みたいに、いつも簡単に捕まえていたでしょう! あの時みたいに、捕まえてみなさいよ!」
オデットは、言葉がわかるかもわからないのに必死で叫んだ。今のところ、この方法に賭けるしかなかった。
(あの不気味な黒い大蛇だって、きっと異世界のもの。鉄巨人であれば、止めることだって出来るかもしれない。動いて、お願い!)
駄目押しするかのように、二度目の雷が巨体に落ちて不気味な駆動音が鳴り響き始めた。無数の歯車が回り出す、嫌な金属の音だ。
これを、ずっと恐れていた。けれど、今はこれを待っていた。
心の中に上手くいったという歓喜が湧いてきて、オデットは大きく息を吐いて叫んだ。
「私は、こっちよ! 早く……早く来て!」
あれから自分一人で逃げている時は、ただただ恐ろしかった。禍々しいあの怪物のようなものを、誰かを救うために使おうだなんて思いつきもしなかった。
(私は、あの時の……何も出来ない人形なんかじゃない。キースを……皆を救いたい。そのためにだったら、何だってする!)
「必ず助ける。キース……私を、信じて」
心得ているセドリックが、また向きを変えて砦への方向へと戻り飛行した。
オデットを縛る鎖の役目を果たしていた宝石を追い掛けて来た鉄巨人の、ズシンズシンという重い足音は周辺に鳴り響いた。
(間に合って……あの変な術が完成してしまう前に……お願い……)
祈るような気持ちで、鉄巨人を連れてオデットが戻れば、黒い大蛇は何かまた濃くなっていた黒いモヤに包まれていた。
「セドリック。私を、あの大蛇の上空にまで連れて行って」
セドリックはオデットの言葉に驚いたのか、一度だけ振り返った。とても慎重な性格の彼だから、危険な状態の中でそれをする理由がわからなかったのだろう。
「大丈夫。あの鉄巨人は、この宝石を追い掛けているから。だから、あの大蛇の上にこれを撒くの……自分を縛っていたものとは言え、ずっと一緒だったから。嫌なものだったとは言え、少し複雑な気持ちにはなるけど。もう、縛るものなど何も要らないわ。私は、本当の意味で自由になるのよ」
◇◆◇
何か不気味な術を完成させようとしていた黒い大蛇に上空から振り撒かれた幾つもの宝石は、夕暮れの光を弾いて落ちていった。
鉄巨人は、それを追い掛ける。
あれを持つものを連れ帰るようにと命を下され、それに従うしかない哀れな存在だった。可哀想なそれを利用したことを、誰かに詰られようがそれでも構わなかった。
オデットにとっては、キースが一番大事で守るべきものだったから。
(大蛇は、もしかしたら実体がないものなのかもしれない。すごく不気味だけど……けど、これでダメだとしたら、打つ手がない。次の手を……考えなきゃ、どうすれば良い?)
どうかこれが上手くいくようにと、オデットは両手を組んで祈ることしか出来なかった。
ズシンズシンと重い音がして、鉄巨人は黒い蛇を掴んだ。それは実体のないものなのかと思えば、簡単に掴み上げられてガヴェアの陣が敷かれた方向へと向かって行く。
鉄巨人は、喚び出した者の命に従う。
だから、オデットの体に埋め込まれてあるはずの宝石を持つ大蛇を運んでいるのなら、そこには喚び出した者が居るはずだ。
(……あ。もしかして……飛行船からは、乗っているはずの魔法使いが二人ほど居なくなっていたと聞いたから……鉄巨人を召喚することの出来る魔法使いが、あの黒い蛇も呼び出したのかもしれない)
国民のほぼ全員が魔法を使うことの出来る魔法大国ガヴェアでも、使用出来る魔法はその人個人の性質によるものが大きい。
オデットは月の女神に愛されているという加護を持っているから、使用することの出来る月魔法しか現状使うことが出来ない。それと同じように、召喚魔法を使うことの出来る魔法使いは極わずかで数が限られているはずだ。
オデットの乗っていた飛行船に高給で雇われて乗っていた魔法使いが、今は国に属して敵国への攻撃のために黒い蛇を喚び出していても不思議ではないのかもしれない。
まさか、鉄巨人が現れて、その上で大蛇を連れてくるとは思っていなかったのか。
ガヴェアの陣営は、悲鳴を上げて逃げていく多数の者たちで総崩れだった。
(あれでは、闘うことは無理だよね……良かった……)
大事なキースを救うためとは言え、どうにかして奮い立てた自分の頑張りが身を結んだことに安心して、オデットは大きく息をついた。
空を飛ぶ竜の背にあるというのに背後から声が聞こえたのは、その時だ。




