23 決意
開戦の知らせは、突然だった。
「ちょっ……ちょっと待って。セドリック。上手く理解出来ない。もう一回説明して欲しい」
今夜は手の込んだ夕食を作ろうと予定していて役目を終えてから、午後の早い時間にオデットは一人で家に帰って来た。
キースは当分は帰れないからとエディと呼ばれていた彼の部下である陽気な竜騎士が付いてきてくれて、彼の竜が何故か身体を鍛えるのが趣味な話を聞いて笑っていたところだった。
(待って……頭が付いていけない。さっきまで、一緒に居たのに……)
平穏な日常だったのにと混乱する気持ちを抑えて、無表情のままこちらの様子を見ているセドリックと視線を合わせた。
「……ガヴェアが、国境付近で部隊を展開しているらしい。それ自体は良くある話と言えば、良くある話だった。オデットが来てからはなりを潜めて居ただけだ。だが、小競り合いとて、あちらは強力な魔法を武器としている。それに対抗するならば、こちらも竜騎士を出すより他ない。だから、キースはすぐに国境を守る砦へと何人か連れて向かった」
「けど、セドリックは……どうしてここに戻って来たの? だって。貴方はキースの竜でしょう?」
突然の出来事にオデットの唇は震えていた。
これから危険な戦闘が始まるのであれば、セドリックは契約しているキースの傍に居るべきだった。
竜騎士は相棒の竜が居るからこそ、強い。素早く飛行して、移動することも出来る。竜にさえ乗っていれば、大抵の攻撃は守護だけで防ぐことも可能だ。あちらの放つ強力な魔法も、ひらりと身を躱す事も出来るだろう。
「……国境にある砦を拠点にして戦えば、楽だろう。あいつは指揮官だし、敵の頭数と部隊の編成を見て、自分が出るまでもない戦闘になるだろうと判断した。俺は、オデットの傍にいる方が良いから帰れと」
淡々と話す言葉には、セドリックの感情は見えなかった。
「……そんな! そんなのダメよ。キースが私を大事に思ってくれているのは、ちゃんと理解してはいるけど……早く、帰って欲しい。どうか、彼の傍に居て。私なら大丈夫よ。ちゃんと護衛だって居てくれているし、たくさんの竜が居る竜舎だってすぐそこよ」
このところ竜舎に遊びに行っては仲良くしている若い竜たちは、オデットを自分たちの契約した竜騎士の上司キースの恋人であると認識してくれているはずだ。
それに彼らはオデットが一度攫われてしまったことも知っているから、何かまたあるかもしれないと心配していると素直に言ってくれた。オデットが心の中で彼らを呼べば、きっと誰かが応えてくれる。そうなれば、一気に竜騎士団中に伝わることになるだろう。
「取り返したい存在。つまりお前が、この国に居るとわかっていると言うのに、あいつら……ガヴェアは、結局今まで何もして来なかった。あのイカれた一人の男も、禁じられた輸出品を持っていた悪党はこちらの国には何の関係もないとして蜥蜴の尻尾切り。お前を攫った魔法使いは逃げた後だったが……あれほどの魔法が使える実力を持っている奴らが、国に知られてない訳がない。キースは、この侵攻を何かがおかしいと感じているのかもしれない」
「罠かもしれない……?」
「そうだ。だから、俺にはこうしてオデットの傍に居るようにと頼んで来た。何か、嫌な予感がすると……キースの勘は、当たるんだ。だからこそ、あいつは窮地の中でも常に生き残って来た」
キースが今まで為した戦功を、数えれば切りがない。そして、彼が団長になってから国を守る貴重な竜騎士は誰一人として死んではいない。
(嫌な予感が、あるというのに……私を守るためだけに、セドリックを自分の元から手放すなんて)
竜騎士にとっての竜は、戦士にとっての剣に等しいはずだ。飛行船での戦い振りを見れば、キースは単独で居ても強い事は確かだろう。だが、良く使い慣れた武器を手放してしまえば、普段と同じ思うような動きが出来るかと言えば、それは難しいはずだ。
「……セドリック。行きましょう。貴方が私から離れられないのなら。私も、砦に行く。連れて行って。お願い」
オデットが背中に留めていたエプロンの紐を解いて、背の高い彼を見上げればセドリックは珍しく面白そうに笑った。
「俺はお前をここに残せば、きっとそう言い出すと思っていた。別の竜に頼まれても、困る。だから、砦ではキースの指示通りに従ったんだが……お前は、キースを守るために何が出来る?」
彼らと少なからずの時間を過ごしたオデットは、セドリックが自ら契約を与えた竜騎士のキースをとても気に入り大事に思っていることを知っていた。
(大事なキースがそう願うから、彼は私を守ってくれる。セドリックが何より大事にしようとしているのは、キースなんだ。セドリックは、年齢も高いし戦闘の経験も数多い。だからこそ、慎重で狡猾な性格なのだとキースは言っていた。そのセドリックが嫌な予感がすると言うキースを戦場に置いて来たのは、私が妙なことを仕出かして、彼の邪魔にならないようにするためもあるのかもしれない)
セドリックは、試すような視線をこちらに向けている。オデットは、緊張しつつ言葉を選んで答えた。
「私の能力を、知っているでしょう。キースがもし瀕死になっても、私なら彼を癒すことも出来る。安全なここに居たとしても、そんな時にも助けてあげられない。彼の武器を奪う足枷になるくらいなら、共に行くわ。戦場だって怖くない。滅多なことでは、足を竦ませることもないわ。セドリックだって、私が逃げていたあの恐ろしい鉄巨人を見たでしょう?」
「……ああ。あれは確かに、悪夢に出てくるような化け物だった」
セドリックは、苦笑して目を眇めつつ頷いた。彼が即落第だと判断するような答えにならなくて良かったと、オデットは小さく息を吐いた。
「……私はこれからどんな時だって、あの人の。キースの隣に、居るのよ。守られるだけの存在になんて、なりたくもない。セドリック。早く、彼の元に私を連れて行って。何も出来ないままここで怯えて震えているなんて、絶対に嫌だもの」
◇◆◇
高速移動と言われる特殊な飛行をしても、オデットが風を受けることはなかった。セドリックに言われて家の中にあった魔法具と言われる、特殊な守護の魔法を封ぜられた腕輪を今身につけているからだ。
竜形となったセドリックは竜舎で見習いたちに鞍を載せて貰って、オデットは鞍を持ち安定性のある騎乗にはなっているものの、魔道具の腕輪を付けずにまともに強風を受けてしまえばその身はすぐに落ちてしまったはずだ。
セドリックも結界の魔法を掛けてくれているのだろうが、それでも上空の風は強い。
(あれは……あの時の鉄巨人。草原が、近いのね)
オデットが上空から注意深く地上の様子を見ていると広い広い緑の草原の中で、立ち尽くしている黒い巨人が見えた。
セドリックの雷を受けた時のまま、そのままで異世界から来た便利に使われている可哀想な巨人は捨て置かれていた。自分たちはヴェリエフェンディの王都からガヴェアが侵入しているという国境へと今向かっている訳だから、あの時に辿った航路と同じだ。それは、当然のことなのかもしれなかった。
そこから程近くにあるガヴェアの国境から聞こえてくる、戦闘の嫌な音を聞いてオデットは眉を顰めた。攻撃魔法が放たれどしんとした重低音が腹に響き、幾つもの砲台からは花火を打ち上げるような発射音が次から次へと聞こえて来る。
「……戦いが、もう始まっている?」
キースや竜騎士団が居るという砦の近くの上空に居るオデットが疑問を呟いても、今は竜形であるセドリックの意見を聞くことは叶わない。竜形の彼と心を通わせることの出来る人間は、契約した竜騎士のキースのみだ。
ガヴェアの歩兵たちはずらりと陣を組み前線で槍を片手に砦へと列を為して向かい、基本陣形の通りに魔法使いたちは後衛だ。
(……睨み合いもなく、即進軍してくるなんて。おかしい。あの砦には竜騎士団の先陣が到着していることも、あちらは承知しているはず。双方の戦力が出揃うまでは、お互いに相手がどう動くかを窺うはず……なんで……?)
眉を顰めたオデットは、ついこの間に読んだ初歩的な兵法書に書いてあったことを思い出していた。
奇襲するのならいざ知らず相手の武力もまだ整っていない内に進軍するなど、定石であれば考えられない。もし砦を攻略するのなら、籠城戦を防ぐために補給路を断つ事が先決で初歩中の初歩だ。戦闘している時に、敵側の援軍が現れて挟み撃ちされてしまえば目も当てられない。
(どうして……砦攻略をなすのなら、通常であれば時間がかかる長期戦を覚悟の上のはず……キースの悪い予感と……それに、これまで無言を通して来たガヴェアの間を置かない、いきなりの進軍……何かを、企んでいる?)
心の中でキースと相談をしているはずのセドリックは、慎重に地上の様子を窺っているようだ。すぐには砦へと降下をせずに、戦闘がどうなるのか、上空にて見守ることにしたようだ。
ぞわりと、オデットの身体中の肌が粟立ったのは、その時だった。




